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「音楽の現代史」(諸井誠 著)再読 [読書]

二十世紀音楽の源流をたどり、そこからほとばしり出た音楽の流れの道筋を確かめていこうという現代音楽史論。

書かれてからすでに35年の月日が過ぎているが、読み返してみると、今なお、内容は色あせていない。好著、良書のゆえんだろう。

初読当時には紹介された楽曲のうち、多くがなじみのないもので、いささかとっつきにくい印象もあった。ところが、紹介されている音楽のほとんどが今のコンサートステージでは当たり前のように取り上げられる。それでも古びないのが良書の良書たる所以だと思う。二十世紀前半に作曲された楽曲のとてもよい紹介本になっている。それが再読してみた率直な感想である。

今読み直してみてようやく胸に落ちることがいくつもある。まず《現代音楽》の起点を、ドビュッシー、マーラー、シュトラウスの三人に求め、世紀末における空間的、時間的な乖離というベクトルと捉えていること。空間的乖離とはエキゾチシズム(東洋趣味)のこと。時間的乖離とは、古典や古楽への回帰逆行(先祖帰り)のこと。もうひとつの大事な指摘は、第二次大戦後で大きなひと区切りを迎え、戦後は様相が一変したという点だ。

特に、バルトークとプロコフィエフを先駆けとする1930年代以降のヴァイオリン協奏曲の百花繚乱についての指摘は、初読ではまったく読み流していたが、今になってみるとそんなことを言っていたのかとその鋭い視点に新鮮な思いがした。この20年ほどで盛んに取り上げられていくことになることを見事に言い当てていたのだと思う。そのことを、ウィーン古典派からロマン派まで主流を占めたドイツ音楽の中心を成した「交響曲」へのアンチテーゼであり、この時代に強まった退嬰性だと喝破する。このことは、新古典主義的な作風として他のジャンルにも大きくしたわけだ。

一方で、シュトラウスに続く現代オペラについても取り上げている。両世界大戦にはさまれた、いわゆる「戦間期」の不安定で流動的だった世相と芸術的思潮を色濃く反映しているとして、時期を三つに分けて詳述している。フルトヴェングラーは、表現主義などの前衛を嫌っていたが、「ヒンデミット事件」は、そういう彼がヒンデミットの作品「画家マチス」を浅読みしたことによる悲劇だとの指摘は鋭い。

35年前には、それを生で体験することなど想像もしていなかった現代オペラ作品の数々だが、今ではすでになじみのある作品がほとんどだ。そういう時代の進化に改めて感慨深い。そのことは数々のヴァイオリン協奏曲なども同じで、若い世代の演奏家がごく日常的に取り上げる時代になった。

だからこそ、今、改めて本書を多くのクラシック愛好家にお勧めしたい。「新書」にふさわしい教養があって、よい手引きとなる啓蒙書になっている。

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音楽の現代史 ― 世紀末から戦後へ ―
諸井 誠 著
岩波新書 黄版 358

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