SSブログ

新国立劇場 フローリアン・フォークトの「ローエングリン」 [コンサート]

ウィーン音楽三昧の旅の最終日、図らずもフローリアン・フォークトのローエングリンに再びまみえることとなって大興奮。こうなれば、もう一度フォークトの同役を体験してみようという妄想に取り憑かれてしまいました。

IMG_1880trmd_1.jpg

というのも同じ5月には初台・新国立劇場でも「ローエングリン」が初日を迎える。これだけ短期間に別のオペラハウス、別のプロダクションで同じ歌手を聴くというのも滅多にないチャンス。私にとっては、2012年6月の新国立劇場、2015年8月バイロイト、そしてこの5月のウィーンと同劇・同役でのフォークトとなります。

フォークトのローエングリンとの出会いは、2011年8月バイロイトからの生中継画像でした。ノイエンフェルスの斬新な演出にも驚きましたが、フォークトの金髪の美貌をさらに引き立てる美声には衝撃を受けました。まさに、理想の白鳥の王子。従来のヘルデン・テノールの概念を一変させるかのような新しいテノールの登場だと思ったのです。

それから時を隔てず、翌年の新国立劇場での「ローエングリン」にフォークトが登場するとあって取るものも取りあえず駆けつけました。実際に聴くフォークトは期待違わず、甘く柔らかく、しかも大オーケストラの音量のなかで透徹するように佇立する無垢の声質に再び衝撃を受けました。

そして、バイロイト。

あの映像は、バイロイト音楽祭第100回にあたり初の世界生中継という記念すべき公演でしたが、そのプロダクション最後の公演に当たるのが昨年の公演でした。フォークトを始めエルザのアネッテ・ダッシュ、オルトルートのペトラ・ラングら初回そのままの理想のキャスティングでした。フォークト自身が爆発的な人気を得ることになったバイロイトの「ローエングリン」を直接体験できたことは至上の音楽体験でした。

さらに、先日のサプライズとなったわけです。

さて、今回の新国立劇場の「ローエングリン」。

54b1ec75-s.jpg

まず特筆したいのはその演出と舞台意匠。

シンプルでわかりやすく音楽の流れによく乗っている。バイロイトのノイエルフェルト演出は、ネズミという奇抜なキャラクターを合唱陣に付与することで権力に迎合する無定見な群衆が政治的自覚に目覚め、そのことで政治的権威が揺らぎ混乱していくという政治的暗喩を浮かび上がらせて凄味があったが、やはりエンターテインメントとしては実験的に過ぎるところがあります。新国立のシンプルさはバイロイトの実験的斬新さと拮抗し、舞台装置の優秀さをもってほぼ同等の質の高さがあったと思うのです。非常に難しい白鳥の騎士の登場場面は、宙づりのゴンドラからの天孫降臨というもので最上の解決だと思います。ウィーンの舞台は、そのふたつに較べれば論外。あまりに保守的で卑俗的でした。

もうひとつは、合唱。

新国立の合唱はほんとうにレベルが高い。そのことはヨーロッパの歌劇場を一通りめぐってみて十分に実感しました。強くてぶ厚いアンサンブルはワールドクラス。その合唱の力を大いに活かされていたのが「ローエングリン」。単に声のことだけではなく群衆の渦巻くような動きがよく訓練されていて素晴らしい効果を上げるのも、新国立の合唱のレベルの高さの大きな要素となっています。

歌手陣も相当に厚みがあります。

362a2ec4-s.jpg

フォークトは、ここでも絶好調。登場の場面では、上から降りてくるという演出ばかりではなく、「ありがとう、かわいい白鳥よ!」の第一声。それを背を向けて発声させたのです。後を向いていても透明でしかも客席に突き抜けるように浸透してくる声。男の私でさえ背筋がぞくぞくっとするほど。またしても大きな衝撃を受けてしまいました。声の安定度、感情移入という点でも、演出への馴染みかたという点でも、素晴らしい天性を示していたという点ではウィーン以上、もしかしたらバイロイトよりもよかったかも。

もうひとりのバイロイト歌手のペトラ・ランゲも、さすがの演技力。ただし、初日だったせいで安全運転を心がけたのか、いまひとつエンジンの掛かりが悪く第二幕でも盛り上がりに欠けました。おそらく第三幕のオルトルート断末魔の絶叫にかけていたのでしょう。あるいは彼女に限ってはこの演出における役作りにいまひとつ乗り切れなかったような気もします。脇役の難しさでしょう。フリードリヒ役のユルゲン・リンも手堅い歌唱と演技でした。

48ac8dca-s.jpg

エルザのマヌエラ・ウールもよかった。前回の新国立では同役のリカルダ・メルベートにとって衣装がなじまなかったのですが、今回はすっと入っていくことができました。歌手といえども容姿は大事な要素です。ハインリヒ国王役のアンドレアス・バウアーは、演出のせいもあって単調。一方で王の伝令役は前回と同じ萩原潤が好演。この二役はともに権威を体現しある種の緊張感を与えてくれるのですが、こういう演出ではどうしてもこのふたりが被ってしまいいまひとつ個性が出にくくなるような気がします。

問題は、指揮者とオーケストラ。

バイロイトやウィーンと較べるのは気の毒な気もしますが、前回2012年の公演(ペーター・シュナイダー指揮)では健闘していた東フィルも今回は凡演。特に第一幕の前奏曲での精妙なハーモニーに木管を重ねる出だしがひどいものでした。オーボエの音量バランスも音程も悪くて、突然、神聖な場所にとうふ屋のラッパが闖入したかと興ざめしました。こういうことは指揮者の責任も大きいと思います。オーボエはこの後も調子を外しっぱなしで、後半、ようやく落ち着きました。それに対してホルンも含めて金管群は好調で第三幕の前奏曲もそつなくこなしました。…あくまでも、東フィルにしては、という但し書きがつきますが。

飯守の指揮はとても単調で、インテンポといえば聞こえはいいのですが、どんなにインテンポであっても劇的な展開の流れや歌手の感情移入、高揚感などには微妙な音楽的な波や息づかいの揺らぎがあるもの。この指揮者にはそれが無いのです。大オーケストラを統制する力量の問題ではないでしょうか。それもこれも初日ということで割り引いてあげる必要もあるかもしれません。

こうして聴いてみると、我らが新国立劇場も、歌手陣、演出、舞台装置は世界一級で、特にコーラスはトップクラスと言ってもよいほど。それだけにオーケストラを何とかしてほしいと思うのは私だけでしょうか。世界の歌劇場が専属オーケストラを持ち、しかも、近年、その専属オケがコンサート・オケとしても充実した活動をするようになってきています。劇場発足当初の国内演奏家の雇用対策的な妥協が東フィルと東響の相互起用だったわけですが、いまのオペラ界の世界的傾向のなかで果たしてこのままでよいのでしょうか。




IMG_2231_1.JPG


新国立劇場 ワーグナー「ローエングリン」
2016年5月23日(月) 17:00
東京・初台 新国立劇場・オペラパレス

【指揮】飯守泰次郎
【演出】マティアス・フォン・シュテークマン
【美術・光メディア造形・衣裳】ロザリエ
【照明】グイド・ペツォルト
【舞台監督】大澤 裕

【ハインリヒ国王】アンドレアス・バウアー
【ローエングリン】クラウス・フロリアン・フォークト
【エルザ・フォン・ブラバント】マヌエラ・ウール
【フリードリヒ・フォン・テルラムント】ユルゲン・リン
【オルトルート】ペトラ・ラング
【王の伝令】萩原 潤
【ブラバントの貴族Ⅰ】望月哲也
【ブラバントの貴族Ⅱ】秋谷直之
【ブラバントの貴族Ⅲ】小森輝彦
【ブラバントの貴族Ⅳ】妻屋秀和

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。