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「不寛容論」(森本あんり著)読了 [読書]

「寛容」とは、「不寛容」と逆接的で表裏をなす。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

そう言ったのはヴォルテール。恐らく本書の表題は、そのヴォルテールの「寛容論」をもじったものだろう。

私たちはともすれば「寛容」を一種の徳と受けとめがちだけれども、実のところは激しくぶつかり合う矛盾と葛藤に満ちた自己撞着を抱えている。もともと島国の単一民族で定住性の高い日本人にとっては、「寛容」と言われると「みんな仲良く」といった安易な理解に流れがち。むしろ「寛容」とは残虐な「不寛容」の歴史があってこそ成立しえたもの。

著者は、神学・宗教学者で、プリンストン大学に学び、特にアメリカ植民地時代からの宗教史に詳しい。

本書では、まず、中世から近世にかけての「寛容」の哲学史を振り返る。それは、異端、異教の歴史から、宗教革命をめぐる宗教と政治の対立の歴史である。西欧の近代国家の成立とは、すなわち、カトリックとプロテスタントの闘いから生まれた。プロテスタントは、カトリックの支配を絶つことで独立を果たし、カトリックは神権と王権を切り離す政教分離から、民主主義を勝ち取っていく。

しかし、イギリスは、大陸の国々と違って国教教会というカトリックとプロテスタントのいいとこ取りをしたからややこしい。それに反発したピューリタンは迫害の果てに、新大陸へと信仰の自由を求めて移住する。ところが、「厄介者の避難所」に逃れたそのピューリタンも、植民地統治の合意と秩序を維持するために、他のプロテスタント宗派を迫害し始めたからややこしくなる。

そして、ここに本書のヒーローであるロジャー・ウィリアムズが登場する。

ロジャー・ウィリアムズとは、アメリカに移住したピューリタンで、先住民(アメリカインディアン)とも親交し、ロードアイランド植民地の設立者ともなる。その新植民地設立に当たっては、徹底的な政教分離を貫いた。市民契約という住民合意による社会統治や信仰の自由の原則を打ち立て、まさにアメリカ型民主主義の元祖ともいうべき人。

アメリカインディアンの先住権を認め、一夫多妻のクェーカー徒や異教のユダヤ人(ユダヤ教徒)やトルコ人(イスラム教徒)との共存も許容するのだから、まさに「寛容」の人というべきだが、実際のところは既存のマサチューセッツ植民ではああれこれと衝突を繰り返すトラブルメーカー。『植民の土地は《空白の土地》ではなく、もともとはインディアンのものだから、土地所有権は、英国王の特許状に依拠すべきではない』『宣誓は宗教行為だから住民に強要すべきではない』などという異議申し立ては、とうてい政権の受け入れられることではなく、ついにウィリアムズは厳冬のなかを身ひとつで追放される。ウィリアムズは徹底した「不寛容」の人だったわけだ。

アメリカ合衆国というのは、主権在民で徹底している。その大前提が政教分離と信仰の自由。その市民契約の存立がそれぞれの植民地の成立であり、それらが独立にともない連邦政府を成す。それはイギリス本国のピューリタン革命やフランス革命に先行し、その考え方はアメリカの憲法のもととなった。

アメリカの民主主義というのは、わかっているようでいてなかなかわかりにくい。本書は、その成り立ちを、中世の宗教哲学やアメリカ植民時代に遡ってひもといているので、なるほどそういうことだったのかの連続。しかも、ロジャー・ウィリアムズという強烈な人格から生み出されるエピソードはまさに逆転人生の連続。

ウィリアムズを追放した植民地政権のウィンスロップとは、生涯にわたって親交があり、しばしば助言を求め合うような信頼関係にあったという。追放の際に、逮捕を逃れるように内通したのは、実は追放令発出の当の本人であるウィンスロップだったというから、これまたややこしい。

「寛容」は善、「不寛容」は不徳…というような対立感情の善悪論で考えがちの日本人は、こういう問題が一番苦手なのではなかろうか。日本の外交音痴もそういうところにあるのかもしれない。




不寛容論_1.jpg


不寛容論: アメリカが生んだ「共存」の哲学
森本あんり著
新潮新書

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