この世の雑音と悪意の上に (アンヌ・ケフェレック ピアノ・リサイタル) [コンサート]
本来は別の場所で聴くはずだったこのリサイタル。感染症対策の入国制限で来日が危うくなり、そちらの方は先月初めに公演中止となってしまいました。一方で、このさいたま芸術劇場の公演はスケジュール確認中とのことだったので、あわててそちらのチケットを購入しました。
何としてもこのひとのピアノが聴きたかったのです。
ウクライナへのロシア侵攻で事態はさらに悪化したのですが、結局、ケフェレックさんは先週の16日に来日を果たします。おそらく航路は変更となっていて、本来よりも3、4時間も余計にかけてのフライトのはず。さぞやお疲れだったと思います。
キャンセルとなったのは、むしろ日程が先の方の公演なのが不思議な気がします。すでに横浜のフィリアホールでの公演を済ませていますが、4月の公演はいずれもキャンセル。むしろ5月、6月の公演は予定されています。それまでどうされるのでしょうか。どのようなスケジュール調整がされたのかは不明です。
黒地に花柄のシックなドレスで登場。威厳もあって、それでいて柔らかなたたずまいと品のある穏やかな笑顔が素敵。背筋をピンと伸ばし、足元は黒いヒールシューズでしっかりとした足取りも印象的。
予定されていたハイドンのソナタは、バッハのピアノ編曲版の小曲が並ぶプログラムに変更となりました。いまのこの時、どうしてもバッハを聴いて欲しいとの希望で変更となったそうです。前半後半とずらりと小品が並ぶことになりましたが、拍手無しでずっと通して演奏されることが事前に知らされて、そのことは客席にも十分に行き渡っていました。
そのバッハを聴いて、ほんとうに心穏やかな気持ちになりました。
音にしっかりとした芯があって、色彩が濃くて重みがある。しっとりと落ち着いた運びと歌を聴いていると、自然と瞑目し呼吸もゆっくりと深くなっていきます。こういうピアノはほんとうに久しぶりに聴くという思いがします。
拍手の間合いをとって、その次はモーツァルト。
バッハと違ってモーツァルトは朗らかで希望に満ちています。それでも軽薄な楽観や独善ではなくて、長調の明るい曲調であってもとても情が濃くて深みがある。かつてケフェレックさんは、「モーツァルトはこの世の雑音と悪意の上に、人間的行為というハチミツとミルクを注ぐ」と言ったそうです。まさにいまの状況だからこそ、そういうふうに心に響くモーツァルトでした。
後半は、サティの曲をちりばめながら、フレンチピアニズムを逍遥するひととき。
その口開けのサティを聴いて、はっとさせられました。サティは、確かにお洒落な家具のような音楽。いろいろなピアニストの演奏を聴いてきましたが、透明で美しいものかもしれないけど、ともすれば軽くて芯がなく、自動ピアノのように無表情。それこそがサティの洒脱さとも思わせますが、ケフェレックさんの演奏は違う。深刻ぶったところがひとつもないのに、憂いや皮肉も含んでいて、世情に動じない教養と気品がある。
次々と演奏されていくプーランクや、セヴラック、アーン、ケクランの音楽はほんとうにフランスのエスプリが馥郁と匂い立つ。そればかりではなく、自然のさりげないもの音や鳥のさえずりなどといった、平和な日常への切ないまでに思い愛おしむ気持ちがこめられているのです。ドビュッシーの「月の光」なんて、こんなにも平穏で静かな夜を希求する気持ちにさせられたことはありません。ラヴェルの「悲しい鳥たち」がこんな曲だったなんて…思いもよらなかった。最後のフローラン・シュミット「弔いの鐘」には、静かだけれどもこみ上げてくるような悲しみと怒りを感じて呆然とさせられたのです。
アンコールには、ウクライナの人々のことを想い献げたいとショパンの「幻想即興曲」が弾かれました。
アンヌ・ケフェレック ピアノ・リサイタル
2022年3月14日(春分の日)15:00
埼玉県与野・彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
(1階 G列17番)
J. S. バッハ:
いざ来たれ、異教徒の救い主よ BWV 659(ブゾーニ編曲)
《協奏曲 ニ短調》BWV 974より第2楽章(マルチェロ:オーボエ協奏曲)
《協奏曲 ニ短調》BWV 596より第4楽章(ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲)
ヘンデル:《組曲 変ロ長調》HWV 434より〈メヌエット〉(ケンプ編曲)
J. S. バッハ:カンタータ「心と口と行いと生活が」BWV147より
コラール“〉、主よ、人の望みの喜びよ”(ヘス編曲)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 KV 333 (315c)
サティ:
グノシェンヌ 第1番
ジムノペディ 第1番
プーランク:バレエ音楽《ジャンヌの扇》より〈田園〉
セヴラック:《休暇の日々から 第1集》より 第6曲〈古いオルゴールが聴こえるとき〉
サティ:グノシェンヌ 第3番
アーン:《当惑したナイチンゲール》より
第52曲〈冬〉
第49曲〈夢みるベンチ〉
ドビュッシー:《ベルガマスク組曲》より 第3曲〈月の光〉
ラヴェル:《鏡》より 第2曲〈悲しい鳥たち〉
サティ:ジムノペディ 第3番
ケクラン:《陸景と海景》作品63より 第100曲〈漁夫の歌〉
フローラン・シュミット:《秘められた音楽 第2集》作品29より 第6曲〈弔いの鐘〉
(アンコール)
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
何としてもこのひとのピアノが聴きたかったのです。
ウクライナへのロシア侵攻で事態はさらに悪化したのですが、結局、ケフェレックさんは先週の16日に来日を果たします。おそらく航路は変更となっていて、本来よりも3、4時間も余計にかけてのフライトのはず。さぞやお疲れだったと思います。
キャンセルとなったのは、むしろ日程が先の方の公演なのが不思議な気がします。すでに横浜のフィリアホールでの公演を済ませていますが、4月の公演はいずれもキャンセル。むしろ5月、6月の公演は予定されています。それまでどうされるのでしょうか。どのようなスケジュール調整がされたのかは不明です。
黒地に花柄のシックなドレスで登場。威厳もあって、それでいて柔らかなたたずまいと品のある穏やかな笑顔が素敵。背筋をピンと伸ばし、足元は黒いヒールシューズでしっかりとした足取りも印象的。
予定されていたハイドンのソナタは、バッハのピアノ編曲版の小曲が並ぶプログラムに変更となりました。いまのこの時、どうしてもバッハを聴いて欲しいとの希望で変更となったそうです。前半後半とずらりと小品が並ぶことになりましたが、拍手無しでずっと通して演奏されることが事前に知らされて、そのことは客席にも十分に行き渡っていました。
そのバッハを聴いて、ほんとうに心穏やかな気持ちになりました。
音にしっかりとした芯があって、色彩が濃くて重みがある。しっとりと落ち着いた運びと歌を聴いていると、自然と瞑目し呼吸もゆっくりと深くなっていきます。こういうピアノはほんとうに久しぶりに聴くという思いがします。
拍手の間合いをとって、その次はモーツァルト。
バッハと違ってモーツァルトは朗らかで希望に満ちています。それでも軽薄な楽観や独善ではなくて、長調の明るい曲調であってもとても情が濃くて深みがある。かつてケフェレックさんは、「モーツァルトはこの世の雑音と悪意の上に、人間的行為というハチミツとミルクを注ぐ」と言ったそうです。まさにいまの状況だからこそ、そういうふうに心に響くモーツァルトでした。
後半は、サティの曲をちりばめながら、フレンチピアニズムを逍遥するひととき。
その口開けのサティを聴いて、はっとさせられました。サティは、確かにお洒落な家具のような音楽。いろいろなピアニストの演奏を聴いてきましたが、透明で美しいものかもしれないけど、ともすれば軽くて芯がなく、自動ピアノのように無表情。それこそがサティの洒脱さとも思わせますが、ケフェレックさんの演奏は違う。深刻ぶったところがひとつもないのに、憂いや皮肉も含んでいて、世情に動じない教養と気品がある。
次々と演奏されていくプーランクや、セヴラック、アーン、ケクランの音楽はほんとうにフランスのエスプリが馥郁と匂い立つ。そればかりではなく、自然のさりげないもの音や鳥のさえずりなどといった、平和な日常への切ないまでに思い愛おしむ気持ちがこめられているのです。ドビュッシーの「月の光」なんて、こんなにも平穏で静かな夜を希求する気持ちにさせられたことはありません。ラヴェルの「悲しい鳥たち」がこんな曲だったなんて…思いもよらなかった。最後のフローラン・シュミット「弔いの鐘」には、静かだけれどもこみ上げてくるような悲しみと怒りを感じて呆然とさせられたのです。
アンコールには、ウクライナの人々のことを想い献げたいとショパンの「幻想即興曲」が弾かれました。
アンヌ・ケフェレック ピアノ・リサイタル
2022年3月14日(春分の日)15:00
埼玉県与野・彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
(1階 G列17番)
J. S. バッハ:
いざ来たれ、異教徒の救い主よ BWV 659(ブゾーニ編曲)
《協奏曲 ニ短調》BWV 974より第2楽章(マルチェロ:オーボエ協奏曲)
《協奏曲 ニ短調》BWV 596より第4楽章(ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲)
ヘンデル:《組曲 変ロ長調》HWV 434より〈メヌエット〉(ケンプ編曲)
J. S. バッハ:カンタータ「心と口と行いと生活が」BWV147より
コラール“〉、主よ、人の望みの喜びよ”(ヘス編曲)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 KV 333 (315c)
サティ:
グノシェンヌ 第1番
ジムノペディ 第1番
プーランク:バレエ音楽《ジャンヌの扇》より〈田園〉
セヴラック:《休暇の日々から 第1集》より 第6曲〈古いオルゴールが聴こえるとき〉
サティ:グノシェンヌ 第3番
アーン:《当惑したナイチンゲール》より
第52曲〈冬〉
第49曲〈夢みるベンチ〉
ドビュッシー:《ベルガマスク組曲》より 第3曲〈月の光〉
ラヴェル:《鏡》より 第2曲〈悲しい鳥たち〉
サティ:ジムノペディ 第3番
ケクラン:《陸景と海景》作品63より 第100曲〈漁夫の歌〉
フローラン・シュミット:《秘められた音楽 第2集》作品29より 第6曲〈弔いの鐘〉
(アンコール)
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
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