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「SX68サウンド」とオーディオバブル [オーディオ]

グレン・グールドの「二声と三声のインベンション」は、たまたま同じものが2枚ある。ジャケットの色合いが違う。何が違うのかとよく見てみると、一方は「SX68」の新しいカッティングで一方はそれ以前のもの。

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「SX68」とはノイマンの当時最新のカッティング・ヘッドのことで、CBSソニーは「SX68サウンド」と前面に掲げて積極的に高音質を謳っていた。最近、オーディオ仲間から「LPレコードはSX68になってから音が悪くなった(と言われている)。」と聞いた。

ある評論家によれば、五味康祐は「このノイマンSX68が音をきたなくした。これを褒めるやからは舌をかんで、死ね」とどこかで書いているそうだ。出所は明らかではない。少なくとも「オーディオ巡礼」にはそんなことはひと言も書いていなかった。

このLPは学生時代に夢中になって三日と空けず繰り返し聴いていたが、二枚になってからも音の違いなど認めず一方ばかりを聴いていた。SX68とそれ以前とはどう違うのか、せっかくなので二枚をじっくりと聴き較べてみた。

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聴いてみると確かに違う。SX68は、ピアノのタッチも明瞭で音色がきれい。低音弦の響きにも深みがある。ダイナミックス、周波数帯域ともにレンジが広いと感じる。例の「鼻歌」や気配も自然で奥行きが感じられる。旧盤は、おそらくウェストレックスのカッティングレースを使用していたのだろうが、よく言えば自然でまろやか。ピアノの打鍵もカドがとれて丸まっていて響きも甘い。驚くのはSNのよさ。SX68の新盤ではマスターのテープヒスが聞こえる。各々の曲間ではこれがすっと静まるのがわかる。

グールドのタッチや音色のデリカシーが伝わるという点で、私にはSX68のほうが明らかに優れているように思う。なぜ、前述のような評価が世にはばかるのだろうかと首を傾げてしまった。それこそ舌をかんで死んでしまえと言いたい気分だ。


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こうしたカッティングレースの革新の時代に、アンソニー・ニューマンの「ゴールドベルク変奏曲」がある。同じ頃のCBSソニー盤だが、よく見るとこちらは「SX68MARKⅡ」とある。

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「西独ノイマン社製カッティング・ヘッドSX68と、ソニー音響技術陣が新開発した全トランジスタ・アンプ及びコントロール・ユニットにより構成される最新鋭のカッティング・システムです。その優れた諸特性は、歪みのないツヤやかな音で、原音の最も忠実な再現を可能にしました。」ということだそうだ。

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なるほどSX68というのは、真空管とトランジスタとの端境期にあったわけで、SX68によるカッティングでも両者が混在していたようだ。ソニー技術陣は、高らかにオール・トランジスタ化を掲げて高音質を標榜したというわけだ。

このニューマンの録音は、すざまじい切れ込みと鮮やかなワイドレンジで、当時のバロックシーンにおいて少なからぬセンセーションだった。当時、当たり前のように使用されていたモダン・チェンバロではなくヒストリカル楽器を使用したことは画期的で、解説にも変奏毎に使用したストップが詳述されて、大いに蒙を啓くところがあった。

ところが、「チェンバロのホロヴィッツ」とやらの演奏はひどく表面的な技巧や新奇性に走っていて、録音もチェンバロの中にマイクを突っ込んで拾ったものらしく、まるでおもちゃ箱をひっくり返したように現実離れをしたあざとい音響。そのウソ臭さにすぐに聴き飽きてしまった。

思うにSX68の時代とは、素朴に「進歩」や「成長」を信じられる幸福感が支配していた最後の時代だったような気がする。決してSX68や半導体アンプが音響的に以前より劣化・退歩したわけではないが、技術信仰が暴走を始めると、自然な聴感よりも耳を驚かすようなステレオ感が優先され、現実離れした近接録音や音色の強調が行われていく。同じドンシャリでも、共鳴や固有振動、インピーダンスのうねりがもたらす「自然由来」のものと、人工的に作りあげるものとは、やはりかなりの違いがある。

価値観が多様化した現在からみれば、70年代は「オーディオ狂時代」であり、ある種のオーディオ・バブルが発生していた時代なのではないだろうか。
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