SSブログ

「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ著)読了 [読書]

「ミカンの味」が面白かったので、同著者の名を世に知らしめた代表作も読んでみたいと手に取った。

51aba1b8-ea8c-4c56-ae5d-4ea5e29872ae.__CR0,0,300,300_PT0_SX300_V1___.jpg

言ってみれば、モーパッサンの「女の一生」の現代韓国版といったところだろうか。モーパッサンのように劇的、社会的ではなく、ごく平凡平易で日常的、時代との結びつきはもっと狭い。時代というより世相というのか、世代共通のセピア色の映像みたいなものだろうか。ジヨンという名前は、82年生まれの女の子のお名前ランキング一位みたいなごくありふれた名前なんだそうだ。

ジヨンの語る半生は、誰にでもありうる人生であり、その断片を我がことに当てはめて、ふとため息のようなものが出るというのは、誰にでも起こりうることだと思う。そのことは女性だけでなく、男性から見ても主客の視点は当然違うけど、共感・共有の可能性としては同じなんだと思う。だから物語は、ジヨンの突然の異常な挙動に驚いた夫のデヒョンが訪ねた精神科医の聞き取りのような形で進んでいく。主人公の「私」が語るのではなく、あくまでも「ジヨン氏」としてその記憶はちょっと距離を置いて語られていく。

「ミカンの味」もそうだったけれど、チョ・ナムジュの著作の面白さは、韓国の日常や常識がよく肌で知れること。日本人にとっては、隣国だけに見かけはほとんど同じだけれど、微妙に細かいところが違い、時代意識も10年ぐらいの範囲でずれる。男女意識や、家庭、教育、就職など身近な意識のところで、同じだということ、違うということ、その両方の発見にそれぞれに違ったときめきが交錯する。

しかも、明らかに韓国は日本より後を追いかけていた後進の国という感覚が、本書を読んでいると、どこか微妙なところで「今の日本もまだ同じじゃないか」「日本の意識の方が遅れている」と優劣逆転の危うさを感じてしまう。そういう何かが起こり始めたのは2000年前後からのことではないだろうか。つまりはアジア通貨危機、韓国の「IMF危機」がその屈折点にあるんだと思う。

いま、政府によるコロナ克服の経済対策で、家庭への給付金支給のあり方が話題になっている。共働き世帯が圧倒的に多くなっているにもかかわらず、政府の諸制度が専業主婦世帯が大多数だった1970年以前の社会を前提にしていることがあからさまになった。為政者やそういう地位にある人々の意識が絶対的にずれている。制度政策の限界に来ている。

男女雇用機会均等法が制定されたのは1972年のことだが、本格的な取り組みが始まったのは1985年のことで、それは女子差別撤廃条約に日本も参加したことが大きなきっかけだった。大企業のいわゆる「学卒一般職」採用に大学新卒女子も採用されるようになったのはこの年だった。それでも、配置や昇進などにあからさまな差別があり、結婚、出産、育児などあらゆる機会をとらえて女性の社会参画が妨げられてきた。そういう社会の背中をようやく押したのが1999年の大改正で、ここでようやく待遇の均等が法に謳われるようになった。それでも日本の社会実態は遅々として進まない。やっぱり2000年前後に日韓逆転の大きな屈折点があったのだ。

日本の女の子のお名前ランキングのトップは、1990年には「愛(あい)」と「彩(あや)」だったそうだ。日本だって《90年生まれ、鈴木愛》がいてもおかしくない。その夫は、さしずめ「佐藤翔」というところだろうか。そしてふたりは、公正自由な社会で、対等に充実した人生を送っているのだろうか。

男女問わず、ぜひ、一読をオススメしたい。



1988年生まれキム・ジヨン_1.jpg

「82年生まれ、キム・ジヨン」
チョ・ナムジュ著
斎藤真理子 訳
筑摩書房
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。