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北京のベートーヴェン [雑感]

いささか調べものをしていて、古い書籍に目を通していたら故吉田秀和氏の一文が目にとまった。標題は「北京で聴いた《第九》」という小論で、初出は1980(昭和55)年の朝日新聞掲載の「音楽展望」である。


「中国で第九を指揮します」という小澤征爾に誘われ、初めて北京を訪問した際の所感をつづっている。吉田は、『かつて文革はなやかなりしころ、中国にベートーヴェン批判の声が高いというので…いささかの所感を申しのべた』ところ『こういうことは長い目で見なければ』とたしなめられたというようなことを書いている。


実は、学生時代の青二才だった私は、若気の至りで「レコード芸術」誌にそういう趣旨の投書したことがある。〈現実の中国はまだまだ貧しい。衣食足れば、いずれは受け入れられるだろう。現実無視の芸術至上主義の観点からの批判は当たっていない〉。そんなことだったと思う。


中国にベートーヴェンはいらない。文革時代、ベートーヴェン批判と排撃は苛烈を極めた。「ベートーヴェンを排除したあとは、あのラフマニノフの亜流のピアノ協奏曲とか、あの何とかいったソ連の流れをくんだバレエ・オペラ曲の類しかなかった」。当時、盛んに演じられたのは「ヤンパンシー(模範劇)」と呼ばれる現代革命京劇と、それを翻案したオペラやバレエだった。


そして、その吉田自身が、10年も経たずして『長い間飢え渇えていたかのように第九を黙々とむさぼりきく人の大群」を目の前にすることになる。それどころか今や中国は、世界最大のピアノ生産国であり、そうそうたる人気ピアニストを輩出するクラシック音楽大国となった。


しかし、吉田をたしなめたという人々は正しかったのだろうか。


本当にベートーヴェンは中国に受け入れられ、人々の盛んな共感を得ているのだろうか。どこか、中国のピアニストたちはベートーヴェンがなじみにくい。必ずしも熱心ではない。ユンディー・リーもユジャ・ワンもショパンやラフマニノフばかりを弾く。満族のラン・ランは、ベートーヴェンも弾くが1番とか4番のどちらかといえば形式の自由な幻想曲風の曲をとりあげている。本来は凝集的で内向的なパッションのベートーヴェンの熱情や悲愴も、彼らにかかると自己愛的な陶酔になってしまい、私には少なからず違和感がある。


文革の芸術路線をもっぱら主導したのは毛沢東夫人である江青ら「四人組」だった。西欧文化の吹きだまりのような〈魔都・上海〉で育った富裕な文化人たち。1930年代の上海とは繁栄と退廃、享楽と革命、野心と迫害とが入り交じったそういう自己矛盾をはらんでいた。


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現代中国の指導者は《太子党》という幹部子弟が半ばを占めている。彼らは家族や自らが文革の迫害を受けた体験を持つ。その彼らがことさらに毛沢東主義的な思想政策を進めるという矛盾。そういうイデオロギーの相克と矛盾がもたらす社会的トラウマは深い暗部にまで浸透していて、40年以上経った今でも屈折したアンビバレントな心象となって影をひいているのではないか。ベートーヴェンとはすぐれてイデオロギー的である。だからこそイデオロギー批判の対象となりやすいし、屈折した政治的蹉跌を吸蔵しがちなのだ。そういうことをあの頃の私は見落としていたようだ。


紅色娘子軍.jpg


天安門広場にほど近い胡同の古い四合院がひしめく家並みを取り壊して建設された《中国国家大劇院》。フランス人設計によるチタン外装に覆われた半滴球型のドームは超現代的な姿をしている。その2007年のこけら落とし初日の演目は、文革時代に盛んに上演された《模範劇》のひとつ、革命バレエ「紅色娘子軍」だった。

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