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ブーレーズのドビュッシーをふたたび聴く [オーディオ]

ブーレーズのドビュッシーをもう一度聴き直してみました。

ブーレーズの「海」のことを書いたら、ある人から「SX-68盤の音はひどい」と酷評を受けたのです。

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ブーレーズにはもう一枚のドビュッシーがあってこちらの方が買った当初からの愛聴盤でした。曲は「ノクチュルヌ」「交響組曲《春》」といった渋めの作品。こちらは“SX68Sound”で聴いてみるととてもナチュラルな好録音。

一方の「海」(SX68MarkⅡ)盤は、確かに誇張感があってコントラストがきつくて聴き疲れがします。だからあまり繰り返す聴くことはなかったというのも正直なところ。

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この違いを、その後のDSDマスタリングによるCD盤と聴き較べてみました。このCDはBMGエンターテイメントと合併した後のSONY|BMG時代(2006年)のものでヨーロッパで制作・制盤されたもの。

これを基準として聴き較べてみると、「ノクチュルヌ」と「海」の違いがはっきりします。

「ノクチュルヌ」では、まさにスコアの底まで見透かしたような精妙、精緻な演奏で、ドビュッシーの色彩や明暗、光彩陰影の千変万化に息を呑む思いがして、描出され、しかも木管パートなどの重なりのバランスの見事さに感嘆してしまう。トゥッティから浮かび上がるコールアングレイやソロのヴィオラの中音域の音色などには、やはり録音技術の新しい時代の到来を感じさせます。そのことが、CDと、このSX68盤で変わらない。当時、このソニー盤を初めて聴いた人々は皆驚いたに違いありません。

一方の「海」。こちらは、1969年に録音されたもので、71年に録音された「ノクチュルヌ」は後。SX68MarkⅡですが、私の所有している盤が制盤されたのは録音とは後先が逆転しているというわけです。これは明らかに、CD盤の基準からは逸脱した音調になっています。

わかりやすくB面に切られている「牧神の午後への前奏曲」で比較すると、SX68MarkⅡでは、ハイ上がりで音が堅くてコントラストがきつく聴き疲れがする。木管楽器などの高域には金属的な響きの付帯音がまとわりつきます。最後に現れるアンティークシンバルの“チーン”という澄んだ音もかなり変調されている。miとsiの二音が指定されていますが、最初に鳴るsi音はかなり浮き上がって聞こえるし、そのことは最後の最後の終結の音も同じです。

よく聴いてみると、帯域バランスは同じようなもので決してイコライジングなどで編集加工したというものには思えません。こういった音調は、NFBのかけ過ぎなどで体験するもの。カッティングレースですからMFBということかもしれません。いずれにせよ負帰還が深過ぎるとか、そういった技術追求の暴走に起因するというもののような気がします。

いずれにせよ、何だか二通りのマシンがあったとか、制作スタッフが2班に分かれていたのではないかと思わせるような違いです。SX68Soundではおとなしかったのに半導体アンプを導入したMarkⅡになってから暴れ出したとも考えられますが、いちいちは示しませんがグレン・グールドや国内制作盤にはナチュラルな音質がほとんどで、こうした逸脱は先だっての投稿で取り上げたアンソニー・ニューマンのチェンバロぐらいなものです。

やはり、一部の盤でソニーらしさを押し出そうと技術主義や商業主義的な音質の追求が暴走したところがあったのではないでしょうか。それもこれも《原音》を知らなかったから起こったことだと思わざるを得ません。

ソニーのレコード産業参入は劇的な事件でした。ソニーが日本コロンビアから版権を強奪したかのように思っている人が多いようですが、本当の事情は真逆で、CBSコロンビアを袖にしたのは、実は日本コロンビアの方でした。

日本の資本自由化が50%まで開放され、レコード産業でも一気に欧米メジャーとの合弁が進んだ。CBSは、当然、それまでの提携先であった日本コロンビアに話しを持ち込んだ。それを日本コロンビアが断ったのだという。それは外資による支配を恐れたからだ。日本コロンビアは邦楽市場に自信を持っていた。親会社の日立グループは、当時、高収益を上げていた邦楽部門を外資合弁とはいえ手放すことを惜しんだし、音響メーカーである日本電気音響(デンオン/デノン)との車の両輪にこだわったのです。

その一方で、代替先として話しを受けたソニーは、もともとソフトへの進出という構想を抱いていたから、この話しに飛びついた。経験豊富な米人経営者を受け入れるとともに、経営資源を惜しげもなくつぎこんで邦楽部門を立ち上げあっという間に大手へとのし上がっていく。見事な経営戦略だというべきでしょう。

とはいえ、製造現場はまったく一からの出発でした。合弁と同時に大井川工場を立ち上げる。技術志向の会社にソフト制作のノウハウはなかったに違いない。だからこそ設備技術の先進性にこだわった。当初のCBSソニー盤は、他社へのOEMだったそうです。大井川工場で自社生産するようになってからSX68のロゴを使った。

それでも時間が経てば、他社もノイマン製のカッティングレースなど新しい機器や技術を競うように導入する。ソニーの設備年齢の若さをウリにする商法も色あせてくるし、逆にソニーのレコード制作スタッフの人材も着実に層が厚くなってくる。その後のSX74といったロゴはあるにはあったが、すべて帯に印刷されていてジャケット本体にはもはや印刷されていなかったはず。もはやカッターヘッド頼りのマーケティングは無用になっいったからです。

ソニーの積極的な経営は目覚ましかった。邦楽を中核にして自社制作の経験も蓄積する。再生音質の管理は、何よりも原音を知っているかどうかがカギとなる。アンプなど再生機器だって生録音と並行してこそ信頼のできる設計製作が可能なんだと思うのです。

創業当初のCBSソニーには、そういう原音知らずの技術主義があったかもしれません。しかし、このブーレーズの「海」を冷静に聴いてみると、やはり、SX68や半導体アンプの高性能の魅力は確かにあります。アナログLPの鮮度の高さは、リマスターのCDからはなかなか聞こえてこない。CDでは失われてしまった、そういう若々しいフレッシュな先進性を感じます。何と言ってもその広い帯域と高い解像度です。

複雑に重なりうごめく精妙な動きが万華鏡を覗くかのように華麗に展開する。第1曲「海上の夜明けから正午まで」で、様々なテンポとリズム、音色のうねりを内包した断片的主題が、コーダに突入してその全てがトゥッティとなって重なり音量を増す。その壮大なファンファーレの見事な分解能の実現にソニーの少壮のスタッフは快哉を叫んだのではないでしょうか。ブーレーズの「海」には、そういう坂の上の雲を見上げるような快感があります。

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古きものばかりを称賛し、新しきものを否定し受け入れようとしない。進化を若気の至りと見下し受け入れようとしないのは、頑迷固陋、老耄の性(さが)としか言いようがない。バブルが終わってからの日本のエレクロトニクス産業やオーディオメーカーの衰退は目を覆うばかりです。
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