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愛のコンチェルト (河村尚子X読響メンバー/弦楽五重奏) [コンサート]

神奈川県民ホールに初めて出かけました。
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横浜は、みなとみらいホールの存在感が突出していますが、こちらのホールはむしろ老舗といってもよいホール。とはいえ老舗ということになると県立音楽堂があって、その両者に挟まれて、クラシックの演奏会場としてはこちらはちょっと地味な存在なのかもしれません。
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お目当ては、河村尚子さん。
その河村さんは、今回は久々のご家族そろっての里帰りだとか。その日本滞在中に八面六臂のご活躍。その精力的な活動に感服するばかりですが、自分としてはこの公演に絞っての追っかけになります。何と言っても、シューマンの協奏曲を室内楽バージョンでというのが斬新で滅多に聴けないと思ったからです。
ピアノ協奏曲の室内楽バージョンといえばショパンです。今でこそ仲道郁代さんをはじめ盛んに演奏されるようになりましたが、つい10年ほど前までは、演奏機会はとても希少でした。ショパンは、そのスコアに小さく併記して室内楽でも演奏することを示唆していました。当時は、現代のようにオーケストラとともに公開演奏される機会は稀で仲間内のサロンなどで、このような室内楽形式で演奏して楽しんでいたようです。
シューマンの協奏曲は、そのような作曲者自身の室内楽バージョンはありませんが、今回は木村裕さんの編曲によピアノと弦楽五重奏版での演奏です。
まずは、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク。
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ここの小ホールはとてもユニーク。まず目をひくのはパイプオルガンですが、1975年開場以来のものですから、ホール作り付けのオルガンとしても老舗です。ステージを対角線の隅の一角に配置するという変則的なホール構成もとてもユニーク。
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オーソドックスなシューボックスとは違った響きがします。開演前の会場のざわめきの印象は、多目的ホールにありがちなニュートラルな響きでデッドな印象のわりに客席の会話がうるさく感じます。
ところが演奏が始まるとちょっと意外でびっくり。とてもアンサンブルの個々のパートの音色がよく立っていて、しかもハーモニーがステージ中央に凝縮して、響きすぎず残りすぎず、個々のパートのダイレクトな魅力も伝わってきて、とても心地よい。こういう響きのホールはなかなか他にありません。室内楽の魅力を引き出すにはうってつけのホールだと思いました。
アイネ・クライネ・ナハトムジークは、弦楽オーケストラでもクァルテットでも演奏されますが、この弦楽五重奏版が一番好き。長原幸太さんのソロイスティックな活発さヴァイオリンソロが引き立つし、川口尭史さんのセカンドの呼応する旋律やリズミカルな刻みに心が浮き立ちます。鈴木康浩さんのヴィオラもこれに呼応して何とも言えないほどのチャーミングな色合いがあるし、室野良史さんのチェロとユニゾンで歌う場面は惚れ惚れしてしまいます。もちろん、五重奏ならではのコントラバスが魅力。瀬 泰幸さんは、ハーモニーの厚みやリズムの弾みを存分に押し出していて気持ちがよい。そのことは弦楽アンサンブルの魅力いっぱいのドヴォルザークでも同じ。
ステージも客席も存分に高揚してきたところで、いよいよ河村尚子さんの登場。
ピアノコンチェルトは、シューマンの曲のなかでも一番好きな作品。完成までに時間がかかったそうですが、クララとの共同日記帳からはクララの関与も感じさせます。何よりも印象的なのはクララの名前が埋め込まれた第一主題。そういうオリジナルの木管の響きがうまく鈴木康浩さんのヴィオラのチャーミングな色合いに遷し変えられているし、冒頭の響きをはじめ、トゥッティの強奏が大オーケストラさながらの高揚がある。編曲がとても素晴らしい。
オリジナルでは少し小ぶりな印象のあるカデンツァなのですが、もともとシューマンは派手なヴィルトゥオーシティよりも、室内楽的な情感がねらいだったとか。だからここではバランスがとても良くて、それだけに河村さんの妙技に誰もが聴き入ってしまう。そういう静寂がホールに漲ります。そのことは第二楽章のピアノとアンサンブルの小粋な応答にもあります。そして第三楽章の華やかな疾駆。コントラバスの瀬さんの顔には時おり、ノリノリの笑顔が浮かびます。河村さんの指遣いと独特な身体全体でのリズムの取り方にうきうきしてしまう。最後は大盛り上がりの拍手がやみませんでした。
晩年、精神のバランスを崩し、しばしば正気を失ったシューマンですが、それでもこの協奏曲は記憶に残り続け、クララとの愛を象徴するものだったようです。エンデニヒの病院で、「あなたによって本当にすばらしく演奏されました」と日記に書き残していたそうです。
室内楽形式で聴いてみると、そういうプライベートな愛の情感が一段と引き立ちました。
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横浜18区コンサート
横浜みなとみらいホール出張公演
河村尚子(ピアノ)X読売日本交響楽団メンバー(弦楽五重奏)
2022年8月30日(火) 15:00
横浜市 神奈川県民ホール 小ホール
(4列15番)
河村尚子(ピアノ)
読売日本交響楽団メンバー(弦楽五重奏)
 長原幸太(ヴァイオリン)[コンサートマスター]
 川口尭史(ヴァイオリン)[首席代行]
 鈴木康浩(ヴィオラ)[ソロ・ヴィオラ]
 室野良史(チェロ)
 瀬 泰幸(コントラバス)
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525より第1楽章
ドヴォルザーク:弦楽五重奏曲第2番ト長調 Op.77より 第3楽章、第4楽章
シューマン(編曲:木村 裕):ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54(ピアノと弦楽五重奏)
(アンコール)
シューベルト:即興曲 Op.90より第3番
(ピアノ独奏:河村尚子)

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DAC-10が昇天

長年使ってたDAC-10がついに昇天。


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サポートに問い合わせたが、症状からすると基板を交換するしかない…と。
DAC-10は、ちょうど10年前に発売されたデジタルヘッドフォンアンプで、当時はDSDネイティブに対応ということで話題になりました。DSDネイティブが常識の今日から見ればまさに光陰矢のごとしです。
私は、ヘッドフォンで聴くと言うよりも、もっぱらPCにつないでAudioGateでエアチェック音源を編集するときのモニターに使ってます。組み合わせで使っているのは、KORGが無償提供するAudioGate。こちらも高音質プレーヤーソフトとして昔からよく使われてきましたが、私は、やはりもっぱら編集ソフトとして使用しています。
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AudioGateも、かつてはDSFファイルのメタデータを編集できる唯一のソフトとして貴重なものでしたが、今ではdBpowerampのEdit ID Tagsでも対応できます。とはいえ分割したり結合したりという編集機能が便利なのでいまだに現役だというわけです。
というわけで、すぐに後継機種おDAC-10Rを購入しました。
換えてみたたら音が良くなった気がします。
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PCの音声はすべてこれで聴いてます。ヘッドフォンは、これまた大ベテランのSONY MDR-CD900改。
10Rには、フォノ入力もあってAudioGateの機能を使って、RIAAだけでなく様々なEQカーブでデジタル化できるようになっています。でも、これは使いません。そもそも持っているレコードはすべてRIAA規格統一後のものです。一時はKORG MR-2000Sでアナログレコードのデジタルアーカイブ化もやろうと思いましたが、アナログ再生そのものの難しさを痛感して挫折しました。カートリッジの選択をはじめあまりに使いこなしが広範囲で、しかも、盤面をベストにすることが難しいと感じたからです。MR-2000Sはとっくに処分してしまいました。
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日々、エアチェック音源をせっせと編集をしています。

タグ:KORG
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花咲ガニ [雑感]

花咲ガニ。
痛い。
遅まきながら誕生日祝いだと娘が北海道土産を兼ねて買い付けてきた。
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「シューベルトの歌曲とピアノ・トリオ」 (芸劇ブランチコンサート) [音楽]

オール・シューベルト・プログラム。
しかも、前半は、この芸劇ブランチコンサートに通うようになってからたぶん初めての歌曲。
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バリトンの加耒徹さんは、スリムなイケメン。この日、ほぼ満席となったのはどうも加耒さんの人気のせいらしい。一見、小柄なのにどこにこんなパワーが秘められているのだろうと思うくらい、大ホールに響き渡る声量。しかも、情感みなぎる声質が心地よい。
バッハ・コレギウム・ジャパンの公演では常連メンバーのようで、実際に私も2年程前にベートーヴェン「ハ短調ミサ」のソリストのひとりとしてお目にかかっています。今日はシューベルトのなかでもひときわ知られている名曲ばかり4曲。ちょっと涙がうるうるするくらい感激しました。
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「鱒」の清流にうろこを輝かせながら跳躍するような音型、葉陰を揺らすような一陣の風…といったピアノの音型もとても素敵で、清水さんとのコンビネーションも素晴らしい。加耒さんのリクエストは「魔王」だったそうですが、清水さんがとても難しいからイヤだと断ったんだとか。半分ジョークでしょうが、実際、あのピアノは相当にタフだとは思います。実は清水さんも意気投合、これからリサイタルを重ねる予定だそうです。楽しみです。
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後半は、藤江扶紀(ヴァイオリン)、岡本侑也(チェロ)のお二人とのピアノ・トリオ。この組み合わせでは、すでに2年前に素晴らしいラヴェルを聴かせてもらっています。藤江さんと岡本さんは、日本音楽コンクール第一位同志の同期生ということで、なじみの仲なのだとか。とはいえ、方や南フランスのトゥールーズ、一方はバイエルンのドイツということでコロナ渦のなか夏休みの帰国時が貴重なアンサンブルの機会なのだそうです。
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ピアノ三重奏曲も、晩年のシューベルトの傑作。飾らずわかりやすく、いかにもシューベルトらしい親しみやすい活き活きとした演奏はさすが。岡本さんは相変わらず流麗な美音としっかりとした揺るぎない音程。藤江さんのヴァイオリンも、芯がしっかりした線が明晰な美音なのですが、シューベルトらしい歌や調性の綾に富んだ響きの調和がちょっと不足していたかもしれません。そこが、中欧とフランスの調性感覚の距離感なのかなというちょっと贅沢な感想を持ちました。
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2022年8月24日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階F列22番)
――オール・シューベルト・プログラム――
菩提樹
セレナーデ
御者クロノスへ
 バリトン:加耒徹 ピアノ:清水和音
ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 D898
 ヴァイオリン:藤江扶紀
 チェロ:岡本侑也
 ピアノ:清水和音


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「ゴンクール著『北斎』覚書」(鈴木 淳 著)読了 [読書]

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19世紀後半に湧き上がったジャポニズム。その熱狂は、ゴッホやモネなどの印象派の画家たち、ロートレックなどのポスター画、アールヌーヴォーの工芸品といった造形芸術のみならず、ドビュッシーなどの音楽や文学などあらゆる芸術分野に影響を及ぼし西欧の美学的感性を一変させたと言っても過言ではない。その端緒は、輸入陶磁器の緩衝材として使われていた冊子の「北斎漫画」だったとも言われている。北斎はまさにジャポニズムの中心にあった。
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エドモン・ド・ゴンクールの著した『北斎』は、浮世絵を中心としたジャポニズム興隆の決定的な著述というだけではなく、北斎の画業を単なる異国の通俗、エキゾチシズムや蒐集趣味にとどめず、正統的な美学的土俵の上にすえて美術史上の評価を与えた先駆的業績というにふさわしい。
 
本書は、そのゴンクールの『北斎』についての覚書。
 
ゴンクールと北斎との出会い、背景となった版画というジャンルの技法や形態、欧米における北斎評価の変遷などを仔細に探っていく。版画というものが印刷や出版というものと密接な関係があっただけに、その探求は書誌学や文献学的な視点にも熱が帯びる。
 
 
さて…
 
エドモン・ド・ゴンクールは、フランスの作家。弟ジュール・ド・ゴンクールとの共同で自然主義的な近代小説や美術評論に健筆をふるい、その遺産で創設した文学賞は、今もフランスで最も権威のある文学賞としてその名をとどめている。
 
北斎は、画号をいくつも変えそれにともない画風や様式も変遷し、とにかくおびただしい作品を遺した。作品の主題も、風俗・美人・役者・武者・風景・花鳥・静物と多岐にわたり、技法・形態としても、一枚絵・摺物・版本・肉筆画とある。
 
ゴンクールがその死の直前にようやく刊行にこぎつけた『北斎』は、まさに執念の書。文筆家にありがちな評論、エッセイの類いではなく、多岐多様な北斎の画業を可能な限り網羅し大系づけようとしたものであった。しかも、その本編は、目録の体裁(カタログ・レゾネ)を取るという美術研究書の王道をゆく本格的でマニアックなもの。
 
版画家でもあった弟・ジュールの影響もあって、北斎あるいはその作品を、単なる下絵作家、画工(グラフィックアーティスト)としてとらえず、版画技法や出版形態にまで追求し、一筆の線で瞬時に対象を写し取る日本画の特質と画家の卓抜な才能に迫るというわけだ。その中心にあるのは、やはり「北斎漫画」。
 
本書も、「覚書」とするだけにもちろん浩瀚な書ではないが、内容は多岐にわたる。
 
ゴンクールの情報収集を援けた林忠正などの日本人美術商、版画技法研究の先駆けとなった『18世紀の美術』で取り上げたヴァトーやブーシェなどの画家たち、あるいは北斎評価の先鋒となったルイ・ゴンスや、日本美術紹介の先駆のフェノロサなどとの影響、交流も探訪する。これもまた、原著に輪をかけてマニアック。それもまた、江戸時代の文芸、書、画を専門とし、ボストン、パリ、ロンドンなど海外各国の名だたる美術館などの所蔵品の整理、目録制作に携わってきた研究者としての著者の矜持でもあるのだろう。
 
 
面白かったのは、巻末の「用語略解」。
 
ゴンクールの時代に、洋の東西を分けずに北斎を同じ遡上で評価し、そのうえで目録を作るわけだから、当時のフランス語など欧米語のターミノロジーと日本語のそれをいかに解き明かし、対応づけ、訳語を当てはめるのかは、なかなか至難のこと。さらに100年後の著者にとっては、時を隔てて真逆のプロセスが生じる。研究者だけに通常の翻訳者以上の苦労とこだわりが生ずるというわけ…。
 
例えば《album アルボム》。
 
一般的な現代日本人が想起する「写真帳」ではないことは確かだが、それが「画帖」とか「画集」とかに固定してしまうのも、北斎側、ゴンクール側、双方にどこかしっくりとこない。どこかにすれ違いがある。それは時に帖装のことであったり、あるいは出版形態のことだったりと次元の違いも錯綜するからややこしい。案外、現代の音楽好きにとっては世界共通語である「(レコード)アルバム」の方がすっきりするかもしれない。著者も結局はカタカナの「アルバム」を多用することに落ち着いたらしい。
 
 
《Surimono スリモノ》の説明には、はたと膝を打った。
 
「摺り物」のことだが、その意味するところは、富裕層が、本屋などを通さず直接注文して制作させ、仲間内などに配ったいわば非売品。それだけに技巧を凝らした趣味性に富んだ木版画が多い。明解な意味を初めて知った。ゴンクールはそのまま“Surimono”と言っている。何とヨーロッパには同種のものがなかったからなのだそうだ。江戸の町人文化、市井の趣味人の懐の深さを、あらためて感じさせる。
 
とにかくマニアック。読み通しても何がわかったかという気にもなれないけれど、北斎の深い森へと知らずのうちにずぶずぶと引き込まれていく。
 
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エドモン・ド・ゴンクール著『北斎』覚書
鈴木 淳 著
ひつじ書房


タグ:葛飾北斎
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CDプレーヤーは、ただいま“OUT TO LUNCH” [オーディオ]

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…それで久しぶりにアナログ三昧の日々。
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それにしてもこれが1954年の録音とは思えない。それをよみがえらせたリマスタリングとハーフスピードカッティング、高音質ビニル盤。思えば日本のオーディオ業界も勢いがあった。
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ちなみにこのレコードは、日本で製作されたリマスタリング再販ものですが、リマスタリングもすべてアナログ、カッティングアンプは200Wの真空管アンプ(おそらくTelefunkenEL156)、カッターヘッドはノイマンSX-68ですが、カッティングの際の溝切りの幅のコントロールにコンピューターを使用したということを標榜しています。
一方で、この再販盤が発売された頃は、すでにデジタル録音が盛んになってました。デジタル録音のLPというのはけっこう穴場。
アナログファンからすれば「何だデジタル録音か…」となるし、デジタル派からすれば「CDで聴きゃいいじゃないか…」となる。どちらかもよく思われていないのでこのゾーンはけっこう穴場です。
中古レコード店に行けばけっこうこういうものが見つかると思います。「穴場」なので価格もフェアです。
たいがいは、ジャケット右上(時には左上)に“digital”の表示がありますので、すぐに見つかります。DENNONの“PCM RECORDING”はすべてデジタル録音、しかも70年代半ばから市販していました。このデジタル録音機をひっさげて、欧米のメジャーレーベルの網をかいくぐって、日本人演奏家や東側のチェコ、東ドイツ、ソ連のレーベルと組んで商業主義に汚れていない音楽家を優秀録音で取り上げていました。
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いずれも見つけたら目をつぶってでも買う価値ありだと思っています。CDでの再販ものよりよい音がします。その理由はいまひとつはっきりしませんけど。
ちなみに、写真のなかでムーティのレスピーギは、アメリカの中古レコード店で買ったもの。すでにCD時代に入っていた頃でした。

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「満州国グランドホテル」(平山周吉 著)読了 [読書]

時間がかかったが《一気読み》と言ってよい。面白かった。

「グランドホテル」とは、戦前の名画「グランドホテル」で知られる手法。さまざまな人物が、「満州国」という大きなホテルを舞台に出入りして、それぞれの人生模様が同時進行で出会い、言葉を交わし、あるいは、すれ違うというように繰り広げられていく。

小林秀雄を第1回として、36人の人物が登場する。

彼らが行き交う満州国という舞台は、一般によく語られるようなその初めと終わり、すなわち、謀略によって始まる建国とソ連参戦による蹂躙と阿鼻叫喚の崩壊の末期はあえて避けていて、わずか13年の歴史の、その真ん中あたりの相対的安定期に焦点があてられている。

それは石原莞爾らが描いた「五族協和」「王道楽土」の理想が、支那事変によって変質を余儀なくされていく時期でもある。そのことで、ニセモノ、傀儡といった決めつけ一辺倒ではない、もっと重層的な歴史の実相を写し出すことに成功している。

登場人物は、文学者、映画人、ジャーナリストであり、また、舞台の性格上、どうしても軍人と官僚が多くなる。

満州国といえば「二キ三スケ」――東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介らが勝手気ままに我が世の春を謳歌したとされるが、本書で章を立てて登場するのは星野と松岡のみ。それも大蔵省派遣組の人脈や、国際聯盟脱退の経緯に焦点があるので、この二人でさえあくまでも間接的な登場に過ぎない。

そういう中では特異な登場人物といえば、宣撫工作を担った民間人であった小澤開作とその妻さくらだろう。

指揮者の小澤征爾の名は、満州事変謀略の主犯である板垣征四郎と石原莞爾からそれぞれ一字をとって名付けられたということはよく知られる。父・開作は、その二人の熱烈な信奉者であり毎日のように会っていた。母・さくらは、命名について何の相談もなく言われるがままに届けたのだそうだ。

やがて、満州国の変質とともに、開作は満州に見切りをつけ一家は北京に引っ越してしまう。北支に場を移してなお日華協調の理想を追おうとした。小澤公館と通称された小澤家には青年志士が集い、さくら夫人は彼らの母でありあこがれのマドンナだった。毎日大勢の人物が出入りして、さくら夫人は目が回るほどの忙しさ。元日一番多い時に数えたら48人もの客が盤踞していたという。

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著者によれば、満州を目指した日本人とは、開拓民であれ、エリート官僚であれ、「日本」をはみ出した人々だったのではないかという。

大杉栄虐殺の甘粕正彦、張作霖爆殺の川本大作など汚名を「勲章」に替えるのは満州の地でしかない。帝人事件の関係者が流れ着いたのが満州国…この疑獄事件の元被告も、担当した検事も、告発したジャーナリストたちが一堂に顔を揃え挫折や恩讐を超えて談笑する。再チャレンジ、前歴ロンダリングは、その大小、軽重を問わず、国籍不要の満州国では当然だった。

それが満州国グランドホテルの光と闇が交錯する浪漫も満ちた壮麗なロビーのざわめきだと言うわけだ。それを徒花と呼ぶのは容易いが、昭和史はもっと見直されて良い。



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満洲国グランドホテル
平山周吉 (著)
芸術新聞社


【登場人物】
「満州の曠野で不覚の涙」小林秀雄/「小林秀雄を呼んだ男」岡田益男/「満州国のゲッペルス」武藤富男/「満州の廊下トンビ」小坂正則/「芥川授賞作家」八木義徳/「直木賞作家」榛葉英治/「殉職警官」笠智衆/「新しき土」原節子/「満蒙放棄論者」石橋湛山/「ダイヤモンド社」石橋賢吉/「大蔵省派遣《平和の義勇軍》リーダー」星野直樹/「満州のグッド・ルーザー」田村敏雄/「獄中十八年」古海忠之/「甘粕の義弟」星子敏雄/「阿片専売」難波経一/「宴会漬けの日々」武部六蔵/「関東軍と大喧嘩した官史」大達茂雄/「満洲事変の謀略者」板垣征四郎/「朝日新聞の関東軍司令官」武内文彬/「満州国に絶望した」衛藤利夫/「国際聯盟脱退」松岡洋右/「焦土外交」内田康哉/「越境将軍」林銑十郎/「満洲経営の事務総長」小磯国昭/「満州の起業家」岩畔豪雄/「童貞将軍」植田謙吉/「事件記者」島田一男/「オッチャン」芥川光蔵/「植民地の大番頭」駒井徳三/「匪賊に襲撃された」矢内原忠雄/「小澤征爾の母」小澤さくら/「新幹線の父」十河信二/「少年大陸浪人」内村剛介/「役人街の少年」木田元/「新京不倫」小暮実千代/「満洲は北海道に似てる」島木健作

タグ:満州
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「現代ロシアの軍事戦略」(小泉 悠 著)読了 [読書]

2月のロシア軍によるウクライナ侵攻で、一躍、脚光を浴びたロシア軍事研究家・小泉悠。以来、著者はTVなどで引っ張りだこ。さすが、「職業的オタク」を自認するだけあって、本書もリアリズムに貫かれている。
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今年2月のウクライナ侵攻開始のほぼ1年前に書かれたが、そのロシア軍あるいはウクライナ軍の行動をほぼその通りに予見している。いま戦闘は膠着状態にあるが、今後の展開を予想するうえでも参考になる。少なくとも、この戦争がずるずると続く「終わらない戦争」であることは、本書を読むと十分に予想できる。
今回のウクライナ侵攻で特に注目されたのは「ハイブリッド戦争」。
ハイブリッド戦争というのは、すなわち「弱者の戦略」だという。
ハイブリッド戦争では、個別の戦闘の勝敗よりも敵と戦い抜く上での支持が国民から得られるかどうかが決定的。重要なのは、「人々の情勢認識を左右するナラティブ(語り)を支配する力、すなわち情報領域での戦いであり、メディアや情報通信技術といった手段でもハイブリッドな様相を呈する」。
言ってみれば、今回のウクライナ紛争は、弱者同士の戦争。弱者同士と言っても火力の面では圧倒的にロシア軍が優位にある。しかし、優位にあるはずのロシア軍もキーウ侵攻を止められ、戦線は膠着した。火力による決定力に欠ける以上、互いに自国民の支持をめぐる情報戦になっている。
そもそもは、2014年のクリミア侵攻に始まる。
13年末の反政府騒乱をアメリカなど西側が肩入れする。それに続く翌14年の親ロ政権崩壊はロシアにとっては耐えがたいものだった。ただちにクリミアに軍事介入をする。このハイブリッド戦略はロシア軍に迅速かつ圧倒的な勝利をもたらした。
しかし、ハイブリッド戦略は、負けない戦争を目指すが勝利もない。14年の侵攻では、かえってウクライナを一気にNATO側に傾けてしまった。ウクライナ東部ドンバス地域で展開した民兵主体の地域紛争戦略も膠着もしくはむしろ劣勢が続いた。ロシアは、再び、火力を強化した正規軍主体の戦略に回帰する。勝敗を最後に決するのはやはり火力を中心とした地上戦力だ。今回の侵攻は、戦略修正後の満を持した行動だったというわけだ。
今回の侵攻は、さらに強化した正規軍の火力でもって一気に首都を制圧するはずだった。しかしそれはあからさまな挫折に帰する。それは14年のクリミア侵攻以来、ウクライナ軍が、西側の支援を受けながら情報戦に対する耐性を高め、ロシア軍のそれに拮抗したからだ。
今回の戦いが、実際のところは14年のクリミアでの失敗に始まり、正規軍の直接衝突にまで発展したものである以上、負けないことを目標としたハイブリッド戦略にとって、ウクライナ側もクリミア奪還までは戦争はやめないだろう。それまで西側の火力供与を含めたあらゆる支援を求め続けるだろう。
本書は、最後にロシアの核使用の可能性についても掘り下げている。
「核」とは、これもまた「弱い」ロシアの大規模戦争戦略そのもの。弱い国は、徹底的に大規模戦争を嫌い、対立を地域紛争化させることに専念する。そのための究極のエスカレーション抑止が「核」だということだ。そこに至る以前の、通常兵器によるエスカレーション抑止にも様々な段階がある。超音速兵器や中距離ミサイルなどだ。
今後の問題は、(NATOが支援する)ウクライナが勝ちすぎると、ロシアがそうした威嚇段階に入る恐れがある。それは、すなわち戦術核行使の一歩手前ということになる。NATOもやり過ぎては危ういということはわかっているはず。しかも、その一線はロシア側の政治的心理状態に依存するので西側にはなかなか見えづらい。
「弱い」ロシアの基本は、戦略縦深ということにある。ソ連崩壊後のロシアは、経済・軍事力の凋落によって敵と対峙する力を失った。そのロシアにとって死活問題となるのは、敵との非接触性の確保ということ。ところがNATOはロシアにあまりにも近づき過ぎた。それがロシアのウクライナ侵攻の動機となっている。だからロシアにとってはウクライナを失うわけにはいかない。
そのようにロシアを追い詰めたのは、米国をはじめとする西側諸国だ。少なくともプーチンはそう考えている。
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現代ロシアの軍事戦略
小泉 悠  (著)
ちくま新書

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「はぐれ鴉」(赤神 諒 著)読了 [読書]

豊後国竹田・岡藩が舞台の歴史時代ミステリー小説。
久々に楽しめる小説に出会った。
城代・山田家の一族郎党24人が、身内に鏖殺(おうさつ)されるという凄惨な場面で幕が開く。ただ一人生き延びた次郎丸は、14年後、素性を隠して藩の剣術指南役として故郷に赴く。その目的はただひとつ、下手人である叔父の玉田巧佐衛門に復讐を果たすこと。
…が、そこで彼が目の当たりにしたのは惨殺者とはほど遠い、藩政の中枢から疎んじられることもいとわず民のために身代を消尽して献身する変わり者“はぐれ鴉”と揶揄される老人だった…。
歴史小説と時代小説、さらにミステリーを掛け合わせたエンターテーメント。謎解きは果てしなく、秘密のうらおもては薄々は予想がつきますが、それでいて最後まで先がわからない。
キーワードは「隠しキリシタン」。
舞台となる竹田は、大分県の南西部、九重(くじゅう)連山や祖母山などに囲まれ阿蘇にも接する深奥の地。岡城といえば何と言っても「荒城の月」。作曲者の滝廉太郎は、幼少期をこの地で過ごした。この天然の要害に築かれた山城は、名城と称えられましたが、明治に廃城となり、石垣のみの城趾は文字通りの《荒城》の風情で、遺構の頂から眺める山谷は絶景。
日露戦争の旅順港封鎖で「杉野はいずこ」と部下を捜索に身を投げ出し戦死し軍神となった広瀬武夫は、竹田の出身としてよく知られる。終戦時に自決した最後の陸軍大将・阿南惟幾もこの地にゆかりがあり、どこか武張った風格のある土地柄という印象があります。
ところが、その竹田では、近年になってキリシタンの痕跡が話題になっています。
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サンチャゴの鐘というのがそのひとつ。あまり知られてきませんでしたが昭和25年に重要文化財に指定されています。神社に伝わってきた鐘で、舌(ぜつ)こそ失われていますが洋風の銅鐘で表面に十字が刻印されていて「HOSPITAL SANTIAGO 1612」との銘文が刻まれている。サンチャゴ病院とは長崎にあったミゼリコルディア(慈善院)附属の病院のこと。キリシタンの遺物がなぜ岡藩に持ち込まれたのは、その経緯は諸説あるものの今もって謎だそうです。
確かに、豊後国はキリシタン大名・大友宗麟が支配した土地。しかし、秀吉によって大友の家系はこの地を追われ、播磨国から中川秀成が移封され、関ヶ原で東軍に与したこともあって、以後、中川家がこの地を徳川幕府から安堵されて支配し続けました。それだけにキリシタンの痕跡というのはほとんど見当たらず、観光資源としても話題になることはなかったと思います。
それが、岡藩初代藩主中川秀成の没後400年を記念して行事で、上述のサンチャゴの鐘がイベントのシンボル的存在となったことから、がぜん、キリシタンの歴史が注目されるようになってきたとか。昭和33年に県指定史跡に指定された洞窟の礼拝堂などもそのひとつ。
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名物の姫だるまも、秘めた崇拝の対象のマリア像ではないかと言われだして、ちょっとしたブーム。
とはいえ、この地に〈隠れキリシタン〉という史実はありません。そうなると、キリシタンの洋鐘を伝えてきた竹田あるいは中川家中のキリシタンは大きな謎になってきます。
天正遣欧使節の4人のなかで、ただひとり棄教した千々石ミゲル(棄教後は、千々石清左衛門)の墓所と見なされる場所から木棺と欧州製のロザリオの遺物が発見され、千々石は実は棄教していなかったのではとの新説がにわかに信憑性を帯びてきたということです。
キリシタンは潜伏だけではなく、表向きは棄教したと見せて、強い心をもって禁制の体制側をだまして信仰を隠し続けた人々もいたのではないか…?
それが、この小説のキーワードである「隠しキリシタン」につながっていくわけです。
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竹田には、「日本一の炭酸泉」を自負する長湯温泉があります。炭酸ガス濃度は中位であるものの、湧出量がトップクラス。建築家の藤森照信の設計によるユニークな外観のラムネ温泉館は、町の新しい観光名所。この炭酸ガス温泉が、小説の最後のどんでん返しの舞台になっています。
これ以上のネタバレは、無粋というものかもしれません。
はぐれ鴉_1.jpg
はぐれ鴉
赤神 諒  (著)
集英社

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