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「丸山眞男の敗北」(伊東裕史 著)読了 [読書]

丸山眞男は、戦後民主主義の言論リーダー、政治思想史学者としてその配下からは多くの政治学者を輩出し、多くの官僚、政治家にも多大な影響を及ぼし、言論界にも崇拝者、信奉者が多く、彼らを通じて一般にも神格化する向きも少なくない。一方では、60年代末期の東大紛争を契機に痛烈な批判を各方面から浴び、そうした批判にも頑なに沈黙を押し通すなど、その時点ではすでに言論人として無力化していたことも確かだ。

著者は、丸山の著作、講義録、書簡、座談等を総覧し、関連する評論などを読み込んで、「丸山哲学」を読み解き、彼の軌跡を追った集大成ともいうべき充実した構成となっている。標題は、丸山「否定」とも取れる、いささかセンセーショナルなものだが、「丸山」学の絶好の概説書となっている。「はじめに」で述べられているように、著者の意図は、丸山眞男を知ることにより、戦後日本を知り、いまこれからの日本を考えていくということにある。

丸山の「哲学」は、主に福澤諭吉から得たもので、決してむずかしいものではなく、自身の行動を必ずしも厳格に律していたものではないとの指摘はその通りだと思う。「日本の思想」(岩波新書)がベストセラーとなり、「である」ことと「する」こととの対比が高度成長期のサラリーマンの一種の処世論として広く受け入れられたのは、そういうことだと思う。

面白かったのは「凧揚げ」論。逆風があってこそ凧は空高く浮上するが、無風では失墜する。敗戦直後の高揚感を助走にして、東西冷戦の「逆コース」という風をとらえて丸山の戦後民主主義は空高く舞い上がったが、やがて高度経済成長を迎えて国民の生活が安定し政治的関心が無風状態になると、言論人としての丸山は急速に失速する。

丸山が日本の思想史の歴史を「開国」という視点から説いたというのも肯ける。和魂洋才という福澤の啓蒙論から、荻生徂徠や本居宣長別へと遡っていくが、その精神的原点は「敗戦」体験だというわけだ。GHQがあっという間に起草した新憲法にいきなり「国民主権」がうたわれたことにあっと驚いたのは丸山も同じだったという。あくまでも「国家主権」の範疇で思考していた丸山には衝撃だった。それが「戦後デモクラシー」の正体だったというわけだ。

特に丸山を痛罵したのは安保闘争世代の教祖的存在の吉本隆明だった。彼は、「西欧の原理や普遍性に寄りかかった、形式ばった思想家」と丸山の権威主義を喝破した。丸山はもともと政治学や政治思想史を志したわけではない。ほんとうはドイツ文学がやりたかったのだという。根底に潜む歴史意識を「執拗低音(バッソ・オスティナート)」だと音楽用語で例えたのはいかにも丸山らしいが、つまりは日本には「思想」が無いと決めつけたわけで、西欧近代主義の価値尺度に偏った発想には批判が絶えない。

丸山には「死者」の呪縛があるともいう。招集礼状に死を確信し、僚友の戦死、一瞬で生死の運命を分けた広島・宇品での被爆体験。終戦当日の母親の死といった戦争体験。結核の大手術・療養体験。東大紛争時に資料文庫に立て籠もり睡眠薬をウィスキーであおったというのも自傷の匂いさえ漂う。晩年、同僚知人への葬列に病を押して参列する姿は壮絶だったという。自身の命日も母親と同じ8月15日となった。しかし、体験そのものは思想にはならないし、次世代へと継承することもできない。著者は、そういう丸山を、死者の思い出(戦争体験)に生きる中で、戦後民主主義の欠陥を見過ごしてきた、と静かに批判している。

本書のほとんどを丁寧で誠実な解説記述で貫いている。批判は最終章「円山眞男の敗北」だけ。そこで著者が問いただしているのは、丸山の敗北は戦後民主主義の敗北そのものであり、その敗北はすなわち民主主義の思考停止を意味したということ。戦後民主主義の最大の問題と欠陥は、アメリカの存在を意図的に思考過程から回避させ知らぬふりをしたことにある。

丸山の「敗北」をいま改めて確認することは、そういうアメリカの存在の後退縮小と相対化という危機を迎えているいま、現代の日本人の思考に取り憑いている平和幻想や民主主義妄想を直視することなのだと思う。


丸山眞男の敗北_1.jpg

丸山眞男の敗北
伊東裕史 著
講談社選書メチエ

タグ:丸山眞男
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