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再生の難しいソフト  (エベーヌ四重奏団) [オーディオ]

前回日記で、カーボン布の音の悪いことに気づいたソフトとして、ソフィー・ミルマンのアルバムのことをご紹介しました。

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ステージ感や立体表現などは、だんぜん、クラシック系のソフトの方が評価しやすいのですが、音色や質感などは、むしろ、音像が立っていて楽器の数が少ないジャズ系のほうが、違いをとらえやすいということかもしれません。特にボーカルはそういうことが言えるようです。

でも、実は、ここのところ再生で悩ましい思いをしていたクラシック系のソフトがありました。

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エベーヌ四重奏団は、クロスオーバー的な大胆なプログラムなど話題性も高く人気のユニットですが、その録音となると今ひとつ好きになれませんでした。決して、演奏がどうのこうのというわけではありません。私も実際にコンサートにも行って聴いていますが、モーツァルトやベートーヴェンの演奏は、情感の起伏が心地よいスウィング感覚を生み、とても鮮度の高い演奏解釈を堪能しましたし、ジャズスタンダードをやらせても決してキワモノというわけでもなく高度な技術で生き生きとした《遊び》があって楽しめました。

ところがCDアルバムとなると、どうも、聴きづらくて好きになれないのです。

まずどうしても気になってしまうのは、録音レベルの高さです。

クラシックとジャズやロック/ポップ系とではボリューム位置が違ってしまい、ジャンルを切り換えるときは煩わしいところがあります。エベーヌの録音レベルはロック/ポップ系そのもので、とても音量が大きい。まるで、ラウドネスウォーがジャンルを越えてクラシックにまで波及してきてしまったかのようです。

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その結果、ダイナミックのピークではしばしば破綻が起きてしまうのです。

さすがに、起伏の大きいクラシックなのでコンプレッサーをかけてのり弁のように詰め込んでいるというわけではないのですが、波形を確認してみるとピークの頭は平らに潰れてしまっています。おそらく急峻なリミッターをかけているのでしょう。

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シャープな演奏の先駆けでもあったカルミナ四重奏団のシューベルト「死と乙女」(DENON)と比較してみると、録音レベルの高さ、ピークのマージンの窮屈なことなどは顕著です。

録音エンジニアは、ファブリス・プランシャ(Fabrice Planchat)とクレジットされています。

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プロフィールは不明ですが、エベーヌのレコーディングはほぼすべて彼の手によるものと言ってよいでしょう。レーベルはエラートですがこのレーベルの従来のキャラクターとは違っており、むしろエベーヌ専属のエンジニアといってもよいのかもしれません。

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その特異さは、マイクセッティングを見るとよくわかります。

近接マイクと、頭上のメインマイクが演奏者にごく近くに林立しています。マイクは、今どきこんなマイクを使うのかというようなクラシックなもの。形状からおそらくノイマンのものだと思われますがロゴが見当たらないのでカスタマイズされたものなのでしょうか。

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頭の大きなマイクが林立する様子は、まさに「三密」です。こういうマイクは、今ではベースやチェロなどの低音楽器の厚みをとらえるための補助近接マイクに限っては使われますが、中高域の近接マイクやメインに使用されることはありません。大きなダイヤフラムはただでさえ位相に甘いのですが、それをパーティションも無しに密に林立させている様子には、やはり、どうしても違和感を感じざるを得ません。

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音楽プロデューサーにはエベーヌ自身の名もクレジットされているし、エラート(ワーナー)のプロモーションビデオでも、メンバーがヘッドセットを耳にモニターする様子が盛んに映し出されているので、この録音はエンジニアの独断というわけではなく、エベーヌ自身が好んだサウンドということに間違いないと思われます。

それだけに、録音が悪いから…と簡単に切り捨てるわけにもいかないし、実際、聴き込んでみると、それはそれなりに主張があって好みは別として「好録音」と言えるところがあるのです。

けれども、その再生は、やはり、かなり手強いと感じます。

実際のところ、サテライトアースのチューニングを進める過程で、このCDを繰り返し聴き込んできました。ちょっとしたことで欠点が誇張され、その逆に、この録音の目指すところに納得するところもある。音のディーテールを聴いていると、とても再生条件に敏感に反応し、その違いがわかりやすいソフトなのです。

この録音には音場感はほぼ皆無です。左右の拡がりはある程度確保されていますが、ステージ感のような立体感ではなく大型スクリーンに映し出されたような平面画像の迫力で迫ってきます。空気感のようなものも皆無で、エコーのようなものは強奏後の休符時に響く反射音のみ。一方で中域のハーモニーの厚みと、高域倍音がもたらす独特の高揚とテンションの高さがあります。

システムの解像度とスピードが高ければ高いほど、焦点が合わないと高域の質感の粗さとか干渉や歪み感が耳に刺します。それが、高周波ノイズや位相ノイズが抑えられて焦点が合ってくると、前述のような高揚感と音楽的緊張が高まってくるのです。強いアクセントのピークは歪みを含みますが、それがそういう音楽的な情感起伏にストレートに結びついてくる。

シューベルトは、ベートーヴェンを崇敬しその模倣から出発していますが、息の長い旋律主題の逍遥とともに、ベートーヴェン流の強いアクセントを伴った短いモチーフが劇的な感情起伏をもたらしてくれます。そういう響きの前に張り出してくる熱く厚みのある音響と、そこから抜け出してくる単音の色艶が、この録音の真骨頂だということがよくわかってくるのです。

音が凝集してしまうシステムや小さくまとまったこぎれいなサウンドでは単調な冗長さばかりでシューベルトの感情起伏は出にくく、一方で、いたずらにカリカリに仕上げたハイエンド風や近接爆音好みのシステムではアラばかりが目立ってシューベルトの甘美な高揚感が出にくい。まさに「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」といったところでしょうか。

初めは、高域の歪み感を解消することに腐心しましたが、やがてはその加減によってある種のオーバードライブ感がもたらす高揚感が引き立ってくるということに気づき、強奏の不協和音や、それと対照的な主旋律の単音の艶っぽさなどにも忍耐強く耳を傾け、調整の加減を確認するようになりました。

こういう録音をチューニング用デモソフトのひとつに加える気になったのは、やはり、MFPC-Direttaとサテライトアースのもたらす高度な効果なのだろうと納得しています。
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