ロシアへ愛をこめて (福間洸太朗 ピアノ・リサイタル)
前から気になっていた佐川文庫のサロンコンサートに初めて行きました。
佐川文庫は、1984年から93年まで水戸市長をつとめた故佐川一信のメモリアルとしての私設図書館。佐川氏は、水戸市長在任中に市制100年記念として水戸芸術館の創設に尽くされたひと。
サロンコンサートの会場「木城館」は、その庫舎に隣接して増設された200席ほどの音楽サロンです。客席両側の壁面には、佐川の熱心な招聘に応え水戸芸術館の館長に就任し長くその運営に携わってきた故吉田秀和の蔵書とレコードやCDが収納されています。
こちらはいわば吉田メモリアルとしての音楽サロンでもあるわけです。
そういうゆかりのサロンは、写真で見る以上に素敵な建物。八ヶ岳の音楽堂とよく似ていて、木の肌合いと響きがすっぽりと六角形の空間に納まり、大きな窓には周囲の青々とした緑が目に鮮やか。小さいながら本格的な音楽専用ホール。天井が高いし、ステージも客席の空間も開放的なので、演奏が間近に感じられる直接的なバランスの音響です。
地域に名指したアットホームな雰囲気も、私設の家族経営的なコンサートならでは。
福間洸太朗さんは、ちょうど1年前にサントリーホールで、〈バッハへの道〉と題したリサイタルですっかり気に入ったピアニスト。映画「蜜蜂と遠雷」でピアノ演奏を担った四人のピアニストのひとり。技巧が立ち、しかもなかなかハンサムで、女性の人気を集めているのは当然なのですが、そんなことはどこ吹く風といったマイペースなところがあって、若手作曲家に新作を委嘱したり、そのプログラムは懲りにこったこだわりのもの。
この日も、前半はスクリャービン、後半はラフマニノフと、二十世紀のロシアのピアノの巨人二人のみ。特にスクリャービンは、神秘主義、象徴主義への傾倒を強め現代音楽の先駆者ともいうべき和声の難解さがあって敬遠されがち。これだけスクリャービンを並べたプログラムは珍しいと思いました。
聴いてみると、比較的初期の作品を中心に選択しているせいか、むしろ親しみやすさが前面に出てきていて、後半のラフマニノフに負けない甘美で濃厚なロマンチシズムが魅了します。後半のラフマニノフまで一貫させているのは「幻想」というキーワード。いわゆる自由形式というのが音楽史の定義ですが、二人のロマンチストにかかると、文字通り「幻想」的でほとんど忘我没頭の非現実的な幻影を観る耽溺と恍惚の音楽。ピアノならではの抽象と具象が両立する多層的な幻想の音世界は、やはり二人がロシア人だからだと思えてきます。
左手のためのノクターンは特に見事。これが左手一本というのが信じがたいのですが、確かに福間さんは右手を膝の上に置いたまま。そういえば一年前のバッハでも、ブラームス編曲の左手の「シャコンヌ」が痛切な印象を与えて鮮やかでした。
二人の作曲家に共通するのは、冒頭が低く深い低音の響き。それは左手の打感にも共通するピアニストの強い思いが隠されているのかもしれません。そう感じたのは、後半のラフマニノフの「鐘」。
ロシア・ピアニズムの神髄には、「ロシアの鐘撞き男は、100通りの音色を撞き分ける」ということがあるのだそうですが、左手による低音弦の一撃にはそういうロシア・ピアニズムのある種のこだわりがあって、それがまた聴き手の魂を揺さぶる。
福間さんのこだわりかたは、アンコールの解題にも。福間さんのトークは気さくでありながら、そういうこだわりを熱っぽく軽妙に語っていて面白い。最後の締めとなった、レヴィツキーの「魅惑の妖精」も余韻があった。福間さんは、この作曲家がウクライナ人であることしか語らなかったが、後で調べてみると数年前の上野で開催された『「怖い絵」展』のBGMに使われたことが話題になった曲でした。
BGMが使われたのは、チャールズ・シムズの『そして妖精たちは服をもって逃げた』。
妖精画家として知られたシムズは、第一次大戦で長男を戦死させ、自身も戦地の惨状を目にしてトラウマとなり、後に自死している。絵の左下の「小さな妖精たちが散りぢりに逃げる」という場面は、長男の命が戦争で奪われるという現実の投影だというわけだ。
美しい曲でしたが、そこには爽やかな光に満ちた現実の下で、残酷な狂気に翻弄される小さな妖精たちの恐怖という幻視があった…。
締めくくりの曲だから、あえてそこまでくどくどと語らなかったのか…というのは深読みに過ぎるのでしょうか。
佐川文庫サロンコンサート
福間洸太朗 ピアノ・リサイタル
〈スクリャービン VS ラフマニノフ ~幻想を求めて〉
2022年6月25日(土) 15:00
水戸市 佐川文庫
スクリャービン:
3つの小品op.2
第1番 練習曲、第2番 前奏曲、第3番 マズルカ風即興曲
練習曲op.8より
第11番 アンダンテ・カンタービレ 変ロ長調
第12番 悲愴 嬰ニ短調
幻想ソナタ 嬰ト短調
ピアノ・ソナタ第2番 嬰ト短調 Op.19 『幻想』
左手のためのノクターンop.9-2
幻想曲 op.28
ラフマニノフ:
幻想的小品集op.3
第1番 エレジー、第2番 前奏曲『鐘』
第3番 メロティー、第4番 道化役者、第5番セレナーデ
幻想的小品 ト短調
ノクターン第3番 ハ短調
楽興の時op.16より
第5番 アダージョ・ソステヌート 変ニ長調
第4番 プレスト ホ短調
(アンコール)
バッハ:『主よ、人の望みの喜びよ』BWV147より
ショパン:ノクターン第2番 Op.9-2 変ホ長調
ショパン:練習曲ハ短調 Op.10-12 『革命』
ミッシャ・レヴィツキ:魅惑の妖精
佐川文庫は、1984年から93年まで水戸市長をつとめた故佐川一信のメモリアルとしての私設図書館。佐川氏は、水戸市長在任中に市制100年記念として水戸芸術館の創設に尽くされたひと。
サロンコンサートの会場「木城館」は、その庫舎に隣接して増設された200席ほどの音楽サロンです。客席両側の壁面には、佐川の熱心な招聘に応え水戸芸術館の館長に就任し長くその運営に携わってきた故吉田秀和の蔵書とレコードやCDが収納されています。
こちらはいわば吉田メモリアルとしての音楽サロンでもあるわけです。
そういうゆかりのサロンは、写真で見る以上に素敵な建物。八ヶ岳の音楽堂とよく似ていて、木の肌合いと響きがすっぽりと六角形の空間に納まり、大きな窓には周囲の青々とした緑が目に鮮やか。小さいながら本格的な音楽専用ホール。天井が高いし、ステージも客席の空間も開放的なので、演奏が間近に感じられる直接的なバランスの音響です。
地域に名指したアットホームな雰囲気も、私設の家族経営的なコンサートならでは。
福間洸太朗さんは、ちょうど1年前にサントリーホールで、〈バッハへの道〉と題したリサイタルですっかり気に入ったピアニスト。映画「蜜蜂と遠雷」でピアノ演奏を担った四人のピアニストのひとり。技巧が立ち、しかもなかなかハンサムで、女性の人気を集めているのは当然なのですが、そんなことはどこ吹く風といったマイペースなところがあって、若手作曲家に新作を委嘱したり、そのプログラムは懲りにこったこだわりのもの。
この日も、前半はスクリャービン、後半はラフマニノフと、二十世紀のロシアのピアノの巨人二人のみ。特にスクリャービンは、神秘主義、象徴主義への傾倒を強め現代音楽の先駆者ともいうべき和声の難解さがあって敬遠されがち。これだけスクリャービンを並べたプログラムは珍しいと思いました。
聴いてみると、比較的初期の作品を中心に選択しているせいか、むしろ親しみやすさが前面に出てきていて、後半のラフマニノフに負けない甘美で濃厚なロマンチシズムが魅了します。後半のラフマニノフまで一貫させているのは「幻想」というキーワード。いわゆる自由形式というのが音楽史の定義ですが、二人のロマンチストにかかると、文字通り「幻想」的でほとんど忘我没頭の非現実的な幻影を観る耽溺と恍惚の音楽。ピアノならではの抽象と具象が両立する多層的な幻想の音世界は、やはり二人がロシア人だからだと思えてきます。
左手のためのノクターンは特に見事。これが左手一本というのが信じがたいのですが、確かに福間さんは右手を膝の上に置いたまま。そういえば一年前のバッハでも、ブラームス編曲の左手の「シャコンヌ」が痛切な印象を与えて鮮やかでした。
二人の作曲家に共通するのは、冒頭が低く深い低音の響き。それは左手の打感にも共通するピアニストの強い思いが隠されているのかもしれません。そう感じたのは、後半のラフマニノフの「鐘」。
ロシア・ピアニズムの神髄には、「ロシアの鐘撞き男は、100通りの音色を撞き分ける」ということがあるのだそうですが、左手による低音弦の一撃にはそういうロシア・ピアニズムのある種のこだわりがあって、それがまた聴き手の魂を揺さぶる。
福間さんのこだわりかたは、アンコールの解題にも。福間さんのトークは気さくでありながら、そういうこだわりを熱っぽく軽妙に語っていて面白い。最後の締めとなった、レヴィツキーの「魅惑の妖精」も余韻があった。福間さんは、この作曲家がウクライナ人であることしか語らなかったが、後で調べてみると数年前の上野で開催された『「怖い絵」展』のBGMに使われたことが話題になった曲でした。
BGMが使われたのは、チャールズ・シムズの『そして妖精たちは服をもって逃げた』。
妖精画家として知られたシムズは、第一次大戦で長男を戦死させ、自身も戦地の惨状を目にしてトラウマとなり、後に自死している。絵の左下の「小さな妖精たちが散りぢりに逃げる」という場面は、長男の命が戦争で奪われるという現実の投影だというわけだ。
美しい曲でしたが、そこには爽やかな光に満ちた現実の下で、残酷な狂気に翻弄される小さな妖精たちの恐怖という幻視があった…。
締めくくりの曲だから、あえてそこまでくどくどと語らなかったのか…というのは深読みに過ぎるのでしょうか。
佐川文庫サロンコンサート
福間洸太朗 ピアノ・リサイタル
〈スクリャービン VS ラフマニノフ ~幻想を求めて〉
2022年6月25日(土) 15:00
水戸市 佐川文庫
スクリャービン:
3つの小品op.2
第1番 練習曲、第2番 前奏曲、第3番 マズルカ風即興曲
練習曲op.8より
第11番 アンダンテ・カンタービレ 変ロ長調
第12番 悲愴 嬰ニ短調
幻想ソナタ 嬰ト短調
ピアノ・ソナタ第2番 嬰ト短調 Op.19 『幻想』
左手のためのノクターンop.9-2
幻想曲 op.28
ラフマニノフ:
幻想的小品集op.3
第1番 エレジー、第2番 前奏曲『鐘』
第3番 メロティー、第4番 道化役者、第5番セレナーデ
幻想的小品 ト短調
ノクターン第3番 ハ短調
楽興の時op.16より
第5番 アダージョ・ソステヌート 変ニ長調
第4番 プレスト ホ短調
(アンコール)
バッハ:『主よ、人の望みの喜びよ』BWV147より
ショパン:ノクターン第2番 Op.9-2 変ホ長調
ショパン:練習曲ハ短調 Op.10-12 『革命』
ミッシャ・レヴィツキ:魅惑の妖精
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