SSブログ

シガールームのシューベルト (紀尾井ホール管弦楽団定期) [コンサート]

前回の5番がよかっただけに期待していたけれど…。

134_TrevorPinnock.jpg

一曲目の「イタリア風序曲」から違和感はあった。弦パートの音がすっきりしない。最初のうちは調子が整わないというのはよくあることと思ったが、終曲となっても団員の表情もどこか冴えない。

二曲目の「ハフナー」では、弦の音色の違和感のみならずどこかちぐはぐな印象も加わった。モーツァルトもシューベルトもいわばウィーンそのもの。オーストリア=ハンガリー帝国の帝都として繁栄を極め、絵画・建築・音楽などさまざまな芸術文化が百花繚乱の様相を呈した。広大な版図はオリエントとも接し、多様な民族・地方文化をもおおらかに受容した。モーツァルトやシューベルトは、そういうウィーンの紳士淑女の血脈、気質のそのもの。例えてみれば、馥郁と香り立つ上質で品のあるフラグランス。

ところが、この「ハフナー」は、どこかがさつで、とにかく自分を大きく見せようといきり立つばかり。確かにこの曲は、堂々たる威風が持ち味で突き抜けるような祝典的な雰囲気が持ち味。だからといって《ウィーン気質》の優雅さは失ってほしくない。それなのに、響きは苦みがあって煙臭い。それぞれのパートの自己主張が強く、溶け合わないからなのだろう。ウィーンのフレグランスというよりは、英国の田舎紳士たちの葉巻の強い匂いがたちこめるシガールーム…そこに折悪く居合わせたような気分。

IMG_6717_1.JPG

そのことは、後半の「グレート」でも変わらなかった。

プログラム構成は、確かに明快で一貫していた。ウィーンの古典様式ということで一貫しているし、編成も「グレート」になってそのままトロンボーン3本が加わるだけと至極合理的で聴感上もわかりやすい。

ところが個々の音が直接的で強く、がさつでニュアンスに欠けるということは、結局、終始変わらなかった。紀尾井ホールの空気容量には、曲が大き過ぎたという批評もあるかもしれない。しかし、この響きのよいホールでは、ブラームスだってマーラーだって演奏されている。何よりも、何年か前、ここでサッシャ・ゲッツェルによるとびきりの「グレート」の名演を体験している。ホールのせいではない。

第三楽章も第四楽章も、ただただ前へ進むだけ。本来この曲の魅力は、反復と変奏で構成される様式美と繰り返しの快感から、いつまでも続いてほしいという「天国的長さ」にあるはず。それが単に「長い」、早く終わってほしいと思わせるのならシューベルトではない。案の定、第四楽章はかなりテンポが走る。最後の和音は伸ばされることもなくあっけなく終わった。そこにはシューベルトの「ヘアピン」形の記号の謎への探求も何も無い。拍手は大きかったけれども、拍手が起こるまでにはちょっと気まずい長さのギャップが残った。

Ami Kaneko.jpg

救いだったのは、改めてこのオーケストラの木管パートの最上級の健闘ぶり。

音色はとびきり美麗で、ソロも対位法的な絡みも和音もすべてが歌心があふれたアンサンブルの愉悦の極み。

ピノックも、一曲目の「序曲」からわざわざオーボエの金子亜未(読響・首席)のもとに歩み寄って抱きかかえんばかりに立たせて称揚。「グレート」の後も、真っ先に木管陣のトップを順に立たせていた。これには客席も納得の大拍手だった。





flyer.jpg


紀尾井ホール室内管弦楽団 第134回定期演奏会
2023年4月21日(土) 19:00
東京・四谷 紀尾井ホール
(2階センター 3列13番)

トレヴァー・ピノック 指揮
千々岩英一 コンサートマスター
紀尾井ホール室内管弦楽団

シューベルト:イタリア風序曲ニ長調 D590
モーツァルト:交響曲第35番ニ長調 K.385《ハフナー》

シューベルト:交響曲第9番ハ長調 D944《ザ・グレイト》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。