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「アルツハイマー病研究、失敗の構造」(カール・ヘラップ 著)読了 [読書]

エーザイのアルツハイマー病の新薬「レカネマブ(商品名レケンビ)」が保険適用となり、認知症治療薬として投与が開始されたことが大きなニュースととなっている。

果たしてそれは《認知症》の治療や予防に決定的なものなのか?

高齢社会では膨大な数の認知症の要介護者を抱えている。高額な薬価への保険適用は、医療保険の財政の破綻を招かないのか?。介護支援と医療保険とどう折り合いをつけるのか?そうした懸念や疑問、批判の声が各方面から上がっている。保険適用は、社会全体から見れば、決してめでたいことではない。

本書は、アルツハイマー病研究を失敗だと断じ、その裏の事情を暴露し痛烈に批判している。

そもそも「レカネマブ」は万能の特効薬ではない。そのためにこれまで膨大な人材と研究資源が消尽され、その開発のために莫大な資金がつぎ込まれてきた。――それはなぜか?

「アルツハイマー病」とは、そもそもどんな病気か?

皆さんは、「アルツハイマー」と聞いて、すぐに思い浮かべる病状はどんなものだろうか。おおよそ次の3つから選んでみて下さい。(別に正解を問うテストではないのでお気軽にお答えください)

1.時間をかけて徐々に記憶力の障害が進行し、知的能力が損なわれ人格さえ変わってしまう恐ろしい脳の奇病。

2.脳に異常な物質が徐々に蓄積していき、脳組織が破壊されていくことによって引き起こされる重度の進行性認知障害。

3.高齢化によって認知障害が進み、痴ほう化が現れ、生活や家族関係など各方面に深刻な支障を生ずる、重度の老人性痴呆症。


さて、皆さんの答えはいかがでしょうか?おそらくほとんどの方が3.だと思われているのではないでしょうか。実際、かつての「痴呆症」とか「老人ボケ」といった言葉を「アルツハイマー」と冗談半分にせよ言い換えてしまうことは今やごくごく日常的なことになっていると思う。

私の世代では、2.だと思い込んでいる人も多い。私が「アルツハイマー」のことを知ったのは90年代初めごろ。当時、それが盛んに話題となったのは原因不明のこの認知障害の病の原因が解明されたと報じられたから。《異常な物質》とは、タンパク質の一種で「アミロイド(β)」と呼ばれるもの。それがなぜ蓄積されるかについては諸説あって、まだまだ謎だった。

歴史的には、1.が正しい。病名は、この新しい疾患を発見したドイツ人医師の名前にちなむ。アルツハイマーは、精神科医だが脳の解剖学研究にも興味を持ち、ひとりの患者の脳組織を顕微鏡で観察しその特異な病巣を発見した。長年、あくまでも「奇病」であって、希にしか発生しない病状だと見なされていた。

「アルツハイマー病」研究が拡がるのは、むしろ戦後のこと。寿命が延び、高齢化社会が進展するにつれ、身体的には頑健であっても認知の点で問題のある老人が増えてきた。有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになったのは1972年のことだった。その老人性認知症の症状は、「アルツハイマー病」とほとんど同じだった。かくて「アルツハイマー病」はまれに見る悲惨な奇病からありふれた認知症へと変貌する。3.が、現在の一般的な受け止めだと言ってよい。

つまり、1.も2.も3.も全て正解ということになる。時とともに「奇病」は、希に見る病気から、遺伝性も疑われる多発性の病気となり、今や誰もが避けることのできない老齢化に伴う症状として世の人々の恐怖心を煽っている。

しかし、「奇病」のそもそもの特異性とされた脳細胞構造の病巣にみられた異物がやがて脳病理学の進展によって「アミロイドβ」と特定されたことは画期的であったし、それが画像診断の進化によって老人性認知症患者にも共通して見られることもわかってきた。やがてこれがあたかも全ての痴呆症の病因であるかのような前提が学会に蔓延する。すなわち「アミロイドの蓄積がアルツハイマー型認知症を発症させる」という、いわゆる「アミロイドカスケード」仮説である。

著者によれば、実際のところはアミロイドが溜まるから認知症になるかどうかはわからないという。蓄積しても認知症になっていない人はいくらでもいるし、蓄積は80歳を超えると3分の1か、それ以上の半分近くにもなる。つまり、蓄積は老化の結果であって、それは認知症の原因とは見なされない。認知症が老化の結果なら、そのメカニズムは複雑で何が根本的な原因なのかは不明なのだ。

しかし、医学界も大学などの公的研究機関も、やがて「アミロイドカスケード」仮説に邁進することになる。アミロイド以外に病理を求める基礎研究はことごとく排除され研究費がつかない。製薬会社は、アミロイドを抑制する抗アミロイド薬の開発に躍起になる。その裏付けを構築するために、化学者ばかりでなく統計学者も動員され、複雑で怪しげな統計学的・疫学的見解がまかり通ることになる。

抗アミロイド薬によってアミロイド蓄積が抑制されても、認知症が治るわけではない。期待できるのは、最大限、その進行が止まることである。しかも、「アミロイド」原因説が仮説である以上、進行がとまるかどうかもわからない。最低限、患者にアミロイド蓄積があると診断されない限りは、投与することさえ意味がない。

一方で、高齢化による介護ニーズは高まるばかり。患者自身ばかりだけでなく家族の不安も高まる一方だ。《期待の新薬》に殺到するのは医者だけではない。誰だって、何とかしたいとすがりつきたくなる。

その費用は人・年あたり3百万円を超えるという。不可逆的な進行性の病気だから投与は死ぬまで続く。製薬会社の株価は高騰するかもしれないが、保険財政は破綻するかもしれない。その前に介護費用の負担との取り合いも問題になる。アミロイド蓄積が所見されることを前提にしてある程度の壁を設けるにしても、それ自体に時間と費用がかかることになる。

著者は、「では、ここからどうする?」としていくつもの提言を述べている。正直言って、医学界や基礎研究体制などの政治的裏事情はわからない。だから著者の主張はなかなかに読み取ることが難しい。要するに、「アミロイドカスケード」仮説一本やりはやめろということなんだろう。老人性認知症の研究は、時間をかけてじっくり取り組むべきだということ。

私たちは、老人性認知症に対して医学的医療だけに過度に頼ろうとせずに、社会全体で向き合うべきなんだと思う。




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アルツハイマー病研究、失敗の構造
カール・ヘラップ (著)
梶山あゆみ (翻訳)

みすず書房
2023年8月初刊 2023年11月20日第3刷

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