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「ごまかさないクラシック音楽」(岡田暁生 片山杜秀 共著)読了 [読書]

標題の「ごまかさない」とはどういう意味だろうか?

対談のひとり、岡田暁生氏は『はじめに』でこう語っています。

――興味を持ち始めたころ抱いた疑問は、後から振り返ってもしばしばことの核心をついている。だが納得できる答えを誰も与えてくれない――

クラシック音楽にまつわる、こうした5歳のチコちゃんの疑問を「ごまかさず」に真正面から向かい合って、本音で話し合おうというのがこの対談の趣旨であるというわけだ。

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岡田氏は、これからの音楽のあり方に懐疑的な音楽史学者。一方の片山氏は、現代音楽や現代聴衆の社会政治的背景の虚実を追求してきた政治学者。互いに、クラシック音楽と呼ばれるジャンルを熱烈に愛しながらも、かなりシニカルな言辞を投げつける音楽評論家…ということでは共通しています。

一方で、バッハ、ベートーヴェンを核心とする《クラシック》の本流から、それ以前の時代の源流へとその根源をアカデミックに探訪しようとする岡田氏と、むしろ下流側の現代へと、記憶の生々しい社会事象や個人的体験に結びつけてマニアックに問いかけるクラヲタの片山氏とは、まるで音楽的嗜好も思想的志向も違っていて対立的。

前半は、その上流の音楽史であって岡田氏が主導する。とはいえ、そもそも《クラシック音楽》というものは、大正・昭和の教養主義、スノッビズムであろうと、平成・令和の軽薄短小の同調主義であろうと、その愛好家が安易に考えているような「音楽は世界の共通語」「人類みな兄弟」的なお花畑ではない…ということで妙に二人の平仄は合ってしまう。

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がぜん面白くなるのは、近現代に話題が下ってくる後半。主導権は次第に片山氏へと移るわけだが、二人とも、近代資本主義や二十世紀の全体主義、戦後の冷戦時代の現実が芸術全体に落としたどす黒い影は熟知しているから、クラシック音楽の背景に潜んでいる自由主義と全体主義という政治イデオロギー対立ということでは一致する。そうした後ろ暗い陰の世界を暴き立ててばっさりと裁ち切るところで意気投合するところが面白い。

今や、自由主義的民主主義も行き詰まっていているから、さすがにクラシック音楽好きといえども、西洋正統音楽こそが唯一にして純真無垢な正義の哲人であって、グローバルな世界の善良なる文化だとは、素直に信じ切れなくなっているはずだ。

「クラシック音楽は死んだ("Musik ist tot")」

そんなところが二人の意気投合の帰結であるように思う。

だから、本書は決して《入門書》ではない。「5歳…(実はン十歳)の疑問」に答えるということでは、相当のクラシック上級者向け。

読者のほうこそ、果たしてどこまで、自分をごまかさないで受け入れることができるか?



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ごまかさないクラシック音楽
岡田 暁生 (著), 片山 杜秀 (著)

新潮選書
2023/5/25 発刊
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