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唐 ― 東ユーラシアの大帝国(森部 豊 著)読了 [読書]

まさに「目からウロコ」の中国史。

そもそもこれだけ「唐」王朝に限定して徹底的に俯瞰した本がいままでにない。

しかも、徹底的に政治史なのだ。

唐といえば、詩文などの文学、水墨画などの書画、唐三彩に代表される陶器など、むしろ文化史中心に論じられることが多い。ところが本書は、そんなものには目もくれないというわけだ。

資治通鑑のように、唐を歴代の中国王朝のひとつとして見るのがふつう。しかし、本書のように東ユーラシア帝国のひとつとして見ると、まるで風景が変わってくる。

漢族支配の王朝なのか、あるいは漢族以外の民族による「征服王朝」なのか、という単純な二分類で見るとなかなか見えてこない中国史の実相も様々に浮かび上がってくる。そもそも唐は、漢人の李淵が随から禅譲建国したとされているが、実は李淵は漢人ではない。そのことは古くから疑義がもたれていたという。唐は、むしろ、遊牧民が中心となって成立した国家なのだ。

王統をめぐる政争にも中央アジアのオアシスに依拠したイラン系農耕民族であるソグド人を始めとする漢族以外の種々の民族が複雑に絡んでいるし、歴代の皇帝にも遊牧民の気質が強く覗えるという。武周革命のなかで武則天(則天武后)を支えたのは、ブレーンとなった仏教僧侶・法蔵がソグド人であったほか、法典整備や都市建設に携わったのも中央アジア出身の「湖人」であったという。

唐の内憂外患にもことごとくこうした漢人以外の民族の血統が絡む。チベット帝国との対峙を巡っては多くの遊牧民が軍人として登用され、辺境には彼らの地方軍閥が盤踞し帰順と離反を繰り返す。関中と河北との地域的確執も種族と文化の対立とも見なせる。唐の外縁は、東ユーラシアの遊牧民族と農耕民族との混住地域でもあった。

何よりも、唐王朝を揺るがした《安史の乱》の安禄山は、トルコ系遊牧民族の突厥(テュルク)の名族の出身であり母親はシャーマンだった。唐滅亡のきっかけとなった「黄巣の乱」も内乱と見られるが、ユーラシア東南沿岸部の独立運動とも見なせるという。黄巣の反乱軍は、華中、華南を遊撃転戦していくが、逃げ込んだ広州では抵抗する20万ものイスラム教徒やキリスト教徒を殺害したという。当時の広州は、南海貿易の最大の窓口だったのだという。

こうした多民族国家は、その財政政治制度にも大きく関わっていく。律令国家は民衆を徴用することで成り立つ軍事国家だが、大唐帝国は、機動的な遊牧民族の軍事力に依存することで次第に徴税に重きをなす財政国家へと変貌していく。中央集権とはいいながら、地方毎に世襲化した節度使などを封じる二層的な政治体制が中国政治の基本形になっていく。これはもともと、定着的な農耕民族やその交易拠点を支配する遊牧民族の統治体制がその原型となっている。逆に、遊牧民がこうした支配体制を維持していくためのノウハウは、中央からあぶれた科挙(文人官僚)を起用し、それを通じて漢人から多くのものを吸収していったという。

著者の経歴が面白い。

もともとは中国武術にはまる中学生だったという。中国武術を極めるために中国語を習得しようと外国語大学を目指そうとしたが英語が苦手。そこで地元の愛知大学の存在に気がついた。愛知大学とは、単なる地方の私大ではない。その前身は「中国学」のメッカである上海・東亜同文書院。日本の敗戦により解散したが、学長だった本間喜一が中心となり創設され、多くの教職員や学生を受け入れた。

その著者が、新たに発掘された墓誌や石誌の文字解読に関わっていく。本書は、そうした研究成果もふんだんに活用されている。伝統的な官学の漢籍読解中心の中国史に新たな光を当てている実学的アプローチこそ魅力。

中華思想がどうとか、覇権膨張主義、少数民族迫害だとか、そういう反中・嫌中一辺倒の中国観に一石を投ずる歴史のリアルも感じさせてくれる。そのことは現代中国の理解も深めてくれるだろう。

とにかく慣れない人名、地名が氾濫し、血なまぐさい権謀術数の連続で、なかなかこなれないところはあるが、中国に興味がある人にはぜひお勧めしたい。



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唐 ― 東ユーラシアの大帝国
森部 豊 著
中公新書 2742
2023年3月25日 発行

タグ:中国史
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