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「ハンガリー公使大久保利隆が見た三国同盟」(高川邦子 著)読了 [読書]

大久保利隆は、駐ハンガリー全権公使として、欧州の現場からドイツ不利との戦況を発信し続け、大島浩駐ドイツ大使による対ソ参戦の提言を断固阻止して、大島や東条英機の不興を買って左遷された気骨の外交官。決死の思いで帰国を果たし、「ドイツは持って、あと1年から1年半」とドイツ必敗を政府中枢に説いて回った。その予言は的中した。

先に読んだ、「ヒトラーに傾倒した男――A級戦犯・大島浩の告白」は、なんとも物足りない本だったが、この大久保公使の存在を教えてくれたことは有益だった。大島がほんとうは何をやっていたのか、戦後の独白といっても何も核心には触れていないことがわかる。軍人からの成り上がり大使が外交を壟断し外交軍事情報を歪めていたことが、こちらでは活写されている。

著者は、大久保の孫にあたり、確かに見内の著述だが、NHKの登録翻訳者として活動されていて、きっちりと取材していて実証性もしっかりとしている。敗戦時に日本の外交文書の原本の多くは失われているが、当時、日本の暗号はすべて解読されていて英国などにこうした傍受された日本側の通信文書が英文で残されていた。それを著者は丹念に読み解いて、祖父らの回顧禄や関係者の証言を裏付け肉付けしていく。

興味深いのは、枢軸国ハンガリーの政治外交の現実を生々しく証言していること。ハンガリーの政治家たちが決してナチやヒトラーに追随一辺倒だったわけではなく、和平を希求し、英米と密かに通ずるなど、国民が戦争に巻き込まれることを必死に回避しようとしていた経緯が語られる。ヒトラーに翻弄され、己の無力に絶望した首相が自死を選ぶなど、それは文字通り必死の行動だった。その時、日本は「バスに乗り遅れるな」と対英米開戦という破滅の道をまっしぐらに突き進んでいたことになる。

大久保が、そういう現状を日本に伝えようと病を口実に帰国したのは、決して、命惜しさの逃避離脱ではなかった。その覚悟と行程のなまなましい現実を知ると、これまた必死の行動であることがわかる。戦中のユーラシア大陸横断の旅は、現代の日本人には想像もつかない苦難の連続だった。事実、ソ連の通行ビザが下りずにイスタンブールなどで足止めされた日本人外交官の何人かが病死したり夫婦で自殺したりしているという。

帰国を果たした大久保は、政府要人に面会し欧州の実状を説き、昭和天皇に拝謁進講しても同じことを説いたが、耳を傾ける人物はいなかった。いよいよ敗戦濃厚となったとき、東郷外務大臣に「ソ連の宣戦は必至」と進言したが、政府はそれをかえりみることなく講和の仲介をソ連に託している。

とはいえ、大久保のご進講があってこそ、昭和天皇のいわゆる「聖断」があったともいえる。歴史に「イフ」は無いと言われるが、もし、大久保が対ソ参戦を阻止していなかったら、日本は分断国家の末路を迎えていたかもしれない。

「情報」というものがいかに大事なのか。そういう視点であの戦争を見る上で貴重な証言であり、多くの人々に読んでほしいと思う。




ハンガリー公使大久保利隆_1.jpg

ハンガリー公使大久保利隆が見た三国同盟
 ある外交官の戦時秘話
高川 邦子 (著)
芙蓉書房出版
タグ:三国同盟
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