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「憧れのフランス音楽」 (芸劇ブランチコンサート) [コンサート]

今年は、サン=サーンスの没後100年のメモリアル・イヤー。

サン=サーンスといえば、学校の観賞曲だった「動物の謝肉祭」やその中からの「白鳥」とか、あるいはヴァイオリニストがよくお披露目にする「序奏とロンド・カプリチョーソ」、オルガン付の誇大な交響曲とか、よく知られてはいるがいささか俗っぽいものばかりで、オールドファンには評価が低いのかもしれません。

でも、実際はモーツァルトをもしのぐ神童ぶりを発揮し、同じように長寿だったシベリウスとは対照的にアルジェリアで客死する直前まで精力的に活動を続けた。それだけに保守的で時代遅れだと、そういう点でも、斬新で都会的なイメージの近現代《フランス音楽》に属するようにはあまり思われていないようです。

それが、オペラにせよピアノを始めとする器楽曲にせよ、どんどんと評価が高まってきたのは、たぶん1980年代になってからだったのだと思います。個人的にも、ちょうどその頃、たまたま手にした管楽器ばかりのソナタ集の一枚のアルバムが、サン=サーンスが好きになるきっかけでした。

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そう、フランス音楽といえば、管楽器。古典音楽では決して輝かしいスポットライトを浴びることのなかったフルートやオーボエ、クラリネットといった木管楽器こそ、いかにもパリのサロンの雰囲気を醸し出します。

そういう管楽器の名曲がずらり。

管楽器奏者にとっては、学生の頃から何百回、何千回と親しんできた、あたりまえのレパートリーが、多くの聴き手にとってはとても新鮮。初めて聴いてみて、なんで今まで気がつかなかったんだろうとたちまちにその魅力に取り憑かれる。そういうことが、懐かしのあのLPレコード一枚でもあったのです。

いつもはオーケストラのその他大勢で目立たない奏者たちが、こうやってソリストとして次から次へと妙技を尽くし、精妙で洗練された個性あふれる楽曲を次々と披瀝する。ところが演奏している本人たちにとっては、ごくごくありふれた曲目だという、その客席と奏者との間の何とも言えぬギャップがちょっと独特。

面白かったのは、清水和音さんも、そのギャップのこちら側にいたということ。

何と今日のプログラムは、すべて初めて演奏されるとのこと。プーランクなどピアニストにとっても大変な難曲でとても緊張しました…と会場を笑わせます。こうしたフランス作曲家たちのピアノ作品をいままであまり弾いたことがなかったけれど、これからはチャレンジしてみたいとのこと、和音ファンにとっても楽しみです。

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竹山さんのフルートはちょっと細身。フルートは正弦波に近く音がピュアな反面で音色が単調になりがち。一方で、フレージングやブレス、タンギング、唇や口腔の振る舞いといった生身の身じろぎが伝わりやすい。無伴奏の「シランクス」など、そういう音楽の鮮度とか肉体的なところがもう少し伝わってきたらよかった。

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伊藤さんは、先日、日経ホールで元ベルリン・フィルのオーボエ奏者シュレンベルガーさんの来日中止で急遽代役で登場して、その演奏に感服したことが記憶に新しい。とても安定したリードの発音と、倍音に富んだ音色と響きはとても多彩で豊か。今回もまったく同じで、相方の女性の皆さんが素敵なドレスなのに伊藤さんはまるでサラリーマンみたいなスーツ姿。それがかえって名手としての貫禄を感じさせるから不思議。プーランクはともすれば奇矯なまでに異才ぶりが強調されがちですが、穏やかでくつろげるウィットに富んでいました。

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吉村さんは、前回のこのシリーズではちょっと堅かったのですが、今回は素晴らしかった。「N響にも慣れましたか?あのオーケストラは格別ですからね。」という清水さんの質問もどこか意味深。サン=サーンスのソナタの歌い出しなど、とても軽妙で可愛らしい。小柄な吉村さんにぴったり。時に軽く、時に愁いを含み、ある時はとても香り高くゴージャスな響き…と、色彩の吹き分けも見事。これからも微妙なニュアンスを彩るパレットの数を増やしていければと将来が楽しみ。

最後のサン=サーンスの奇想曲を聴くのはまったく初めてでしたが、突き抜けるような高域のハーモニーの美しさは快感で、駆け引きとか主役脇役の出たり引っ込んだりというアンサンブルの楽しさに堪能させられました。これもフルート、オーボエ、クラリネットのメロディ楽器がそろい踏みできるという数少ない曲目で、管楽器を学ぶ学生にとっては、三人寄ればこれしかないというレパートリーなんだそうです。

こうして聴いてみると、サン=サーンスは、管楽器というフランス音楽のエスプリの核心部分でも大変な貢献をしていて、続く世代をリードしていたんだなぁと痛感しました。




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芸劇ブランチコンサート
清水和音の名曲ラウンジ
第31回「憧れのフランス音楽」
2021年8月25日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階M列26番)


フォーレ:ファンタジー
(Fl)竹山 愛、(Pf)清水和音
プーランク:クラリネット・ソナタ
(Cl)伊藤 圭、(Pf)清水和音
ドビュッシー:シランクス
(Fl)竹山 愛
サン=サーンス:オーボエ・ソナタ
(Ob)吉村結実、(Pf)清水和音
サン=サーンス:デンマークとロシアの歌による奇想曲
(Fl)竹山 愛、(Ob)吉村結実、(Cl)伊藤 圭、(Pf)清水和音
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「ミカンの味」(チョ・ナムジュ著)読了 [読書]

「いつも一緒」の仲間が「いつまでも一緒」であることは、切ないまでのドリーム。

誰であっても、どこに生きていても、どんな年齢になっても、それは共通の夢。そのことが現実に直面し、夢が夢に終わるとき、ほろ苦い思い出として、心の底に沈殿していく。


読後の感想に、私的な思い出から始めるのは邪道かも知れないけれど…

中学生の頃、確かに「いつも一緒」の男女4人組のひとりだった。高校に進学しみんながばらばらになってしまうのは運命のようなものに思えた。そのことに抗うことなんかできるとは思わなかったし、そんなこと自体考えもしなかった。

もちろん、転校をくり返してきたから、せっかく慣れたクラスメートや数少ない友達と呼べる子と別れることがどんなことかは痛いほどわかっていた。転校は自分のせいではない。望みも予想だにしない転居はすべて親の都合だ。低学年のころはクラスになじめなくて勉強もできが悪かった。親が進学校に行かせようとするが、箸にも棒にもかからない。だから公立中学にみんなと一緒に進学できたけれど、受験のための塾通いは仲間を裏切ったようでいつまでも引きずった。

悪い予感は的中した。「いつも一緒」の仲間はあっという間に疎遠になった。進学した高校は知らぬ子ばかりでずっと空気は冷ややかだったし、最初の学期末試験での成績はひどかった。再試だとか夏休みの補講を言い渡されて、がらんとした休み中の教室に通うことは屈辱だったしひとりぼっちだった。

たぶん、自分の子供たちも、同じような思いをくぐって来たに違いない。もちろん時代も違っていただろうけど。むしろ彼らは、遠く言葉も通じない海外にいきなり連れて行かれたこともあったからなおさらだったろう。

それくらい、中学生の「いつも一緒」の仲間が「同じ高校に行く」ということは、切ないほどのドリームだ。そういう願いを誓わせるような重たいけどもやもやしたものをそれぞれが背負っている。そんなことが心のなかを行き交い気持ちがうずく。

古希を迎えた老人がそんなセンチメンタルな思いになるなんて…。



物語は、中学生4人の女の子たちが主人公。

中学の映画サークルで知り合った4人の女の子。ぎくしゃくした出会いだったが、一年生の学園祭での協働がきっかけで「いつも一緒」の仲間になる。三年に進学する直前に、4人でチェジュ島に泊まりがけで行く。そこで誓ったのが「同じ高校に行く」という誓いと1年後の再開。すでに、4人はそれぞれの事情で、間違いなく別々の高校へ行くことはわかっていた。だから、そんな誓いはさして重要だとは思っていなかったのだけど…。

標題の「ミカン」とはチェジュ島の名産のこと。

4人はミカン農園でミカン狩りに興ずる。そういう高揚感とミカンの甘酸っぱい味の余韻は、私たち日本人にとってもまったく同じだろう。余計な話しだけど、チェジュ島のミカン栽培は、戦後に在日のひとが苗を持ち込んだもの。土地の気候にあった改良が功を奏して成功した。最貧地だったチェジュ島にミカン長者が何軒も現れ、子弟を大学まで進学させたほどだったという。そんな歴史を今の韓国の若い人たちは知っているのだろうか。

韓国の、学校教育制度、共通一次試験、社会の教育熱とその現実などが、訳注や解説として巻末に親切に詳述されている。これがとても面白い。公立では高校平準化の政策が進められる一方で、私立や特別高などへの選択制の導入で進学校への選別が進むという矛盾。塾通いが学校とは別の交遊の場所だとか、高校の種別や格付けだったり、進学のための転居や越境入学のことなどなど…。日本と共通だけれど細かいニュアンスが違っている。

イジメや学校暴力が深刻なことも同じだが、韓国には「学暴委(学校暴力対策自治委員会)」というものがあって、保護者代表や法律関係者も参加した第三者委員会が常設され大きな権限を与えられているという。日本の現状を見ると大いに考えさせられる。

4人のそれぞれの生い立ちや事情を語る前半、四人の出会い、そして、もう一度、仲良くなってからの4人の動向が描かれる後半。構成はシンメトリックで単純だけれど、巧妙なプロットが隠されている。会話が多くて簡素だけれど、さわやかな筆致はとても丁寧。よく練られた構成とともに成熟した筆者の力量を感じさせる。惜しいのは、4人の性格描写がやや弱く、それぞれの顔立ちが思い描きにくいことだろうか。

若い世代だけでなく、もっと幅広い人々にも読んでもらいたい作品。世代によって思いは違って当然だろうけど、それぞれにきっと好きになれる小説。

…「ミカンの味」みたいに。


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ミカンの味
チョ・ナムジュ 著
矢島暁子 訳
朝日新聞出版
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「中世ヨーロッパ」(ウィンストン・ブラック著)読了 [読書]

ヨーロッパの「中世」には、その時代への憧憬とともに虚偽に満ちている。

例えば、『中世は暗黒時代』などと言われるが、それはフィクションだという。

本書は、中世ヨーロッパについてのフィクション11項目とりあげて、その概要と成立過程などを概観し、そういうフィクションを流布させた史料を提示する。後半、実際にはどうだったかを示し、それを裏付ける史料を提示する。

すなわち、フィクションと、それを真っ向から否定するファクトを並列させ、それぞれに史料からの引用をあげるという構成となっていて、テーマごとにその構成を決して崩すことなく堅固に繰り返す。そういう堅さが、本書の真骨頂。

もちろん、歴史好きにとっては「そうだったのか」という暴露的な面白さはある。けれども、ヨーロッパ中世のイメージが大ウソだと、次から次へと切り捨てているだけではない。そういうフィクションがどうして生成されたのか、どのように流布していったのかを丁寧に概説し、実際はどのような真実だったのかを史料に基づいて説明している。

こういう「中世」のフィクションは、「中世主義」「中世趣味」と言われる。それはヨーロッパ各国の国民国家が成立する近代において歴史的アイデンティティの模索から生まれたという。中世からインスピレーションを得た文学や絵画などに現れる中世主義的表現は、新たな表現を生むとともに、騎士道など近代人の価値観に添う形で理想化されていく。

一方で「中世」には、無知と迷妄に満ちた知的退行、野蛮で残虐な時代、教会が人々を支配した時代というネガティブなイメージも造られていく。それは主に、近代のルネサンス賛美の裏表であり、あるいはプロテスタントがことさらにカトリックを批判し貶めたプロパガンダとして形成されたということは否定できない。その傾向は、プロテスタント優位のアメリカでは、中世ヨーロッパの後進性とカトリック教会支配への忌避感によって強められていく。

「訳者あとがき」が秀逸。

ひとつの短いエッセイになっていて、こういったことが日本人にもわかりやすく簡略に概説されている。さらに日本の「中世主義」の受容の歴史に触れ、80年代後半以降にはそれが「ドラゴンクエスト」などロールプレーイングゲームやアニメによって新たなサブカルチャーを生み、ヨーロッパへと逆輸出されたとの指摘は目からウロコ。歴史研究における「史料批判」のあり方にも触れるなど、内容的に読み応えがあるし、本文の理解にも大いに資するところがある。まず最初にこの「あとがき」を一読し、読後に再び一読されることをおすすめする。本書の面白さが倍増するに違いない。

これだけの大部を新型コロナ感染にもかかわらず短時間で訳出した訳者陣にも敬意を覚える。しかも、訳者の皆さんは、少壮の研究者や研究学徒ばかり。大いに賛辞を送りたい。



(参考)中世についての11のフィクション
1.中世は暗黒時代だった
2.中世の人々は地球は平らだと思っていた
3.農民は風呂に入ったことがなく、腐った肉を食べていた
4.人々は紀元千年を怖れていた
5.中世の戦争はウマに乗った騎士が戦っていた
6.中世の教会は科学を抑圧していた
7.1212年、何千人ものこどもたちが十字軍遠征
8.ヨハンナという名の女教皇がいた
9.中世の医学は迷信にすぎなかった
10.中世の人々は魔女を信じ、火あぶりにした
11.ペスト医師のマスクと
    「バラのまわりを輪になって」は黒死病から生まれた





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中世ヨーロッパ: ファクトとフィクション
ウィンストン・ブラック (著)
大貫 俊夫 (監訳)
訳者:内川 勇太、成川 岳大、仲田 公輔、梶原 洋一、梶原洋一、白川太郎、三浦麻美、前田星、加賀沙亜羅
平凡社

原著:The Middle Ages: Facts and Fictions. 2019 by Winston Black

タグ:中世
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「日中戦争」(波多野澄雄ほか 共著)読了 [読書]

8月15日、ラジオ放送で蒋介石は「仇に報いるに徳をもってせよ」(「以徳報怨」)と日本軍の武装解除を呼びかけた。

この発言がもととなって日本には賠償を求めなかった。中国は連合国の一国として戦勝国の地位を得て国際連合の常任理事国となった。長きにわたった戦争を耐え抜き勝利を手中にしたのは中国だった。

しかし、日本にとっての戦争は8月15日に終わったわけではない。

実は、この時点で、中国派遣の日本軍、約105万の精鋭は統率を保ち旺盛な志気を保ち健在だった。岡村寧次志那方面軍総司令官は『敗残の重慶軍に無条件降伏するが如きは絶対承服し得ず』と抵抗した。朝香宮を派遣し説得に努めた結果、降伏を受け入れたが、投降する日本軍の武器や装備、人材は、中国側の接収競争の渦中に投げ込まれる。

国民政府軍が出遅れた華北では共産党軍が命令を無視。蒋介石もこれに対抗し、停戦後も武装解除せずに日本軍の態勢と統治秩序を保持することを要請したから、華北では共産軍と日本軍の戦闘が続いた。8月15日の蒋介石の「以徳報怨」演説はこうした情勢を背景にしていた。

その年の10月10日に、いったんは国民党と共産党の統一政権の合意(「双十協定」)が成立するが、その後も両党の主導権争いは続く。日本軍の全面的な武装解除の完了は翌年1月のことで、その間、7千名の死傷者を出している。

本書は、太平洋戦争を日中戦争のなかに包含して、その延長あるいは一部分として捉える。その起点を1937年(昭和12年)の盧溝橋事件とするにとどまらず、原因となった満州事変と満州国設立にまでさかのぼる。戦争期ははるかに年数が長いというわけだ。

日本は、一貫して日中二国間での解決に固執するが、蒋介石は基盤薄弱な国内主権をかろうじて保ちながら多国間、国際的な枠組みでの外交にこだわった。日本は、米国への仲介を求めながら迷走し、かえって日米間の緊張の高まりを強め、ついに戦端を開く。すかさず蒋介石政権は対日宣戦を布告し、まんまと連合国/戦勝国の地位を得ることになる。日本は、中国を交戦国だとも認める間もないまま敗戦を迎えることになった。

しかし、サンフランシスコ講和条約の席上に、戦勝国・中国は不在となった。

成功したかにみえた蒋介石だが、結局は、内戦に敗北し中国には共産党政権が樹立する。そのこと自体は本書の範囲外だが、日中の当事者は、日本と国民政府との大きな争点だった防共協力とそのための華北の日本軍駐留に合意できなかったことを悔いたという。日中の駆け引きの破綻は、結局は双方の破滅を招いたというわけだ。その失敗には、米国の対日不信と尊大な強硬策も加担している。

本書は、10年前に終了した日中歴史共同研究(日中両国政府支援)の成果を参加者の個人的見解としてとりまとめたもの。

それだけに従来の日中戦争史に対して、中国側の視点が豊富に採り入れられている。その戦争史観は、紛争を反ファシズム統一戦線の枠組みに拡げて政権の正統性を得ようとした蒋介石の戦略の勝利であり、地域紛争として二国間での解決にこだわり続け軍部を統御できないまま国内政治の迷走を招いた日本の失敗と位置づける。

従来の日中戦争史は、「なぜ始まったのか」「なぜ解決できずドロ沼化したのか」という日本側の政治プロセスに傾き過ぎているとの批判はその通りだと思うが、かといって中国側の動向を追うばかりで、これまでも多々指摘されていきた日本の和平努力とその挫折を素通りしてしまっているのはどうかと思う。戦禍拡大を煽動した国内世論やそれに乗じたポピュリズム政治家や軍官僚の「中堅層」も実態が描かれない。このあたりは、特に第四章、第六章が罪深い。「抗日戦争」「傀儡政権」という言葉尻を捉え、それをくどくどと説くだけでは、かえって肝心な本質を見過ごしてしまっている。

ましてや『中国人民が日本の「侵略」に抗して「抵抗」を貫いたからこそ…国民統合が進んだという歴史観は動かしがたい』という著者代表の主張(「はじめに」)にはとうてい肯んじがたい。結果重視というのは、結局は体制順応であって、真の学術的姿勢とは思えない。

むしろ、「日中歴史共同研究」の参加者ではない、ふたりの著者が担当した部分がとても新鮮。

財政史の視点で書かれた第七章と、南京攻略戦とそのプロパガンダについての第三章と第五章は、これまでの日中戦争史論に欠けていたユニークな部分で読み応えがある。特に、予算統制の最後の砦を議会があっさりと明け渡してしまう瞬間を数値的に明示し、満州国開拓政策がかえって国内の資本投資や蓄積を簒奪し、稚拙な外交によって国際的孤立が貿易立国の基盤を破壊していったとの指摘は新鮮。いわゆる「南京虐殺」のフェースニュースに対しては当時から憤りを買っていたという。反論ベタというのもそうだが、当初は好意的だった海外報道を傍観したり、批判的な国際世論に真摯に耳を傾けることをせず、かえって意固地になる性向は今も変わらない。

標題の前に「決定版」とうたっているが、それはあまりにも不遜。

むしろ、本書をひとつの契機としてもう一度あらためて日中戦争や太平洋アジア戦争の歴史的探求と論議を深めてほしい。




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決定版 日中戦争
新潮新書
(著者)
波多野 澄雄 筑波大学名誉教授
戸部 良一 帝京大学教授
松元 崇 元内閣府事務次官*
庄司 潤一郎 防衛研究所研究幹事*
川島 真 東京大学教授

*は、「日中歴史共同研究」非参加者
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「疫病の精神史」(竹下節子著)読了 [読書]

ユダヤ教が、食前に手を洗う掟や食物のタブーなど衛生観念を厳格な教条として守っていた。その教条主義と偽善を、イエスは、厳しく批判した。イエスは、むしろ、不浄や穢れに触れることを厭わず、病人の身体に直接手を触れ按手することで治癒の奇跡を行ったという。外形的なものを偽善として、清めるべきは内的なものだと説いた。穢れや死の病に対する奇跡の治癒は、隣人への愛という考えを生む。

ローカルな習俗的宗教には、戒律、食のタブー、隔離や棄民など共同体の感染症対策の疎外的な本質が秘められている。キリスト教がそれらに敢然と否を唱えたことこそが、民族宗教だったユダヤ教から脱して支配者ローマや周辺蛮族にも受け入れられ世界宗教となった源泉だという指摘はなるほどと思う。

確かに著者が指摘するように、歴史的にカトリック教会は病者の治癒にことのほか熱心に取り組んできた。思えば日本における布教も、戦乱に明け暮れる戦国時代後期、飢餓や疾病に苦しむ貧者のあいだから広まっていく。病院や孤児院の設立や医学知識の伝承こそが布教の広がりを支えていったという歴史がある。

ところが、本書の啓蒙的な本質はここまで。

中世以降は、むしろ不浄と不衛生を貫いた聖者たちの度を超した清貧の奇矯ぶりや秘跡の事例をえんえんと列挙する。これらは科学的、防疫的な常識や理念に真っ向から反するわけでどうにも文脈が錯綜し矛盾していて文意が読み取りにくい。しかも、えんえんと続くヨーロッパ宗教史の衒学的な執拗さに辟易させられる。

中世には、黒死病(ペスト)やレプラ(ハンセン病)が蔓延した。こうした病に何の知識もない庶民はおののき、呪術や迷信にとりすがったに違いない。けれどもキリスト教会はそれなりの医学知識を持ち医療施設やハンセン病の施療院もあったという。それと聖者たちの奇跡は、どうにも矛盾していて著者の意図が取りにくい。

近代になって牛痘やパスツールの免疫療法、あるいは低温殺菌法が生み出され、医学は大きく進歩したが、それらがキリスト教の思想に結びついているという主張は、論理として無理がある。こういう強引で脈絡のない話しを連発されると、どんどんと読み飽きてくる。

著者のこれまでのネタを総動員して拙速で組み替えたという観が否めず、新型コロナ感染の現状に乗じた便乗本と言われても仕方がないのではないか。


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疫病の精神史 ――ユダヤ・キリスト教の穢れと救い
竹下節子 著
ちくま新書

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「日本史の論点」(中公新書編集部編) 読了 [読書]

歴史研究は、新資料の発見や論考など日々更新され蓄積されていく。特に、日本史は、戦前の皇国史観から戦後の占領政策へと教育内容が一変しているだけに、その解釈の変転が著しい。本書は、古代から現代まで各時代の論点ととなるテーマをあげて、最新の研究成果を紹介するというもの。

まず構成と執筆者を一覧すると…

第1章:古代 3世紀初頭~1086(院政開始)         倉本一宏
第2章:中世 1086~1573(室町幕府の滅亡)         今谷 明
第3章:近世 1573~1867(大政奉還)            大石 学
第4章:近代 1867~1945(終戦)             清水唯一朗
第5章:現代 1945~                    宮城大蔵

やはり面白いのは、第1章の《古代》。

「論点1・邪馬台国はどこにあったか」は、要するに九州北部説。そこでのシャーマニズム的集落国家であって、古代国家の源流となる畿内の大和政権との関連性は見いだせないとのこと。そういう素っ気なさは、一方で本書全体の誠実な研究姿勢を象徴している。

そうであっても、「論点2・大王はどこまでたどれるか」あるいは「論点2・大化改新はあったのか、なかったのか」「論点4・女帝と道鏡は何を目指していたのか」といった論点は新鮮だ。戦後教育を受けた私たちの世代であっても《万世一系》や颯爽たる《改新》、《悪人・道鏡》を教え込まれていたからだ。

第2章《中世》もなかなか面白い。

そもそも「中世」という言葉自体が、西洋史学を国史に当てはめたものだと気づかされると、明治以来の日本史研究はそうとうに歪んだものだったと思い当たる。「論点3・元寇勝利の理由は神風なのか」も、《神風》どころか台風でさえなかったと言われて、これは目からウロコ。

第3章《近世》は、江戸時代というものの大いなる価値を納得させられる。

《明治維新》を強調するあまり江戸時代の社会的・文化的な成熟と蓄積が意図的に隠蔽、軽視される傾向は戦前・戦後にかかわらず続いていたけれど、最近の歴史ブームが私たちの知識を豊かにしてくれて、大いに新たな《江戸時代観》を醸成したのだと思う。この章は、それだけに読みやすく面白い。「論点7・明治維新は江戸の否定か、江戸の達成か」などを読むとつくづく江戸時代の恩恵を近現代の日本は受けているのだと痛感させられる。

第4章《近代》は、現代の日本を考えさせられる多くの論点を提示している。

「論点1・明治維新は革命だったのか」は、前章の視点を引き継ぐものでやや重複感が否めないが、江戸時代を「封建制」と決めつけるのがいかに浅薄かということを納得させられるのが「論点2・なぜ官僚主導の近代国家が生まれたのか」だ。そこを踏まえると、この章で、とても重要な論点だと思えてくるのが「論点3・大正デモクラシーとは何だったのか」だ。大戦への反省という意味で、ここの論点は今後もっと論じられてはよいのではないか。

第5章《現代》は、残念ながらいかにも見劣りする。

いわゆる《歴史認識の問題》(例えば「侵略戦争か防衛戦争か」など)も、第4章と第5章との狭間に抜け落ちている。戦後の「吉田路線」も「田中角栄」論も、いい尽くされた範囲を越えておらず《論点》になっていない。ましてや「高度成長」のどこが論点なのかさえわからない。

唯一、論点らしい論点は、「論点5・象徴天皇制はなぜ続いているのか」なのだが、前章の近世・近代との連携もなく、「護憲か改憲か」の視点にも欠けていて、今後への問題意識も皆無。個人的には、この問題に関しては、そろそろ「平成天皇は名君か、凡君か」ということも論じ始めても良いのではないかと思っている。《象徴天皇》は、確かに言葉としては占領下の憲法の作文だが、その実質は、戦後社会と皇室が不断の努力を積み重ねて磨き上げ定着させてきたものではないかと痛感するからだ。



歴史を学びたい人、論ずるのが好きな人にはなかなかの好著で、しかも取っつきやすい。巻末の『日本史をつかむための百冊』も実用的。


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日本史の論点
―邪馬台国から象徴天皇制まで
中公新書編集部編
中公新書

タグ:日本史
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