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「終わりのない日々」(セバスチャン・バリー 著)読了 [読書]

ハードタッチの西部劇ならぬウェスタン小説。

時代は、日本で言えば幕末、ペリー来航の時代。

1845年のアイルランドの大飢饉、1859年にオレゴンが米国33番目の州に昇格、4年にわたった南北戦争が1865年に終結する。大平原での凄惨なインディアン戦争は最終局面を迎え、丸腰のシャイアン族を襲い男女、子どもの区別なくおよそ150名を殺害したサンドクリークの虐殺は、1864年のことだった。

物語は、アイルランドのジャガイモ飢饉で家族を失い食い詰めてアメリカに渡りミズーリ州に流れつき、食うために志願兵になったトマス・マクナルティの回顧録として語られていく。

トマスは、そこで生涯の伴侶であるジョン・コールと出会う。二人は食いつなぐために戦士となり、インディアンの掃討、南北内戦と、ありとあらゆる殺戮、残虐行為に加担し、飢餓や凍傷、捕虜虐待を生きながらえる。

戦役の合間に、二人の少年はミシガンの石膏鉱山町でダンス酒場で女装して男たちのダンスの相手をしたり、ひげ面の男前になってからは顔を黒く塗って演ずるブラックフェイス演劇の俳優ともなる。

言葉は不衛生で汚物、排泄、血まみれの負傷や病褥の苦痛に満ちあふれ、差別や蔑視、侮辱、卑猥な低俗な口汚さに何のはばかりもない。敵の遺体を損壊し、頭の皮を剥ぐのはインディアンばかりでなく白人兵士の習いでもあった。それが、殺伐たるリアルな描写ともなり、正義も人道も不在な戦争の空虚な実相を露わにする。下層底辺にあったアイルランド人が共に緑のシャムロックの旗を掲げて、南軍・北軍に分かれて最前線で正面対峙するというのは何とも言えぬユーモアさえ感じさせる。

そういう文面でありながら、心地よいリズムと響きがあって詩的であるとさえ言える。野蛮で野卑で美しい韻律に満ちている。アイルランドを代表する現代作家としてカズオ・イシグロらの絶賛を浴びているというのもよくわかる気がする。

トマスは女装を通じて自分のアイデンティティに目覚めていき、ジョン・コールと婚姻の契りを交わす。酋長の姪で、虐殺の現場で救い出したウィノナは、この同性の夫婦の娘となる。ウィノナは、劇場の詩人・劇作家の黒人の老人の手ほどきを受けて知的で美しい少女に育つ。同性夫婦と蛮人の養女という三人家族は、南部州のテネシーに逃れる。そこでは奴隷を解放したがために木に吊された父親の農場を引き継いだ戦友が待っていたからだ。

とにかく終始、波瀾万丈。

約束の地でのしばしの安息の日々もすぐに破られる。終末に向けてのどんでん返しの連続は、さながらスピードの落ちないジェットコースターで息もつかせず一気読みした。

すごい文学があったものだ。

翻訳もたいへんな労作。


終わりのない日々_1.jpg

終わりのない日々
セバスチャン・バリー 著
木原善彦 訳
白水社
2023/6/2 (新刊)

DAYS WITHOUT END
Sebastian Barry
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