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シューマンとブラームスのあいだ (紀尾井ホール室内管) [コンサート]

リチャード・エガーは、紀尾井ホール室内管弦楽団から、新しい響きを引き出していました。

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紀尾井ホール室内管は、弦楽器が主体的にリードするオケ。まさに室内オーケストラそのもので、そこに在京オケの首席クラスの名人ソリスト達が室内楽的な音楽の彩色装飾を華やかに奏でる。響きの主体は、あくまでも、弦楽器群。

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リチャード・エガーも、長年、エンシェント室内管弦楽団の音楽監督を務めるなど、室内オーケストラの達人ともいえる指揮者。今年からは、セント・ポール室内管にもアーティスティック・パートナーとして招聘されているそうです。

ところが、この日の紀尾井ホール室内管は、むしろ、ベートーヴェンやシューベルト以降の古典的2管編成そのものの厚い響き。特に3本のトロンボーンが加わったことで分厚いまでの前期ロマン派のフルオーケストラのトゥッティが鳴り響きました。

それは、8-6-6-4-2という弦5部と対等、あるいは、時にそれを凌駕するような響きの主体として鳴ります。しかも、この日は、このオーケストラとしては珍しく、第一、第二ヴァイオリンが左右に振り分けられる両翼対向型・低弦左の配置でした。明らかに19世紀のロマン派のオーケストレーションを意識したもの。

その響きは、最初のシューマン唯一のオペラ「ゲノフェーファ」序曲から力強く全開です。

後半は、そのシューマンから導き出されたかのようなブラームス。シューマンは若きブラームスをドイツ古典音楽の正統な後継者として世に送り出したのですが、そのブラームスは、むしろ、シューマンが導いた路線を踏襲し発展させることを意識の奥底に潜ませていたような人。そのことが、この交響曲の響きを聴くとひしひしと伝わってきます。その響きというのは、20世紀半ばに活躍したカラヤンとかベームとかの巨匠たちの大オーケストラの、私たちの耳にはむしろ親しみのあるブラームスの響きとは明らかに違うのです。そこにこそリチャード・エガーが、紀尾井ホール室内管から引き出した2管編成の響きの真骨頂があったという気がします。……ただ、ここまで来ると、コントラバス2台にこだわる意味合いを聞いてみたい気もしてきます。

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そして、そのあいだには、注目の佐藤俊介によるシューマンの協奏曲。

この協奏曲が若きヨアヒムの要請を受けて作曲されたのは、ブラームスがシューマンへの師事を求めにデュッセルドルフを訪れた時期と重なります。その手には、その若きヨアヒムの紹介状が握られていたといいます。

まさに、この協奏曲は、そういう若者たちにシューマンが託したドイツ古典派音楽の継承への高らかな宣言と、祝祭慶賀的気分が満ちています。佐藤は、バロックヴァイオリンとモダンの二刀流として、そういう明るい気分で厳粛なバロック的様式、音調と、ロマン派の個人主義的な雄渾な瞑想とを実にうまく両立させて、この曲の、長く封印されて演奏されなかった謎めいた秘密や少々難解な流れを乗りこなしていきます。

この曲が、戦前、ヨアヒムの蔵書から「発見」され、クーレンカンプの独奏、ベーム/ベルリン・フィルの共演で初演されて以来、演奏不可能な箇所の修正などをめぐって物議さえ醸したという難関だらけにもかかわらず、佐藤は呆れるほどに軽やかに弾き進めていくのです。

アンコールで佐藤が弾いたのは、超絶技巧のパガニーニ。

そのパガニーニの明快で短いピースには、重音、三重音、四重音の技巧がぎっしりと詰まっていて、しかもその曲調は意外にも軍隊行進曲風のドイツ的な訛りで満ちています。それは、今しがた聴き終わったばかりのシューマンの余韻が明らかに漂っていて、弾き終わってにっこり笑う佐藤には、からくりを解いたと言わんばかりの得意満面の表情が浮かんでいて爽快でした。
 
 
 
 
 
 
 
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紀尾井ホール室内管弦楽団 第119回定期演奏会
2019年11月8日(金) 19:00
東京・四谷 紀尾井ホール
(2階センター 2列3番)

リチャード・エガー(指揮)
佐藤俊介(Vn)
紀尾井ホール室内管弦楽団
(コンサートマスター:玉井菜採)

シューマン:歌劇「ゲノフェーファ」序曲 Op.81
シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 WoO23
(アンコール:佐藤俊介)
 パガニーニ:「24のカプリース」から第14番


ブラームス:交響曲第2番ニ長調 Op.73

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