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アナログ巡礼 [オーディオ]

LPのクリーニングに明け暮れる毎日。
LPをせっせと洗い磨き上げる。翌日は、前日に洗ったLPの針通しをしながらまた次のLPをせっせと洗い磨く。洗い終わると針通しを済ませたLPを聴いてみる。ここのところこのくり返し。
レコード棚のディスクを片っ端から洗っていこうというプロジェクトは、同時にLPを片っ端から聴いていこうという巡礼の旅。
最近、次々とアナログ再生の達人の方々の薫陶を受けて、これまた自分の脳裏に浮かんでくるのが昨年読んだ五味康祐の「オーディオ巡礼」。その中で五味は辛辣な言葉を投げかけていますが、そのひとつに『コレクションを自慢する輩は、クラシックたるとジャズたるとを問わず阿呆だ』というのがあります。
『コレクションの自慢』というのは、「何千枚持っている」というように数を自慢することのこと。五味によれば『碌でもないレコードを何百枚も持つ手合いは余程の暇人かアホウ』『コレクションに何枚所蔵しているかより、何枚しか持っていないのかを糺した方が、その人の音楽的教養・趣味性の高さを証すよすがとならないか』ということになる。
五味の所蔵は『五百枚程度』だったらしく、私の所蔵もそれを大きく逸脱する数ではないからひとまずはほっとします(苦笑)。もちろんCDも含めての話しですが。とはいえ五味の本旨は「少ない枚数=>選択=>捨てる」ことにあったわけで、私の場合は捨てたこともないし、つまりは要するに財力がなかっただけのこと。しかも、150枚ほどのLPは父親から引き継いだものだから自慢にも謙遜にもなりやしない。
たったそれだけの枚数であっても、どれだけのものをくり返し聴いているのかというと内心忸怩たるものがあります。ましてやLPに至ってはCDの便利さに流れ、しかも古臭い音がするという気がしてなかなか聴くことがありませんでした。たまに聴くことがあってもどうしても数が限られたものになってしまいます。中には、ものごころついて50年以上も身近にあって聴いた記憶がないものさえある始末です。
だからこそ、いつか端から端まで全て通して聴いてみたいと思っていました。
アームを刷新して、ていねいに洗い磨き上げてから聴いてみると、どれもが新鮮で生命にあふれた音がしてびっくりします。
今日は、ブレンデルのバッハを聴きました。これはかつてくり返し聴いた思い出深いLP。あらためて聴いてみるとデジタルのクリアでレンジの広い音に慣れた今の耳にも鮮烈なほどに繊細でダイナミックな音がします。
針を落とすとなかなかリーダー部に入っていきません。よく見るとこのディスクは外周の縁が高くなっていない。通常は、外に落ちるのを防止しグルーブに針がスムースに入っていくように縁が高くなっているはず。ピュアストレートはインサイドフォースがないのでまったく流れないのです。こんなことに今さら気がつきました。ディスクは日本フォノグラムのフィリップス国内盤。
最終トラックが終わる寸前にも磨いても取れないわずかなノイズがあります。多分、インサイドフォースの調整がまずくて最内周で横に滑ったのだと思います。かつてはこういう調整がなかなかうまくできませんでした。
ブレンデルのバッハは素晴らしい。とくにイ短調の「プレリュード《幻想曲》BWV922」が好きです。ライナーノーツにはブレンデルのインタビューがあって、ヒストリカル(ピリオド)とモダン、あるいはバッハを現代ピアノで弾くことということについて熱心に語っています。
そのなかで、ブレンデルはこの曲を『素晴らしいイ短調』『予言的な性格』と称賛し、『ハープシコードの曲としては、成功していないような気がします。けれどもピアノ曲にすると、小節ごとに発見される驚きが伝えられて…(略)…まったく素晴らしい作品になるのです。』と、現代ピアノ奏法を予見したかのようなバッハの『予言性』の深淵を熱っぽく語っています。
まるで、パッケージを破ったばかりの新譜の聴いているような新鮮な気持ちで聴き入り、ライナーノーツに目を通しているうちに夜が更けてしまいました。
Brendel Bach mgd_1_1.jpg

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