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「新 古事記」(村田喜代子 著)読了 [読書]

作者がふと手にした、原爆開発の手記がもとになっています。

巻末の「謝辞」によると、その手記は、科学者の夫と共にニューメキシコ辺境に暮らした女性が記したもの。夫が勤めるロスアラモスの研究施設が原爆開発のためのものとは知らぬままに2年の歳月が過ぎた。新婚の彼女は、世界と隔絶した岩山の台地で両親に住所を知らせることもできず、夫の仕事の内容も教えられないままに家事と子育てに明け暮れたという。

マンハッタン計画。科学技術の軍事利用、それに加担する科学者たち。

そうした科学者たちの痛切な悔恨。原爆開発を強く提唱し、開発に関わった科学者の大半がホロコーストの恐怖から逃れたユダヤ人科学者たちだったこと。人種差別。日系移民迫害やそれを煽りたてるNYタイムズなどマスコミの執拗な日本人蔑視キャンペーン。ユダヤ人たちの成就は、その意図とは異なって、日本人の頭上で閃光となってすべてを焼き尽くすことになります。

そうした重たいテーマが、さりげない女性たちの日常のなかから薄明かりに照らし出されるように浮かび上がってきます。

集められた科学者はみな若い。だからロスアラモスは新婚さんだらけで、入所後のニューカップルも加わって、ちょっとした出産ラッシュになります。軍が警備する研究施設には大きな産院棟が増設される。

「あたし」は、そんなカップルのひとり。幼なじみの恋人についてきて、親にも知らせることができないままに、辺境の地で式をあげ、やがて身ごもる。柵の外にある動物病院の受付係を勤めているが、研究員が連れてきたペットで大忙し。最初はストレスで病んでいた愛犬たちも、繁殖期を迎えるとやがて人間と同じように出産ラッシュとなって殺到する。

新しい生命の誕生と大量破壊兵器の開発。「あたし」の日常は一見平和のようでいて、静かに湧き上がってくる不安と恐怖がある。時にはくぐもるような原因不明の怒りのようなものがこみ上げて来さえもする。ヒットラーが自殺を遂げ、ルーズベルトが脳卒中で死んでも、日本との戦争は続いている。

「あたし」は、自分が日系移民ではないけれども日本の血をひいていているということを夫に打ち明けた。リンカーン大統領の時に咸臨丸でアメリカにやってきた水夫の孫にあたる。…幼なじみの夫は、押し黙ったままだけど驚く様子もない。

ある日、研究員はこぞって行列を成して機材を積み込んだトラックで遠方を目指して出発する。その家族たちは、隊列が向かった方向とは違う遠望の効く山の頂点を目指す。そこで輝かしい閃光を見るためだ。

「あたし」の夫だけは、隊列には加わろうとせずそれに背を向けるようにして家にこもる。身ごもっていた「あたし」は、その夫とふたりで部屋のなかでひっそりと身を潜める。

ユダヤ人の聖典「タナハ」(旧約聖書)「創世記」では、神がまず「光あれ」と言う。すると光が現れ、闇とを分けた。それが天地創造の第一日の朝となる。

「わたし」の祖先の国の神話は、それとはだいぶ違う。背中合わせで決して顔を合わせないというほどに、とても対照的。

女神のイザナミの「成なり成なりて、成なり合あはざるところ」を、男神のイザナギの「成り成りて成り余あまれるところ」で「刺し塞たぎ」て、国を生み成す。…それが「古事記」の国生みの物語。

作者は、この小説の表題のいわれをひと言も語っていません。

でも、もともと作者は、胚胎というありふれている生の営みの、えも知れぬ不思議に、並々ならぬ関心をもって小説を書きつづってきたところもあります。それは、皮肉たっぷりのユーモアにあふれているけど、どこかに生命のぬくもりを感じさせます。今の私たちは、そういう辛辣な矛盾から逃れられないところに生きています。

この作家の傑作かもしれない。


新古事記_1.jpg

新 古事記
村田喜代子
講談社
2023年8月8日 第一刷

初出(「新「古事記」an impossible story) 「群像」連載 2022年~23年

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