SSブログ

色彩の湧水 (プレトニョフのラフマニノフ 東フィル・サントリー定期) [コンサート]

プレトニョフの指揮は、どうしても一度は聴いてみたかった。しかも、生誕150年を記念するオール・ラフマニノフとあっては願ってもないチャンス。

IMG_6858_1.JPG

大きな期待をもってサントリーホールまで出かけたが、その期待をさらに上回る演奏でした。コンチェルトも何もなしの管弦楽曲ばかりというのが、かえってよい。どの曲も、馴染みの違いはあっても、いずれも生で聴くのは初めて。

『岩(“The Rock”)』というのは、誤訳なのだそうだ。プログラムの解説によると、ロシア語原題(“”)を直訳すると「断崖」「絶壁」とすべきなのだとか。曲は、不気味な雰囲気の低音域で始まる。プレトニョフは、いかにもラフマニノフならではの低音をしっかりと押し出す。「崖」といったとしても、上から見るのと下から見上げるのとでは意味がまったく違う。この曲は、先に立ち塞がる岩壁という感覚がする。はるか上方には、希望に満ちた明るい陽が射している。そのフルートソロが美しく、最初の不気味さとは好対照。けれども立ちはだかる岩壁はどうしようもなく、曲は何かを諦めたように終わる。

『死の島』は、スイス人・ベックリンのあの有名な絵に着想を得たという。絵はいくつかのバージョンがあるそうで、私はベルリンでようやく対面した。実物は思いのほか明るい印象で少しよそよそしかった。プレトニョフの指揮も、その絵の印象に通ずるものがあって、暗い死の運命の淵に沈むというよりは、ある意味でロシアの広大な平野とそこに生きる人々の心象風景のような音楽。薄暗い晩秋の野に佇む農民は孤独なようであっても、自然とともに生き胸の内には深い信仰がある。そういうものの音による表徴として、あのロシアの鐘が静かに響く。決して暗い音楽ではない。

プレトニョフは、ラフマニノフが曲想を託した、個々の楽器の持つ気質や音色を鮮やかに浮かび上がらせる。それは、とてもピアニスト的であって、ピアノの巨匠でもあった作曲者を本質的に理解できるのも指揮をする本人もピアニストだからこそなのだと感じる。時として「ロシア的」な陰鬱な重量感に溺れる音楽になりがちなラフマニノフ。あるいは、それとはある意味では対照的なハリウッドの映画音楽的な壮麗な音の洪水であったり。

プレトニョフのラフマニノフは、そういう他の指揮者の誰とも違う。

ラフマニノフ固有のロマンチシズムに潜む卑俗な感傷癖には存分な敬意と尊重を払いながら、それを絶妙な音の筆遣いで表現していく。遠景としての曲の流れは実に見事であって、けれども微細な筆致や彩色のリズムは明確で、耳を引きつける音色の使い分け、重ね方も見事で、その一瞬一瞬が絵画的で魅力に満ちている。まさに色彩が、ステージのそこかしこから次から次へとこんこんと湧き出る泉のよう。

IMG_6856_1.JPG

やはり、そういうプレトニョフが圧倒的だったのは、後半の「交響的舞曲」。

プレトニョフの指揮は、見たところ実に淡々としていて、その顔の表情にも指揮姿にも少しも思い入れたっぷりの派手なものはありません。5拍子だとか、3拍と2拍の頻繁な交代が多いラフマニノフですが、そういう振りの変化すらも見かけは静か。小さく、しかし、とても的確に指示を出す。

東フィルの音楽の運びのうまさにも感服させられます。その瞬間瞬間にどのパートの音色が主役なのかを、そのパートも他のパートも完全に感得していて自信に満ちている。見ていても実に痛快。

「舞曲」第一楽章の開始早々に、木管パートだけで対位法と音色の重ね合わせを綿綿と何小節も続ける場面などは、CDで聴いているとアルトサキソフォンの旋律だけが目立つだけで、弦五部も含め全てが全休止していることに気づかないままに流れてしまうのですが、プレトニョフにかかると本当に魔術的な音の時間でした。カーテンコールで、プレトニョフが、結局、ここだけ参加したサキソフォンを立たせることなく、主要な木管パートを優先して丁寧に立たせていったのはなんとなく納得できます。

中間のワルツも、とても自由で愉悦に満ちたもの。ロシアの大地、そこはとても都会的なものからは遠く隔絶しているのですが、薄暗い館の乏しい灯の下に人々が集い民俗的なワルツを踊るという、どこか哀愁を帯びた心の華やぎを感じさせます。ここはとてもチャイコフスキー的。

圧巻は、やはり、最後の終曲。

ラフマニノフの曲には頻出する、グレゴリア聖歌「ディエス・イレ」の音型。聖書的には終末を意味するものですが、それがラフマニノフでは、決して暗黒的なものではなく、鐘の音の合図で始まる心の解放と乱舞の狂瀾。

東フィルものりにのっていました。それにしても、プレトニョフの小刻みな棒さばきに実に誠実に感応する。単に技術的に上手いというのではなくて、音楽の流れやアゴーギグが堂に入っている。東フィルの最近の進境ぶりにも舌を巻く思いがしました。



flyer.jpg

東京フィルハーモニー交響楽団
第984回サントリー定期シリーズ
2023年5月10日(水)19:00
東京・赤坂 サントリーホール
(2階LB 5列4番)

ミハイル・プレトニョフ(特別客演指揮者)

ラフマニノフ:
 幻想曲《岩》
 交響詩《死の島》

 交響的舞曲 Op.45
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。