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ル・マルトー・サン・メートル (読響アンサンブル・シリーズ) [コンサート]

鈴木優人さんといえば、チェンバロなどの鍵盤楽器奏者にしてバッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者――古楽演奏家というイメージが先行しますが、このアンサンブルシリーズでは、20年にヴィヴァルディとケージを対峙させるなどの新しいアプローチで話題を呼びました。現代音楽についても素晴らしい理解とパフォーマンスを示す若く先鋭な感受性を持つ音楽家。むしろクリエイティブな現代音楽指揮者として目の離せない存在なのかもしれません。

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このシリーズ前回でも、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール)」を披露して鮮烈な印象を与えてくれました。その鈴木さんによれば、「ピエロ・リュネールまで来たら、もう必然的にここまで来ざるを得ない」というのが、今回の「ル・マルトー・サン・メートル」というわけです。

言うまでもありません。《作曲家》ピエール・ブーレーズの代表作。

実際、ブーレーズは、「ピエロ・リュネール」に強い影響を受けたと言っているそうです。編成も、アルトのソロと小さなアンサンブルという編成も共通です。プログラムは、その編成に沿って構築されているようです。出演は、指揮者の鈴木さん、アルトの湯川亜也子さんを含めて総勢12名。

最初は、ブーレーズの「デリーヴ1」。「ル・マルトー…」よりずっと後の80年代の作品。タイトルは「漂流/変動」を意味するフランス語だそうですが、確かに繰り返しが多くて雰囲気もずっと変わらない。意外に穏やかだけれど楽器間の相互作用というの緊張感のようなものに欠ける。

二曲目は、バッハがゴルトベルク変奏曲のテーマのバス進行、最初の8音をカノンにした曲。初版譜にバッハ自身が補遺として14のカノンを書き入れていたそうです。棋譜の解読が必要で、解決譜は鈴木さんが先達のものを参考にして、学生時代に編曲したものを手直ししたもの。音列技法など前衛と呼ばれた現代音楽の厳格の論理性や遊び心を示唆する意図があるのでしょうが、聴いた印象はちょっとした「おもちゃの交響曲」的な朴訥な音色と響きで、どこか微笑ましいものでした。

三曲目は、ドビュッシー。ここでアルト歌手の湯川亜也子さんが登場します。

マラルメの詩につけた曲は、どちらかと言えばラヴェルの方が知られていますし、編成も木管と弦楽が入っていたものなのですが、あえてドビュッシーのものが歌われました。やはり、無調とは言えませんが新規な和声法とかオリエンタリズムという点でドビュッシーのほうが現代音楽への影響が大きいことは間違いありません。けっこう難解な音楽で詩が聞き取れないのでひときわ理解が難しいと感じました。そろそろ声楽曲にはテキスト訳をプロジェクタでポップアップさせることを考えてほしいです。

前半最後は、クセナキス。

「プレクト」というのは「組みひも」の意だそうですが、ただひたすら変則的なリズムと点描的な熱力学的に雑然とした音の明滅がひたすら続き、タイトルからの連想とか作曲の意図がほとんど見えてこないという印象でした。とにかくアンサンブル技術としては壮絶なほどに複雑かつ難技巧で、それを見ているのがあっけにとられるほど面白く、その見事さに舌を巻くしかありません。その一方で、音楽的にはとてつもなく平板で退屈な時間でした。


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こうした音楽は、現代音楽のなかでも、かつて、特に「前衛」と呼ばれていました。

ブーレーズは、1971年にバーンスタインの辞任後の空白を埋める形でニューヨークフィルハーモニックの常任指揮者に就任しました。当時の、ショーンバーグの音楽批評にブーレーズらが主導した現代音楽運動を痛烈に皮肉ったものがあります。ショーンバーグは、その時代のニューヨークの聴衆の保守性を代弁するような批評家でした。ブーレーズが、取り入れた進取に富んだプログラムが物議をかもし、彼は転じて小さなホールでの現代音楽紹介に熱心に取り組みます。「ブーレーズの辻説法」と揶揄する一文では、皮肉たっぷりですに次のように記しています。

「ブーレーズが意見を述べている間、皆は感服して聴き入っていた。彼の言葉の一つ一つに気持ちよくついていった。そうだとも。作曲家と聴衆の間には確かに落差がある。音楽を健全な状態で将来に残そうとするならば、その亀裂をどうしても埋めなければならない。…ところが、音楽を聴くとどうか。…響きは退屈で、独創性は感じられなかった。」

さて…

休憩を経て、いよいよメインの「ル・マルトー・サン・メートル」。

これはとても素晴らしい体験でした。なるほどブーレーズというのはこういう風に知的で精緻な細密画のような美意識の音楽家だったんだと感得します。昔、FM放送か何かで聴いた記憶では、もっとごちゃごちゃしていて主張の強い騒がしい音楽というイメージがあったのですが、その頃の私には前衛音楽に対するバイアスがあったのだと思います。むしろ、静謐なたたずまいさえ感じます。音高・音価・音勢・強弱を量子化して組み合わせていく手法ですが、写実性や情感の起伏もあって美しい。打楽器によるガムランの響きとか、ギターによる琵琶のような撥弦楽器とか、東洋的なエキゾチシズムにも挑戦している。確かにシェーンベルクの点描法的手法の美学的な結実とも感じます。

こういう音楽を実際に目の当たりにする機会がこうやって訪れたのだと感慨深いものがあります。

最後に、鈴木優人さんが、先日亡くなられた一柳慧さんを偲んでのアンコール。こればもうまさに静謐さの極みのような音楽で仏教的な死生観さえ感じさせる感動的な演奏でした。

戦後の現代音楽の再演というのは、これからどんどん聴いていきたいと思いました。確かに、あの当時の実験音楽というのは、能書きばかりが先行していて聴衆と作曲者との間には深い溝が確かに存在したのだと思いますが、それが取り払われて通じ合える時代になってきたのだと思います。

素晴らしい試みでした。



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読響アンサンブル・シリーズ
第35回 《鈴木優人プロデュース/ル・マルトー・サン・メートル》
2022年10月20日(木) 19:30~
トッパンホール
(P列 12番)

指揮、ピアノ、プロデュース=鈴木優人(読響指揮者/クリエイティヴ・パートナー)
アルト(メゾ・ソプラノ)=湯川亜也子
ヴァイオリン=林悠介(コンサートマスター)
ヴィオラ=鈴木康浩(ソロ・ヴィオラ)
チェロ=富岡廉太郎(首席)
フルート=片爪大輔
クラリネット=芳賀史徳
打楽器=金子泰士、西久保友広、野本洋介
ギター=大萩康司
ピアノ=大井駿

ブーレーズ:デリーヴ1
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲の主題に基づく14のカノン BWV1087(鈴木優人 編)
ドビュッシー:マラルメの3つの詩
クセナキス:プレクト

ブーレーズ:ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)

(アンコール)
一柳慧:インター・コンツェルト 第2楽章 静寂の彼方へ

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