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「八年後のたけくらべ」(領家 高子 著)再読 [読書]

20年にわたっておなじみだった5千円札の樋口一葉の肖像。来年から津田梅子にとって代わられるという。その20年前に、話題になっていた本書を、いまもう一度読み直してみました。

東京向島に生まれた作者が、樋口一葉の描いた明治の青春の日々に捧げた哀切極まりないオマージュ。一葉の書いた小説や日記を借りて、《その後》であったり、一葉に寄り添うように生きた妹・邦子の目線に移し換えるなどした短編の五作はいずれも一葉文学に対する愛着や共感が込められています。

その根幹を成すのは、明治という時代に生きた市井の人々の青春の日々と痛々しいまでの喪失感。

この短編集の標題作「八年後のたけくらべ」は、一葉の名作「たけくらべ」の文字通り八年後の再会を模作したもの。十五歳で町を去った信如が比叡山での修行勉学を終えて帰ってくると、心密かに憧れていた初恋の美登利は吉原遊郭の揚巻太夫となっていた。相思相愛ながら互いに素直に心を打ち明けないままにそれぞれの道に旅立ったふたりの八年後。それはそのままに折り合うことのない大人の世界。

「お力のにごりえ」は、同じように名作「にごりえ」をモンダージュしたもの。その切片に新たに幼なじみの義太郎を登場させる。時代は日清日露と続く、戦争の勃発前夜。国家の大事に男子の本懐ありと、果てぬ野心と不運にまみれて没落していく義太郎。誰だって「出世を望む」のが当然という時代の虚偽に背を向けるお力の虚無の影の暗さを、作者はあえて明治という時代や社会の裏面、底辺としてほのめかしている。

「葬列」「日記」「一葉、夏の日々」の三作は、一葉の「日記」に想を得て、そこに取材したものなのでしょう。そこには、一葉(本名・夏子)に寄り添い支え続け、その死後も遺作の刊行に尽くした妹・国子がいます。その回想は、一葉の霊と向き合い対峙して問いかけるようであって、そのこと自体が作者の一葉文学論にもなっています。「一葉、夏の日々」では、さらに作者の私小説的な個人事情の露出があって、それは一葉文学への共感の濃厚な告白・吐露となっています。

一葉は、明治というものに投じられた江戸古典の残影だったような気がします。明治という新時代との相克とその懸崖に咲いた奇跡の花は、一葉が夭逝したことで未完になってしまう。そのことが一葉文学の魅力でもあると同時に、現代人にとっては古風な和文体にとどまっているということで敷居が高い…。

その敷居を越える、補助線のような役割をしてくれるのが領家の筆力。20年前は、紙幣の肖像に登場という話題性につられて読んだけれど、20年後に再び読んでみてもそいう本書の魅力、役割は、今も変わっていないということを確認した再読でした。


八年後のたけくらべ_1.jpg

八年後のたけくらべ
領家 高子 (著)
講談社
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