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「ウクライナ戦争」(小泉 悠 著)読了 [読書]

著者も述べている通り、終わりの見えない現在進行中のこの戦争を追っている限りでは限界もある。けれども、もはやあり得ないと言われていた国家対国家の大戦争が現実には起こっているという衝撃は大きく、誰しもが「なぜ?」という疑問を持っているはず。本書は、そういう衝撃的疑問に十分答えている。

まずは開戦に至るまでの経緯と開戦前夜を第1章と第2章で解き明かす。続いて第3章と第4章では開戦直後から、戦争が長期化の様相を確実にした昨年の夏頃までの経過をつぶさに追っていく。ここらあたりはとても読み応えがある。

プーチンは、国家対国家の大戦争を起こす意図はなかったし、今でもそういう戦争
をしているという自覚もないのではないか。この点で、ウクライナ侵攻がKGB出身のプーチン好みの、内通者とごく一部の精鋭で数日のうちにゼレンスキー政権を転覆する計画だったということを活写する。それがあっけなく挫折し、同時に侵攻したウクライナ南部と東部でやむなく地域紛争の形で継続せざるを得ない状況に陥っているという分析は鋭い。

プーチンの誤算は、謀略の内実があまりにもずさんだったこと。

しかもゼレンスキー政権が思わぬ抵抗力を見せた。ウクライナは、誰もが予想しないほどに果敢に抵抗し、緒戦の反撃に成功した。ゼレンスキーが背中を見せなかったことで戦争遂行について国民の絶大な支持を受け、古典的な国民戦争の様相を現したことだ。その挫折は、現代的な情報戦やハイテク戦力の底が知れていたことを露呈し、結局は、戦闘員だけでなく市民をも無差別に巻き込む死屍累々たる残虐な古典的大戦争の軍隊の本質がむき出しになってしまう。

しかし、それでもプーチンは国家対国家の戦争になっていることを認めない。

自分たちの失敗を糊塗し、地位を守ろうとする将軍たちは、他に戦いようがないからある限りの古典的な重火器を動員して物量でウクライナを押しに押そうとするが、それはもはや前進は放棄した侵攻地域確保の戦いに過ぎない。ミサイルや無人機攻撃などは、平時の地図情報のみだから大型インフラや市街地の攻撃しかできない。緒戦の失敗で近代化の表層が剥がれ落ちたら、第二次世界大戦以来のロシア国軍の古い地層しか残っていなかったということがであって、プーチンの政治的意図と戦争遂行のメカニズムとの間には、第三者からは憶測のしようがないギャップがある。

今後の問題は、核の行使とNATO軍との直接の交戦といった戦争のエスカレーションだ。

このことに著者は、どちらかといえば楽観的だ。核は使えないということで、米欧露は共通しているというのだ。たとえ戦術核であっても使ったら最後、人類誰もが予想もつかない様相にまで一気にエスカレートしていく。そういう恐怖を共有する。核は使えないから抑止力として機能する。

しかし、そういう核兵器観もまさに冷戦時代までの古典的思考ではないのか?

本書は、昨年9月時点での著述であることを断っている。ドイツやアメリカが主力戦車の供与を表明したのは今年2023年に入ってから。その後は、主力戦闘機や長射程ミサイルの供与などウクライナ支援の武器供与姿勢はどんどんと高度化していっている。

6月末のいまのこの瞬間まで、こうして供与された主力戦力が本来の戦闘力を発揮したとの兆候は薄い。やはり、こうした供与武器はゲームチェンジャーたり得ないのか?あるいはオペレーターの訓練等準備不足で本格的反抗が始まっていないのか。世界は固唾をのんでいるわけだが、この本ではそういう点で著者本来の軍事オタクとしての分析が及んでいない。

そこがとてももどかしい。






ウクライナ戦争.jpg


ウクライナ戦争
小泉 悠
ちくま新書(1967)
筑摩書房
2022年12月10日新刊

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