SSブログ

ある官僚の死 [自転車散策・紀行]

僕たちは、八ッ場ダムに行った。

碧水を満々と湛え静かに、しかし、堂々と渓谷の美景のなかに眠っている。

IMG_1026_1.JPG

大学時代の仲間たちとともに、このダムの工事のために命を削った畏友の慰霊をするためだった。

政治に翻弄され続けたダムの建設工事。

彼は、その工事事務所の所長だった。

県立高校時代はボート部のキャプテンだった彼は、川をこよなく愛した。だから、いつも「水辺と人間との共生」という理想を抱き夢を追っていた。

だが、水運が廃れ、土地利用に余裕のない現代の日本では、広々とした河川敷や遊水池、流速を落とすための河川の蛇行すらも許されない。そんな人間の生活と対立的におかれがちな河川行政に悩んだ。

IMG_1024_1.JPG

工事事務所長は工事監督というよりも、国土行政の最前線の指揮官。「ダムづくりは地域づくりである」を標榜し、用地補償、代替地計画など地元との交渉の先頭に立つ。地元住民の意向を汲みながら、うまちづくりの絵を描き、賛成と反対が対立する地元の説得・とりまとめ、交渉に奔走し、心身を消耗する日々が続く。

彼は体調を崩した。

ある時、突然、山を下りて霞ヶ関に同僚を訪ねてきた。総髪は真白となりよれよれの作業服姿を見て、本庁の受付は異端者の闖入かとたじろいだという。その晩、大学以来の私たち友人のひとりでもあるその同僚と痛飲した彼はそれでも多くは語らなかったという。

やがてラインを外れ公益法人の閑職へと天下った。そして、早過ぎる死。食道ガンで彼が逝ったのは平成19年(2007年)のことだった。

IMG_1006_1.JPG

彼の死の2年後に、「コンクリートから人へ」をスローガンに政権交代を果たした鳩山政権が、八ッ場ダム中止を唐突に宣言する。着工にまでこぎ着けた友人の血を吐く思いを知るだけに僕たちは憤ったが、政権はあっという間に前言を翻して再開を決定する。身勝手な政治の無責任さに鼻白む思いだったが、そんなことも今は昔のこと。

IMG_1019_1.JPG

湖岸の展望台に、仲間たち14名(ひとりは声なき遺影だが)が集まった。

僕らは声を枯らして大学の応援歌を歌った。

IMG_1009_1.JPG

nice!(0)  コメント(0)