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エラールで弾く「展覧会の絵」 (川口成彦@紀尾井レジデント・シリーズ) [コンサート]

先日、葵トリオで幕をあけた紀尾井ホール主催の新シリーズ、レジデント・シリーズのもう一本のシリーズも始まりました。

川口成彦さんは、いま大注目のピアノフォルテ奏者。このシリーズでは『これはピリオド楽器でやったらどうなるだろう』『この作品をあえてこの楽器で演奏してみたい』というプログラムに挑戦するという。

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その第1回は、あのムソルグスキーの名曲「展覧会の絵」を1890年製のエラールで弾いてみようというもの。

まず前口上はバッハ。

《主よ、人の望みの喜びを》は、おなじみのピアノ版バッハですが、その編曲は、このエラールと同じ年に生まれたイギリスの女流ピアニスト、マイラ・ヘス。この有名な原題の英訳は、この編曲版がオリジナルなのだそうです。

バッハから、間髪を入れずにグリーグの組曲《ホルベアの時代から》へ。

これがエラールとは不思議なほどにマッチしていました。《ホルベア》とはノルウェーの近代文学の父と言われるルズヴィ・ホルベアのことで、バッハと同時代のひと。こうやってエラールで弾かれると、その擬古的な味わいが鮮明に浮き出てきて目からウロコ。ピアノ版も作曲者自身によるオーケストラ版もどちらも好きでよく聴いているのに、それがバッハと同時代の作家へのオマージュであったということにうかつにも気がついていませんでした。

一方でソナタのほうは、ちょっと勝手が違っていました。

確かに初期のナイーブさはあるのですが、とてもドイツ的で杓子定規。だからエラールにはちょっと荷の重い響きも頻発して聴きづらいところもあるし、全体に平板で退屈。

ところが、前半最後の小品《君を愛す》ではまたその様相が一変。

こういうロマンチックなメロディの美しさにはエラールは抜群に相性がよい。古楽器の魅力は、楽器そのものの多様な個性と時代性なんだと思います。特にピアノが得意な作曲家は、楽器の特性や特有の奏法や技巧に沿って物心一体となって創作していた。ピアノは歴史的に進化のテンポが大きかったから、そういう楽器の多様性がとても豊か。

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さて、後半はいよいよ『展覧会の絵』です。その前座に、同じロシアのチャイコフスキーのピアノ小品。

これもまたよい相性を示しました。やはり、エラールというのはロマン派の楽器。その中でもとびきり感性豊かなロマンチックな楽器なんだなぁと得心します。

それではムソルグスキーはどうなのか?

《展覧会の絵》は、どうしてもラベル編曲版のスケールと音色の多彩さ、豊穣な響きが頭の中で鳴ってしまいます。一方でピアノ原曲は、譜面づらはとてもナイーブで、単純な和音やオクターブでつかむユニゾンの単旋律が続きます。一方で全音符のフェルマータに平然とクレッシェンド記号がついていたりする。かと思うと、突然、進歩的な三段譜も登場したりする。弾き手にとっても難曲だし、聴き手にとってもなかなか難物です。

ヴィルトゥオーゾ風のスペクタクルとか低域のオルガンのような深い響きとかを期待するとピリオド楽器には荷が重いかもしれないと思ってしまうし、ロマンチシズムの流麗さとか歌の雅やかさとは正反対の無骨で土臭いムソルグスキーとの相性も心配してしまいます。

ところが聴いていくと、これがまた素晴らしい。

この曲は、まさにエラールで作曲されていたのではないかと思うほどに、ムソルグスキーの意図とか求めているものが見えてくるような気になってきます。

ロシア正教は器楽禁制なので聖歌はすべてアカペラ。川口さんによれば、最初の《プロムナード》はその正教会聖歌を模倣しているとのこと。独唱による詠唱がリードしそれに被るように合唱が続く、それを繰り返す。なるほど、と思いました。あの愚直なまでのシンプルな響き、オクターブ奏法の単純でいて筆太の旋律線、むき出しの音色、残響の余韻に任せる長音など、この曲の様々な素朴な個性がとてもわかりやすく聴き手に届いてきます。とても不思議。

この日のプログラムは、一年前から準備していたとのこと。ウクライナでの戦争と激しいロシア音楽へのバッシングもあって、川口さんも思い悩んだそうです。けれどもそういったことにはあえて距離を置いてそのままのプログラミングを貫くことにしたのだとか。

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終曲の《キエフの大門》とは、画家のガルトマンが描いた設計構想画、つまりポンチ絵のようなもので、復元のためのコンペに応募したもの。実在する建築物ではありません。この《展覧会の絵》全体が、動脈瘤で突然に夭逝した親友のための鎮魂歌。その掉尾を飾る《キエフの大門》こそ、親友の画業への称賛と二人が分かち合ったロシア芸術礼賛とがないまぜになった、死への鎮魂と慟哭の歌なんだと、まさにそう聴こえてくる。《大門》はロシア帝国栄光の黄金の門なんかじゃない。そういう今までにない感覚が呼び覚まされてくる。同時にウクライナでの戦争と犠牲への悲嘆、平和への祈願とが心の中でわぁーっと共鳴してしまう感覚がある。そういう深い感動で胸がいっぱいになりました。

アンコールで、ウクライナの作曲家グリエールの曲を取り上げたのは川口さんの心優しい気持ちの印。これからはウクライナ読みでフリイェールとでも呼ばれるのでしょうか。ジョージア人の血を引くボロディンとともに、いずれもこれまではロシア民族主義を代表する作曲家といわれてきました。

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会場には、小さなお子さん連れがいままでになく多くいらっしゃいました。紀尾井にも新しくて若い風が吹き始めているのかも知れません。


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紀尾井レジデント・シリーズ Ⅱ
川口成彦(フォルテピアノ)(第1回)
2022年4月6日(水) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階BR 1列6番)

川口成彦(フォルテピアノ)
使用楽器:エラール(1890年)(楽器提供ナトリピアノ社)

バッハ:主よ、人の望みの喜びよ(マイラ・ヘス編曲)
グリーグ:ホルベルク組曲 op.40
グリーグ:君を愛す op.41-3
グリーグ:ピアノ・ソナタ ホ短調 op.7

チャイコフスキー:《哀歌》変ニ長調 op.72-14
ムソルグスキー:組曲《展覧会の絵》

(アンコール)
グリエール:子供のための12の小品op.31より第4曲「夢」
ボロディン:小組曲より第6曲「セレナード」

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