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「広重ぶるう」(梶よう子 著)読了 [読書]

広重の芸術とその生き様を活写した時代小説。

あくまでもフィクションではあるが、その考証は実に行き届いていて、作り事めいたことや作者の勝手な脚色や解釈などの煩わしさも皆無。しかも、フィクションでこそ得られた自由な筆致やリアルな表現が、広重の苦悩や心意気を活き活きと描いていて、読み手を倦ませることがない。

火消同心の家に生まれた広重(重右衛門)は、絵師としてはなかなか芽が出ない。貧乏御家人は日々の暮らしにも屈託が多く、しかも、両親は早くに相次いで死去し、老いてますます意気軒昂な祖父は後妻を得て、その後妻の子、つまり広重にとっては子供のような歳の叔父に家督を譲ることになる。

士分の絵師なら、御用絵師の狩野派の流儀にならう道もあっただろうに、広重は浮世絵にこだわる。しかし、美人画は「色気がない」、役者絵は「似ていない」と酷評されて同門の国貞(のちの三代目歌川豊国)の後塵を拝し、一向に芽が出ない。

そういううっ屈を晴らしたのが、北斎が使っていた異国の色、ベルリン由来の“ぷるしあんぶるう”通称ベロ藍だった。このいままでにない絵色こそ、紺碧の空、どこまでも抜けていく江戸の空を描くにふさわしいと勝負に出る。《広重ぶるう》の誕生だ。

ここらあたりの出版元との丁々発止の駆け引き、やりとりが面白い。食えない版元、意気込みがから滑りする広重。その広重を諭したり、なだめたりする友人たち。家計を黙々と守る女房。口先でははすっぱで虚勢を張る広重の細やかな妻への思いやりと愛情。ずっと後の話しになるが、最愛の古女房に死なれてやもめとなった広重と、後添えとなった出戻り女との出会いや夫婦となってからのふたりのやりとりも微笑ましい。

一転して広重を時代の寵児にしたのが、「東海道五十三次」。火消し同心仲間の親友が気を回して広重を幕府の一行(御馬進献の使)に加えるように上申してくれた。旅すがら書きためた下絵が広重の大きな転機となった。それは同時に、折からの江戸の旅行ブームに乗り浮世絵が美人画や役者絵などの肖像画から、風景画という新たなジャンルへの新展開でもあり、フランス印象派画家たちに影響を与えることにもなった大きな飛躍でもあった。

有名な「日本橋」の朝立ちの絵図という初版に加えて夕景に転化した別バージョンもあることを本書で初めて知った。そこでの絵師と彫り師、摺師との協業のいきさつも面白く、スリリング。

そもそ「広重ぶるう」が世に出るには、独特のぼかし(グラデーション)技術を持った摺師の存在が欠かせなかった。プルシアンブルー(ラピスラズリ)は、フェルメールなども多用したことで有名だが、油絵よりも水に溶く水彩版画の方がより鮮やかだという。あるいは、晩年に、広重が長年のライバルだった三代豊国と合作『双筆五十三次』を描いていたことも知った。美人画と風景画を単純に組み合わせただけのものだが、互いに得意を組み合わせた合作は不思議な魅力をたたえている。

広重晩年の傑作「名所江戸百景」誕生までのエピソードは心を打つ。火消し同心としての気概と江戸の都市風景を愛してやまなかった広重の心意気に、何ともいえない爽やかな読後感が残った。



広重ぶるう_1.jpg

広重ぶるう
梶よう子/著
新潮社
2022年5月30日初版
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