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「ミカンの味」(チョ・ナムジュ著)読了 [読書]

「いつも一緒」の仲間が「いつまでも一緒」であることは、切ないまでのドリーム。

誰であっても、どこに生きていても、どんな年齢になっても、それは共通の夢。そのことが現実に直面し、夢が夢に終わるとき、ほろ苦い思い出として、心の底に沈殿していく。


読後の感想に、私的な思い出から始めるのは邪道かも知れないけれど…

中学生の頃、確かに「いつも一緒」の男女4人組のひとりだった。高校に進学しみんながばらばらになってしまうのは運命のようなものに思えた。そのことに抗うことなんかできるとは思わなかったし、そんなこと自体考えもしなかった。

もちろん、転校をくり返してきたから、せっかく慣れたクラスメートや数少ない友達と呼べる子と別れることがどんなことかは痛いほどわかっていた。転校は自分のせいではない。望みも予想だにしない転居はすべて親の都合だ。低学年のころはクラスになじめなくて勉強もできが悪かった。親が進学校に行かせようとするが、箸にも棒にもかからない。だから公立中学にみんなと一緒に進学できたけれど、受験のための塾通いは仲間を裏切ったようでいつまでも引きずった。

悪い予感は的中した。「いつも一緒」の仲間はあっという間に疎遠になった。進学した高校は知らぬ子ばかりでずっと空気は冷ややかだったし、最初の学期末試験での成績はひどかった。再試だとか夏休みの補講を言い渡されて、がらんとした休み中の教室に通うことは屈辱だったしひとりぼっちだった。

たぶん、自分の子供たちも、同じような思いをくぐって来たに違いない。もちろん時代も違っていただろうけど。むしろ彼らは、遠く言葉も通じない海外にいきなり連れて行かれたこともあったからなおさらだったろう。

それくらい、中学生の「いつも一緒」の仲間が「同じ高校に行く」ということは、切ないほどのドリームだ。そういう願いを誓わせるような重たいけどもやもやしたものをそれぞれが背負っている。そんなことが心のなかを行き交い気持ちがうずく。

古希を迎えた老人がそんなセンチメンタルな思いになるなんて…。



物語は、中学生4人の女の子たちが主人公。

中学の映画サークルで知り合った4人の女の子。ぎくしゃくした出会いだったが、一年生の学園祭での協働がきっかけで「いつも一緒」の仲間になる。三年に進学する直前に、4人でチェジュ島に泊まりがけで行く。そこで誓ったのが「同じ高校に行く」という誓いと1年後の再開。すでに、4人はそれぞれの事情で、間違いなく別々の高校へ行くことはわかっていた。だから、そんな誓いはさして重要だとは思っていなかったのだけど…。

標題の「ミカン」とはチェジュ島の名産のこと。

4人はミカン農園でミカン狩りに興ずる。そういう高揚感とミカンの甘酸っぱい味の余韻は、私たち日本人にとってもまったく同じだろう。余計な話しだけど、チェジュ島のミカン栽培は、戦後に在日のひとが苗を持ち込んだもの。土地の気候にあった改良が功を奏して成功した。最貧地だったチェジュ島にミカン長者が何軒も現れ、子弟を大学まで進学させたほどだったという。そんな歴史を今の韓国の若い人たちは知っているのだろうか。

韓国の、学校教育制度、共通一次試験、社会の教育熱とその現実などが、訳注や解説として巻末に親切に詳述されている。これがとても面白い。公立では高校平準化の政策が進められる一方で、私立や特別高などへの選択制の導入で進学校への選別が進むという矛盾。塾通いが学校とは別の交遊の場所だとか、高校の種別や格付けだったり、進学のための転居や越境入学のことなどなど…。日本と共通だけれど細かいニュアンスが違っている。

イジメや学校暴力が深刻なことも同じだが、韓国には「学暴委(学校暴力対策自治委員会)」というものがあって、保護者代表や法律関係者も参加した第三者委員会が常設され大きな権限を与えられているという。日本の現状を見ると大いに考えさせられる。

4人のそれぞれの生い立ちや事情を語る前半、四人の出会い、そして、もう一度、仲良くなってからの4人の動向が描かれる後半。構成はシンメトリックで単純だけれど、巧妙なプロットが隠されている。会話が多くて簡素だけれど、さわやかな筆致はとても丁寧。よく練られた構成とともに成熟した筆者の力量を感じさせる。惜しいのは、4人の性格描写がやや弱く、それぞれの顔立ちが思い描きにくいことだろうか。

若い世代だけでなく、もっと幅広い人々にも読んでもらいたい作品。世代によって思いは違って当然だろうけど、それぞれにきっと好きになれる小説。

…「ミカンの味」みたいに。


ミカンの味_1.jpg

ミカンの味
チョ・ナムジュ 著
矢島暁子 訳
朝日新聞出版
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