フォーミュラPCの衝撃 [オーディオ]
MFさんをお招きして、我が家でフォーミュラPCを比較試聴させていただきました。
久々の自宅オフ会です。
MFさんのハイエンドマザー導入以降の大変動は、何度かお宅にお伺いして実体験してきたところです。その改造進化はその後も止むことがないようなのです。どこが終着になるのかもわからない勢い。
お宅で聴いてもその違いは確かですが、やはり、我が家のシステムで実際に聴いてみたいという気持ちは抑えきれません。もちろん現在のminiDESKの分散型システムとどれほど違うのかということにも興味がありますし、現在使用中のDAC(GRANDIOSO K1)の限界がどこの辺りなのだろうということを確かめてみたい気持ちがあります。
年初来、ウェルデルタの導入やウェルフロート二階建て、あるいは貸出バシリスの効果を取り入れようと試行錯誤していましたが、ようやく最終的な多段多層セッティングが決まり、そのサウンドが落ち着き満足の域に達しました。お忙しいMFさんとの日程調整がようやく整い、自宅比較試聴が実現したという次第です。
https://bellwood-3524.blog.ss-blog.jp/archive/20220504
さっそく、我がお茶の間に運んでセッティングです。以前はハイエンドマザーもハインドグラフィックボードも一体に納まっていましたが、今回は、電源部の強化にともなって、2台の電源が外出し。改めてその拡張に驚きました。コアもさらにパワーアップしたとのことですが、こういうことに疎い私にはちんぷんかんぷんです。
とにかく、電源こそオーディオ専用分電盤からですが、ごく一般的なテーブルタップで、ごく一般的な電源ケーブル。DACに接続するUSBケーブルも持ち合わせのオーディオ用の某製品をひっぱり出してきたら、もっとフツーのほうがよいとのご託宣です。ということで、引き出しに転がっていたプリンター接続用の余りのコードを使用。もう、とにかくコード類には一切無頓着です。
まずは、既存のminiDESKシステムでひと通り定盤ソフトを聴いてから、接続を切り替えての視聴です。
正直言って、さほどの大きな違いは無いだろうと多少たかをくくっていたのですが、いざ出音を聴いてみると、そのグレードアップ感は明らかです。そのことは聴けば聴くほどに確信のようなものになっていきます。
MFさんは、何が違うと言ってそれは「情報量」の違いに尽きると言います。
「情報量」というのはオーディオではアナログ時代からもよく使われてきた用語ですが、実のところ具体的にどういうことなのか実体もその定義も不明です。ところが、今回の視聴ではなるほどと膝を打つものがありました。
その違いに驚いたのは、ムターのチャイコン。
MFさん宅での試聴にもよく使ったもの。知り尽くしたつもりでいた演奏ですが、また、改めてムターの微妙な強弱や揺らぎ、精妙なボーイングの弾き分けでの音色のグラデーションの素晴らしさを痛感し、新しい発見も続々。これこそ《情報量》の違いなんだと思います。ピンフォーカスとか解像度とはまた違う感覚です。
送り出しの進化のたびに感じるのが低音の沈み込み。低音といっても、弦楽器のコントラバスもあるし、グランカッサのような低音楽器もあり、しかも、ソロあり合奏ありと様々。様々。そういう低音の個性やエネルギー感もしっかり描出するリアリティがまた一段と増しました。低音といっても情報量なんだと痛感します。
これはいったいディスク再生ではどうだったんだろうと、リッピング元となったはずのディスクを持ち出してK1にかけてみました。これはK1のモードスイッチで一発の切り替えです。
聴いて唖然としました。
まるで別の音源のようです。それまで背後の壁面全体に立体的に広がっていたウィーン楽友協会大ホールの音響が、ディスク再生だとせいぜい両スピーカーの外側ぐらいのちんまりとした丸いステージに縮まってしまったのです。これには、一同、愕然としてしまったというわけです。
ビリー・ジョエルの「ピアノマン」。
アナログ音源であっても、いかにもアナログらしい力感とか、ボーカルの腹腔に響くシャウト感も満開。ビリー・ジョエルは必ずしも高音質録音とは言われませんが、それがこんなに魅力いっぱいに聴ける。しかも、このアルバムは、ロシア…といっても、なんとソ連時代でのツアー・ライブ録音です。これもちょっとした胸のすくような驚愕体験でした。
よくアナログの方が音がよいと絶対比較のように言われますが、一面で正しいところもありますが、一方でデジタル再生が十分なクォリティに達していないという面もあるのだと改めて思ってしまいます。
カーペンターズの「シング」もかけてみました。音色のなめらかさ、子どものコーラスのハーモニーの調和と透明感という矛盾する美質がうまく再現できるかを試したかったのです。
後半になって、ベルの澄んだ音が明瞭に聞こえてきてちょっと意表をつかれました。少し前にグロッケンシュピールのような分散音がありますが、それを単音で連打しているのかもしれません。でも、いままでは全く気がつかなかったのです。そう言ったら、MFさんが音響のベテランの人がMFさん宅でこのソフトを聴いてまったく同じことを言ったそうです。これには一同、爆笑していまいました。
「情報量」の違いというのはこういうことなのです。
そのことが、DAC以降は全く同じシステムなのに、データ送り出しだけのプレーヤー部分の違いでこれほど顕著に出てくるのです。
これはどうにも衝撃的なオフ会となりました。
久々の自宅オフ会です。
MFさんのハイエンドマザー導入以降の大変動は、何度かお宅にお伺いして実体験してきたところです。その改造進化はその後も止むことがないようなのです。どこが終着になるのかもわからない勢い。
お宅で聴いてもその違いは確かですが、やはり、我が家のシステムで実際に聴いてみたいという気持ちは抑えきれません。もちろん現在のminiDESKの分散型システムとどれほど違うのかということにも興味がありますし、現在使用中のDAC(GRANDIOSO K1)の限界がどこの辺りなのだろうということを確かめてみたい気持ちがあります。
年初来、ウェルデルタの導入やウェルフロート二階建て、あるいは貸出バシリスの効果を取り入れようと試行錯誤していましたが、ようやく最終的な多段多層セッティングが決まり、そのサウンドが落ち着き満足の域に達しました。お忙しいMFさんとの日程調整がようやく整い、自宅比較試聴が実現したという次第です。
https://bellwood-3524.blog.ss-blog.jp/archive/20220504
さっそく、我がお茶の間に運んでセッティングです。以前はハイエンドマザーもハインドグラフィックボードも一体に納まっていましたが、今回は、電源部の強化にともなって、2台の電源が外出し。改めてその拡張に驚きました。コアもさらにパワーアップしたとのことですが、こういうことに疎い私にはちんぷんかんぷんです。
とにかく、電源こそオーディオ専用分電盤からですが、ごく一般的なテーブルタップで、ごく一般的な電源ケーブル。DACに接続するUSBケーブルも持ち合わせのオーディオ用の某製品をひっぱり出してきたら、もっとフツーのほうがよいとのご託宣です。ということで、引き出しに転がっていたプリンター接続用の余りのコードを使用。もう、とにかくコード類には一切無頓着です。
まずは、既存のminiDESKシステムでひと通り定盤ソフトを聴いてから、接続を切り替えての視聴です。
正直言って、さほどの大きな違いは無いだろうと多少たかをくくっていたのですが、いざ出音を聴いてみると、そのグレードアップ感は明らかです。そのことは聴けば聴くほどに確信のようなものになっていきます。
MFさんは、何が違うと言ってそれは「情報量」の違いに尽きると言います。
「情報量」というのはオーディオではアナログ時代からもよく使われてきた用語ですが、実のところ具体的にどういうことなのか実体もその定義も不明です。ところが、今回の視聴ではなるほどと膝を打つものがありました。
その違いに驚いたのは、ムターのチャイコン。
MFさん宅での試聴にもよく使ったもの。知り尽くしたつもりでいた演奏ですが、また、改めてムターの微妙な強弱や揺らぎ、精妙なボーイングの弾き分けでの音色のグラデーションの素晴らしさを痛感し、新しい発見も続々。これこそ《情報量》の違いなんだと思います。ピンフォーカスとか解像度とはまた違う感覚です。
送り出しの進化のたびに感じるのが低音の沈み込み。低音といっても、弦楽器のコントラバスもあるし、グランカッサのような低音楽器もあり、しかも、ソロあり合奏ありと様々。様々。そういう低音の個性やエネルギー感もしっかり描出するリアリティがまた一段と増しました。低音といっても情報量なんだと痛感します。
これはいったいディスク再生ではどうだったんだろうと、リッピング元となったはずのディスクを持ち出してK1にかけてみました。これはK1のモードスイッチで一発の切り替えです。
聴いて唖然としました。
まるで別の音源のようです。それまで背後の壁面全体に立体的に広がっていたウィーン楽友協会大ホールの音響が、ディスク再生だとせいぜい両スピーカーの外側ぐらいのちんまりとした丸いステージに縮まってしまったのです。これには、一同、愕然としてしまったというわけです。
ビリー・ジョエルの「ピアノマン」。
アナログ音源であっても、いかにもアナログらしい力感とか、ボーカルの腹腔に響くシャウト感も満開。ビリー・ジョエルは必ずしも高音質録音とは言われませんが、それがこんなに魅力いっぱいに聴ける。しかも、このアルバムは、ロシア…といっても、なんとソ連時代でのツアー・ライブ録音です。これもちょっとした胸のすくような驚愕体験でした。
よくアナログの方が音がよいと絶対比較のように言われますが、一面で正しいところもありますが、一方でデジタル再生が十分なクォリティに達していないという面もあるのだと改めて思ってしまいます。
カーペンターズの「シング」もかけてみました。音色のなめらかさ、子どものコーラスのハーモニーの調和と透明感という矛盾する美質がうまく再現できるかを試したかったのです。
後半になって、ベルの澄んだ音が明瞭に聞こえてきてちょっと意表をつかれました。少し前にグロッケンシュピールのような分散音がありますが、それを単音で連打しているのかもしれません。でも、いままでは全く気がつかなかったのです。そう言ったら、MFさんが音響のベテランの人がMFさん宅でこのソフトを聴いてまったく同じことを言ったそうです。これには一同、爆笑していまいました。
「情報量」の違いというのはこういうことなのです。
そのことが、DAC以降は全く同じシステムなのに、データ送り出しだけのプレーヤー部分の違いでこれほど顕著に出てくるのです。
これはどうにも衝撃的なオフ会となりました。
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