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「ジャカルタ・メソッド」(ヴィンセント・ベヴィンス 著)読了 [読書]

プーチンによるウクライナ侵攻と中国の対外的拡張姿勢を目の当たりにする、今の国際情勢のなかで、インドの外交姿勢が注目を集めている。

インドのモディ首相は、安倍元総理の国葬に出席し、「自由で開かれたインド太平洋」という安倍外交への支持を強く印象づけた。もともとインドは日米豪印の協力枠組み「クアッド」の重要な一角を成している。その一方で、モディ首相は、中国の主導する上海協力機構(SCO)の首脳会議にも出席し、プーチン大統領とも直接会談している。

いったいインドは誰の味方なのか?インドはプーチン政権への経済制裁にも同調せず、大量のロシア産原油を輸入してロシアを経済的に援けている。そのどっちにも味方して利を得る狡猾な印象さえ与えている。

かつて「第三世界」という言葉があった。

「第三世界」とは冷戦時代に使われた言葉。アメリカを中心とする西側諸国を「第一世界」、それと対立するロシア(ソヴィエト連邦)、中国を中心とする東側諸国を「第二世界」と位置づけ、第三世界とは、第二次世界大戦後に欧米諸国の植民地支配から独立したアジア・アフリカ諸国を指し、こうした国々は東西のいずれにも属さない「非同盟」を標榜した。

その象徴となったのが、1955年にインドネシアのジャワ島の都市・バンドンで開催された第一回アジア・アフリカ会議だった。東西冷戦における中立的立場と平和主義を共有する各国は、「平和十原則」を宣言する。十原則には、「国連憲章の尊重」「全ての国の主権と領土保全の尊重」「内政不干渉」「国際紛争の平和的手段による解決」などを謳うとともに、「集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また他国に圧力を加えない」ことも宣言している。

このバンドン会議において主導力を発揮し、いわば第三世界のリーダーと目されたのが、インドのネール首相やエジプトのナセル大統領、中国の周恩来首相とともに、インドネシアのスカルノ大統領だった。

こうした非同盟運動は、中印紛争やナセルによるアラブ連合形成の失敗などで内部崩壊した一面もあるが、決定的だったのは1965年のインドネシアで起こったクーデターによるスカルノの失脚だった。

本書は、このインドネシア国軍によるクーデターとそこで起こったインドネシア共産党(PKI)に対しする大量殺戮が、実は、米国の保守党や反共主義者たちが主導し、米軍とCIAが実行させた陰謀であったことを暴露している。一般市民を巻き込んだ大量殺戮はすさまじく今もインドネシア国民の心のトラウマになっているが、反共主義者たちが目の敵にしたPKIはまったく丸腰だった。当時、中国共産党の関与が言われたが、ソ連も中国もインドネシアの政体を変える気もなく、実際のところ自分たちのことで精一杯でそれどころではなかった。

アメリカの反共主義者たちは、インドネシアにおける成功体験のことをひそかに「ジャカルタ・メソッド」と呼び、これをひな形にして南米諸国や中東、東南アジアやアフリカなどで自分たちに都合の良い政権を作るために狂奔することになる。そこには、軍事政権の圧政や専制主義、基本的人権の蹂躙など、まさに平和と人権・福祉が実現する豊かな社会を夢見た市民たちの死屍累々たる惨憺たる世界となる。こうした第三世界というものが圧殺されしまう。

今の日本の世論は、ロシアのウクライナ侵攻、中国の脅威を言い立てて防衛力強化一辺倒だけれども、本当に国際社会のリアルを直視しているのだろうか。《米国の都合のよい国》に成り果てていないか?

インドやトルコの外交を単にどっちつかずの狡猾外交と決めつけてよいのだろうか。中国への敵意を強めるばかりで良いのだろうか?

かつて、インドネシア・ジャワ島のバンドンに集い、国と国との対話の架け橋となり、公正で、民主的な国際秩序の樹立を目指すことを夢見たスカルノらの《非同盟運動》の理想を今こそ思い返すべきなのだと思う。

その理想を潰したのは、米国だったことを忘れてはならない。



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ジャカルタ・メソッド
反共産主義十字軍と世界をつくりかえた虐殺作戦
ヴィンセント・ベヴィンス 著
竹田 円 訳
河出書房新社
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