SSブログ

イゴール・レヴィットのベートーヴェン [コンサート]

レヴィットは聴いたことがありませんでした。たまたま見たチラシがどうしても気になってチケットを購入したのです。ベートーヴェンのソナタということでは、いま一番の注目のピアニストと知ったのはその後のことです。だから聴く前の頭の中は白紙のままでした。

Fh7ZBV-aUAAPI_a_1.jpg

まずはその指先の自在なコントロールに舌を巻いてしまいます。速くて軽やかで鍵盤に吸い付くように触れながらかけめぐる。自分の意志に従わせて、できないことは何もないと言わんばかり。しかも、決して《のりをこえず(「従心所欲不踰矩」)》 …という感覚。既成のベートーヴェンを壊すという新奇に発したわけではなく、己の自在な奏法を駆使して新たな造形を探っているという感覚です。

プログラムは、作品49のふたつの小ソナタも含めて比較的初期の作品を前半に配置し、後半を中期作品に焦点を移して《熱情》ソナタでクライマックスに至る。あたりまえの組み立てのようでいて、聴いていると壮麗な階梯を歩み登っていくような見事な構成のプログラムであるように思えてきます。ステップのひとつひとつの作品に新しい発見があってしかもそこには確かな上昇感覚をともなう。そういうプログラムビルダーとしての手腕にも舌を巻いてしまうのです。

最初の5番のソナタは、ベートーヴェンのハ短調。そういう出発点がそもそも意味深であるわけだけれど、野心にあふれた若さの発露は、一貫して上昇音型が支配的で、むしろ快活で叙情味もある。レヴィットの演奏も、そのスタートはいたって譜面に忠実だと感じます。

次の作品49のふたつは、ウィーン古典派の貴族的な日常情緒にあふれた2楽章形式の可憐な連作。レヴィットのタッチは、ここでも自在で軽やかなのですが、タッチや細やかなペダリングを弾き分けて繊細な色彩の綾があふれていてどこまでも聞き飽きない。最後のメヌエットから聴き慣れた七重奏曲のフレーズが聞こえてきて、思わずはっとさせておいて、そして小粋に終わる。

IMG_5229_1.JPG

後半の22番のソナタが意表をつくものでした。

前半の作品49と同じ2楽章の小ソナタ。休憩をまたがってそういう連続性を保ち、しかも、第一楽章は〈テンポ・デ・メヌエット〉といかにもウィーン古典派の伝統を引き継ぐかのよう。ところが、いきなり細かい三連符の連続からこの曲の破調ぶりが展開されていく。振り返れば、前半の初期作品に秘められたベートーヴェンの創造希求がただならぬものだったと後になって気づかせる。この辺りからレヴィットのタッチにも加速度がつき始める。曲の終盤の音型やその粒立ち、響きの異形ぶりに目が醒める思いでした。

そうやって階段を登りつめる上昇気流に乗ったかのような《熱情》ソナタが圧巻でした。

もはや秘密の箱の蓋は開けられた。だから、冒頭の密やかな響きの序奏のなかに、こんなことでは済まないだろうという予感をまざまざと感じてしまっている。そこから始まるドラマの展開から、まるでレヴィットは周囲構わずスロットルを吹き上げるような鮮烈さです。もはやもう誰も止められない。その中に指先の技巧のめくるめく多様性は息もつかせぬもので、しかも、そのタッチは決して浅くなく低音弦も存分に深く沈み込む。圧倒的な快速《熱情》でした。

ベートーヴェンに何か精神性だとか、悲劇や実存だとか、そういう19世紀的な巨匠性を求めているわけではない演奏です。まだまだ何かやれると言わんばかり。いずれはこの指先でピリオド楽器やフォルテピアノでも弾いてほしいとも思いました。

Fh7WnoTacAEHd9T_1.jpg

確かに目の離せないピアニスト。また聴きたいと思わせるピアニスト。来年のシリーズⅢ、Ⅳのプログラムを眺めて、いったいどんな意表をつく企みが隠されているのだろうと感じ入ってしまいます。特にⅣの最後の3つのソナタは、いったいどう弾くというのでしょうか。




flyer.jpg

イゴール・レヴィット
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ・サイクル・イン・ジャパン II
2022年11月19日(土)14:00
東京・四谷 紀尾井ホール
(1階 9列6番)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ
第5番ハ短調 op.10-1
第19番ト短調 op.49-1
第20番ト長調 op.49-2

第22番ヘ長調 op.54
第23番ヘ短調 op.57《熱情》

(アンコール)
シューマン:子供の情景op.15より第13曲「詩人のお話」
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽