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開花宣言 (小林沙羅。三浦友理枝-名曲リサイタル・サロン)

前日の14日には、東京は全国に先駆けて開花宣言。

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この日も、まだ空気に冷たさを感じましたが陽光あふれる春の陽気。池袋グローバルリンクの噴水では、卒業式の帰りなのでしょうか子供たちがびしょ濡れになってはしゃいでいました。

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その陽気にふさわしい小林沙羅さんのソプラノの今日のテーマは、まさに「春」づくし。ピアノの三浦友理枝さんとはずっとコンビを組んでいる大の仲良しなのに、コロナ禍で公演が中止となって以来の久しぶりの共演なのだとか。まさに春が来たという気分がステージ上から薫りたつようです。

ステージににこやかに登場した小林さんのドレスは爽やかな桜色。さっそく滝廉太郎の「花」。そして、同じ加藤周一の詩に中田喜直、別宮貞雄の二人が曲をつけたそれぞれの「さくら横町」。

日本の《春》は、やっぱり桜。それも、うららかな陽光あふれるの中で爛漫と咲き乱れる桜。日本の四季が一番輝くひととき。

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ステージには司会役の八塩圭子さんも加わって、とてもにぎやか。インタビューに答える小林さんは、すっかりおきゃんぶりを発揮。おしゃべりにはいささかの屈託もなく、八塩さんもひと言ふたことフリをつけるだけで、後は小林さんのほとばしるようなお話しにニコニコとうなずくばかり。

日本のしっとりとした春と違って、ヨーロッパの春は、長く冷たい冬のあとに一瞬にして訪れる。そういう小林さんのお話はまったくその通り。イタリア人のティリンディッリは、その春を崇め奉るように歌い上げる。パリのサロンで活躍したハーンは一瞬の春の輝きを歌い上げ、ドイツのシューマンは長い冬に閉ざされた子供たちの屈託を思いやることで春を歌う。ロシア人のラフマニノフは雪解けの微かな水音から感情を抑えきれないという風な爆発的な春。そういうお国柄豊かな「春」の歌がとってもチャーミング。

三浦さんが、北欧の春ということで澄んだ響きのグリークをソロでご披露すると、その数分の間に衣装替えをした小林さんが、こんどは淡い明るい緑青色のドレスで再登場。そう、欧米の春は、むしろ、新緑の緑がイメージでしたね。

八塩さんの恒例の質問――「コンサート前の食べ物は?」に対して、小林さんの答えはなんと「納豆ご飯」。ヨーロッパ公演でも炊飯器を持ち歩き、イタリアのお米もけっこう美味しいとかで、納豆は冷凍も入手できるし、最近は現地産もあるのだとか。これに卵があればサイコーで、生の卵がご法度の海外から帰国するとさっそくTKGということになるのだとか。

そういう話題の後は、小林さんの歌唱はいっそうパワーをつけててきます。ドビュッシーに続いてグノーの「ファウスト」からの有名なアリアで最後を盛り上げてくれました。やっぱり、歌というのにはオペラのアリアを聴いてほしい…とは小林さんの気持ちなんだそうです。





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芸劇ブランチコンサート
名曲リサイタル・サロン
第23回 小林沙羅(ソプラノ)
2023年3月15日(水) 11:00~
東京・池袋 東京芸術劇場コンサートホール
(1階M列18番)

小林沙羅(ソプラノ)
三浦友理枝(ピアノ)

八塩圭子(ナビゲーター)

滝廉太郎:花
中田喜直:さくら横ちょう
別宮貞雄:さくら横ちょう
ティリンディッリ:おお、春よ!
R.アーン:春
シューマン:春が来た!
ラフマニノフ:春の流れ
ドビュッシー:リラ グリーン 美しい夕暮れ 星の夜
グノー :「ファウスト」より 宝石の歌

(アンコール)
R.アーン:「クローリスへ」
フォーレ:「夢のあとに」
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児玉桃 メシアン・プロジェクト2022

今年は、20世紀の大作曲家オリヴィエ・メシアンの没後30年にあたります。

メシアンの演奏といえばこの人…とも言うべき児玉桃さんが、同じく開館30周年という浜離宮朝日ホールで、3回にわけてのメシアン・プロジェクト。その3回目のアンサンブル・リサイタルに出かけました。

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何といってもメンバーがすごい。

竹澤恭子さんは、もともとはジュリアード留学のアメリカ派だけれど今はパリ在住。クラリネットの吉田さんはパリ国立高等音楽院、ジュネーブ国立高等音楽院で学んだ根っからのフランス派。横坂さんはシュトゥットガルト、フライブルクで学んだドイツ派だけど、ピエール・ブーレーズが主導したルツェルンフェスティバル・アカデミーに参加して以来、現代音楽に積極的に取り組んでいる若手。

最初は、児玉さんのソロでメシアンが在学中に作曲した前奏曲集からのごく短い1曲。その響きはドビュッシー的でとてもエキゾチック。最後の最後の燦めきが、その後のメシアンの美意識を象徴しているようでとても印象的でした。

二曲目は、ミヨーの作品。メシアンとの縁がとても深いそうで、メシアンの才能を最初に見いだしたのがミヨーなのだそうです。とても多作なのに必ずしも一般的には耳に馴染みのない作曲家。決して無調ではないけど多調・復調の奇抜な和声と複雑なリズムで、生真面目なとっつきにくさがあるようで聴いてみると俗っぽい遊びも魅力。クラリネットが参加したこの三重奏もそういう喜遊にあふれて、もう一度聴きたいと思わせる楽しい曲でした。

三曲目は、ショスタコーヴィチのピアノトリオ。

よく同じ追悼の音楽としてラフマニノフのピアノトリオと組み合わされたり、今日のようにメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」とカップリングされることが多いのでCDで聴く機会が多かったが、生演奏は初めて。メシアンと同世代の作曲家で、その共通点は、戦争、そして、祈り。

第一楽章は、ヴァイオリンとチェロの声部交換。のっけからチェロのフラジオレットで始まりヴァイオリンはそのチェロより低い音で応答する。その逆転を目の当たりにすることができるのが視覚も加わる生演奏の魅力。とにかく横坂さんのチェロに凄みがある。それ以降の楽章はいずれも躍動的、活動的で一見して追悼には思えないけれど、そこには様々な深謀が潜んでいて、戦争や暴力、死への思いが隠されている。最後の楽章はユダヤ的な俗性がむき出しで、そこにはホロコーストへの痛切な批判が込められているのだとか。そういえば二曲目のミヨーもユダヤ系の人でした。

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休憩をはさんでの後半はいよいよメインテーマの「世の終わりのための四重奏曲」。

メシアンの初期の代表作として有名ですが、これまでなかなか実際に聴く機会がなかった曲です。これはもうメシアンのエッセンスがてんこ盛り。音楽語法も楽器奏法も、楽器の取り合わせも実に自由で多彩。作曲家にして神学者であり、また鳥類学者でもあったメシアンの深い信仰と自然に対する愛着、それらへの限りない感受性がみなぎっている。これが捕虜収容所という極限に近い状況のなかで作曲されたということが信じられないくらい。

特に吉田さんのソロによる「鳥たちの深淵」が凄すぎた。あれは滅多に聴ける演奏ではないと思えたほど。他の奏者が膝に手を置き待つなかで、吉田さんが楽器を構えて吹き出すまでの緊張感に聴く立場のこちらも思わず身構えてしまいます。

メシアンを中心に二十世紀の音楽ばかり。その中心にありながら今まであまり日本の聴衆の前には降りたってこなかったフランス現代の魅力。ヴァイオリンの竹澤恭子さんが、そういう難曲ばかりのプログラムなのに、終始、穏やかな笑みを浮かべていたのが印象的。児玉桃さんと一緒に難曲に挑戦することを心から楽しんでいるような笑顔がとても素敵。

素晴らしいプロジェクトでした。


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【メシアン没後30周年/浜離宮朝日ホール開館30周年】
児玉桃メシアン・プロジェクト2022 Vol.3
「児玉桃とヴィルトゥオーゾたち」
2022年12月10日(日) 14:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階10列10番)

児玉桃(ピアノ)
竹澤恭子(ヴァイオリン)
横坂源(チェロ)
吉田誠(クラリネット)

オリヴィエ・メシアン:8つの前奏曲集より第1曲「鳩」
ダリウス・ミヨー:ヴァイオリンとクラリネットとピアノのための組曲 Op.157b
ドミートリー・ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Op.67

オリヴィエ・メシアン:世の終わりのための四重奏曲
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DAC-10が昇天

長年使ってたDAC-10がついに昇天。


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サポートに問い合わせたが、症状からすると基板を交換するしかない…と。
DAC-10は、ちょうど10年前に発売されたデジタルヘッドフォンアンプで、当時はDSDネイティブに対応ということで話題になりました。DSDネイティブが常識の今日から見ればまさに光陰矢のごとしです。
私は、ヘッドフォンで聴くと言うよりも、もっぱらPCにつないでAudioGateでエアチェック音源を編集するときのモニターに使ってます。組み合わせで使っているのは、KORGが無償提供するAudioGate。こちらも高音質プレーヤーソフトとして昔からよく使われてきましたが、私は、やはりもっぱら編集ソフトとして使用しています。
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AudioGateも、かつてはDSFファイルのメタデータを編集できる唯一のソフトとして貴重なものでしたが、今ではdBpowerampのEdit ID Tagsでも対応できます。とはいえ分割したり結合したりという編集機能が便利なのでいまだに現役だというわけです。
というわけで、すぐに後継機種おDAC-10Rを購入しました。
換えてみたたら音が良くなった気がします。
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PCの音声はすべてこれで聴いてます。ヘッドフォンは、これまた大ベテランのSONY MDR-CD900改。
10Rには、フォノ入力もあってAudioGateの機能を使って、RIAAだけでなく様々なEQカーブでデジタル化できるようになっています。でも、これは使いません。そもそも持っているレコードはすべてRIAA規格統一後のものです。一時はKORG MR-2000Sでアナログレコードのデジタルアーカイブ化もやろうと思いましたが、アナログ再生そのものの難しさを痛感して挫折しました。カートリッジの選択をはじめあまりに使いこなしが広範囲で、しかも、盤面をベストにすることが難しいと感じたからです。MR-2000Sはとっくに処分してしまいました。
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日々、エアチェック音源をせっせと編集をしています。

タグ:KORG
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ロシアへ愛をこめて (福間洸太朗 ピアノ・リサイタル)

前から気になっていた佐川文庫のサロンコンサートに初めて行きました。

佐川文庫は、1984年から93年まで水戸市長をつとめた故佐川一信のメモリアルとしての私設図書館。佐川氏は、水戸市長在任中に市制100年記念として水戸芸術館の創設に尽くされたひと。

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サロンコンサートの会場「木城館」は、その庫舎に隣接して増設された200席ほどの音楽サロンです。客席両側の壁面には、佐川の熱心な招聘に応え水戸芸術館の館長に就任し長くその運営に携わってきた故吉田秀和の蔵書とレコードやCDが収納されています。

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こちらはいわば吉田メモリアルとしての音楽サロンでもあるわけです。

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そういうゆかりのサロンは、写真で見る以上に素敵な建物。八ヶ岳の音楽堂とよく似ていて、木の肌合いと響きがすっぽりと六角形の空間に納まり、大きな窓には周囲の青々とした緑が目に鮮やか。小さいながら本格的な音楽専用ホール。天井が高いし、ステージも客席の空間も開放的なので、演奏が間近に感じられる直接的なバランスの音響です。

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地域に名指したアットホームな雰囲気も、私設の家族経営的なコンサートならでは。

福間洸太朗さんは、ちょうど1年前にサントリーホールで、〈バッハへの道〉と題したリサイタルですっかり気に入ったピアニスト。映画「蜜蜂と遠雷」でピアノ演奏を担った四人のピアニストのひとり。技巧が立ち、しかもなかなかハンサムで、女性の人気を集めているのは当然なのですが、そんなことはどこ吹く風といったマイペースなところがあって、若手作曲家に新作を委嘱したり、そのプログラムは懲りにこったこだわりのもの。

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この日も、前半はスクリャービン、後半はラフマニノフと、二十世紀のロシアのピアノの巨人二人のみ。特にスクリャービンは、神秘主義、象徴主義への傾倒を強め現代音楽の先駆者ともいうべき和声の難解さがあって敬遠されがち。これだけスクリャービンを並べたプログラムは珍しいと思いました。

聴いてみると、比較的初期の作品を中心に選択しているせいか、むしろ親しみやすさが前面に出てきていて、後半のラフマニノフに負けない甘美で濃厚なロマンチシズムが魅了します。後半のラフマニノフまで一貫させているのは「幻想」というキーワード。いわゆる自由形式というのが音楽史の定義ですが、二人のロマンチストにかかると、文字通り「幻想」的でほとんど忘我没頭の非現実的な幻影を観る耽溺と恍惚の音楽。ピアノならではの抽象と具象が両立する多層的な幻想の音世界は、やはり二人がロシア人だからだと思えてきます。

左手のためのノクターンは特に見事。これが左手一本というのが信じがたいのですが、確かに福間さんは右手を膝の上に置いたまま。そういえば一年前のバッハでも、ブラームス編曲の左手の「シャコンヌ」が痛切な印象を与えて鮮やかでした。

二人の作曲家に共通するのは、冒頭が低く深い低音の響き。それは左手の打感にも共通するピアニストの強い思いが隠されているのかもしれません。そう感じたのは、後半のラフマニノフの「鐘」。

ロシア・ピアニズムの神髄には、「ロシアの鐘撞き男は、100通りの音色を撞き分ける」ということがあるのだそうですが、左手による低音弦の一撃にはそういうロシア・ピアニズムのある種のこだわりがあって、それがまた聴き手の魂を揺さぶる。

福間さんのこだわりかたは、アンコールの解題にも。福間さんのトークは気さくでありながら、そういうこだわりを熱っぽく軽妙に語っていて面白い。最後の締めとなった、レヴィツキーの「魅惑の妖精」も余韻があった。福間さんは、この作曲家がウクライナ人であることしか語らなかったが、後で調べてみると数年前の上野で開催された『「怖い絵」展』のBGMに使われたことが話題になった曲でした。

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BGMが使われたのは、チャールズ・シムズの『そして妖精たちは服をもって逃げた』。

妖精画家として知られたシムズは、第一次大戦で長男を戦死させ、自身も戦地の惨状を目にしてトラウマとなり、後に自死している。絵の左下の「小さな妖精たちが散りぢりに逃げる」という場面は、長男の命が戦争で奪われるという現実の投影だというわけだ。

美しい曲でしたが、そこには爽やかな光に満ちた現実の下で、残酷な狂気に翻弄される小さな妖精たちの恐怖という幻視があった…。

締めくくりの曲だから、あえてそこまでくどくどと語らなかったのか…というのは深読みに過ぎるのでしょうか。





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佐川文庫サロンコンサート
福間洸太朗 ピアノ・リサイタル
〈スクリャービン VS ラフマニノフ ~幻想を求めて〉

2022年6月25日(土) 15:00
水戸市 佐川文庫

スクリャービン:
3つの小品op.2
 第1番 練習曲、第2番 前奏曲、第3番 マズルカ風即興曲
練習曲op.8より
 第11番 アンダンテ・カンタービレ 変ロ長調
 第12番 悲愴 嬰ニ短調
幻想ソナタ 嬰ト短調
ピアノ・ソナタ第2番 嬰ト短調 Op.19 『幻想』
左手のためのノクターンop.9-2
幻想曲 op.28

ラフマニノフ:
幻想的小品集op.3
 第1番 エレジー、第2番 前奏曲『鐘』
 第3番 メロティー、第4番 道化役者、第5番セレナーデ
幻想的小品 ト短調
ノクターン第3番 ハ短調
楽興の時op.16より
 第5番 アダージョ・ソステヌート 変ニ長調
 第4番 プレスト ホ短調

(アンコール)
バッハ:『主よ、人の望みの喜びよ』BWV147より
ショパン:ノクターン第2番 Op.9-2 変ホ長調
ショパン:練習曲ハ短調 Op.10-12 『革命』
ミッシャ・レヴィツキ:魅惑の妖精
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「mRNAワクチンの衝撃」読了

ファイザーワクチンを、わずか11ヶ月で実用化させたドイツの小さなバイオ・ベンチャーのビオンテック社に密着した迫真のドキュメンタリー。

とにかく面白い。

ファイザーワクチンの実体が、実はこの小さなベンチャー企業だということにも驚いたが、その会社を率いる夫妻が、トルコ系移民のイスラム教徒だということにも驚く。その二人が最先端の医療分野をひたむきに走りながらも、新型コロナウィルスの世界規模の大感染のわずかな予兆を逃さず開発に賭けた医学的信念にも感動を覚える。

mRNAワクチンの衝撃は、なんと言ってもその開発スピードにあったと思う。エズレムとウールの夫妻がそのことに確信を持ち、強い使命感につき動かされて邁進した成果だ。驚異的な開発スピードにもかかわらず、安全性や効果を証明するための段階を踏んだ臨床試験や実用化に向けた手続きをいささかも省略していない。政治な思惑や圧力を利用するどころか、常にそうした俗物たちの干渉を遠ざけていたという経緯を知ると、これは単なるサクセスストーリーでもない。

そもそもmRNAワクチンとは何か?

解説書に堕することなく、あくまでもドキュメンタリーに徹しているので、かえって遺伝子工学の難解さに阻まれることなく、その「医療のゲームチェンジ」の衝撃がストレートに伝わってくる。

ビオンテックは、そもそも、ガン治療としての免疫療法としてmRNAワクチンに取り組んでいたという。

ガン患部を切除したり、増殖を阻む化学医薬や放射線療法ではなくて、身体の免疫力をガン細胞に向けて動員しそれを撃滅していこうというのがmRNAによる免疫療法。mRNAは、体内に入るとガン細胞と同じ構造のタンパク質に形成し、それに対する免疫反応を起こさせる。いわば攻撃目標の手配書(人相書)を体内免疫の攻撃部隊に伝えるメッセンジャーの役割を果たす。病原体を弱化した従来のワクチンとはちがってそれ自体には感染力は無いし、役割を済ませば消えてしまうの遺伝子組み換えが体内細胞に影響を与えるといった心配はない。

ガン細胞というのは、同じ病気であっても人それぞれによって構造が違っている。免疫療法といえども、それぞれの身体のガン細胞を抽出し特定して正確な手配書を作る必要がある。患者それぞれにワクチンを作る必要がある。それはガン進行との時間の戦い。mRNAワクチンの開発はそもそもそういうスピードとの勝負だった。ビオンテックは、そういう適性に着目し、急速かつ大規模な感染症に対してもmRNAは大いなる武器となると確信したのだという。しかも、無症状者による感染拡大の規模と速度の怖ろしさを最初から見逃さなかった。

ワクチンそのものの量産の難しさや、その具体的なボトルネック、あるいは流通配送に立ちはだかる冷凍保存の問題など、それをめぐっての政治的な迷走など、読者にとってもまだ生々しい記憶だが、その背景がよくわかる。そうだったのかと膝をたたくこと数え切れない。

登場人物とその日常に間近に寄り添ったドキュメンタリーはオンタイムでリアル。登場する人々の多様性は、人種、国籍のみならず学術の境界を越えて広がる。そのライフスタイルも新鮮。まさに開発は昼夜を分かたずの「光速(ライトスピード)」だったのに、そこに貢献した人々はブラック企業の抑圧とは正反対のところで生きている。

サクセスストーリーは、読後が爽やかであることは間違いないが、ともすれば現実とのギャップに読後感は嫌な気分も尾を引きがち。本書には、感染症の災厄が残した深刻さにかかわらずそのようなものが無い。医療進化への確かな希望を抱かせる。

本書自体も、大変スピーディな発刊だ。しかも、訳もこなれていて、分業とは思えないほど統一性が取れている。さすが早川書房の翻訳陣だと感心した。




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mRNAワクチンの衝撃
  コロナ制圧と医療の未来
原題=THE VACCINE

ジョー・ミラー with エズレム・テュレジ、ウール・シャヒン (著)
柴田 さとみ、山田 文、山田 美明 (訳)
石井 健 (監修)

早川書房

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弦の国のクァルテット (プラジャーク・クァルテット)

プラジャーク・クァルテットは、この日本ツアーが現メンバーでの最後の演奏となるという。

1972年結成され、50年にわたって息の長い活動を続けてきた。2015年に第1ヴァイオリンが女性奏者ヤナ・ヴォナシュコーヴァに交代したが、第2ヴァイオリンのホレクも2018年に20-21年のシーズンをもって引退すると表明。チェロのカニュカも独立を表明。本来は、20年のベートーヴェン・イヤーにベートーヴェンの全曲演奏をもっていったん解散ということになっていたらしい。それがコロナ禍で1年、また1年と延期となり、今回まで延びた。ようやく実現した今回の日本ツアーが、いよいよ最後ということになったのです。

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ベートーヴェン全曲は、サルビアホールで行われる。全曲は大変なので、この「ひまわりの郷」ホール(横浜市港南区民文化センター)での公演を聴くことにしました。クァルテットはその後、京都と大阪で公演する予定。それがほんとうのさよなら公演ということになります。

1曲目の第4番が始まると、「弦の国」チェコの団体だと感得しました。

「弦の国・チェコ」というのがいつから言われていて、それがどういうものを指すのかは、本当のところよく知りません。自分自身では、アメリカの郊外地の大学キャンパスで、初めてチェコ・フィルハーモニーを聴いた時のこと。もう40年近い昔ですが、まさに「弦の国」を実感した刹那でした。

その音色は、とても暖かみがあって、まさにボヘミアの森を吹き抜ける風のように爽やか。

最近の若い団体は、ベートーヴェンをとても鋭敏で厳しい音楽にしてしまいます。切っ先鋭く切り込んでくる。それはそれで素晴らしいのですが、このプラジャークのベートーヴェンを聴くと、音楽にくつろぎがあって本当に楽しい。4番は、このジャンルに挑んだ若い頃の連作のひとつですが、すでに円熟味さえ感じます。野心満々のベートーヴェンが、プラジャークにかかると、聴き手をいかに楽しませるかという工夫に腐心し、それがうまく決まるとニンマリする、いたずら好きのエンターテイナーとさえ思えます。

そのことは次の「セリオーソ」も同じ。その作曲技法は機知に富んでいて、意外なことばかりが起こる。交代を繰り返す強弱や緩急の対比が大きく、山坂が多く起伏にも富んでいる。第3楽章も、威儀を正して草原を騎乗で駆け抜けるような爽快さとユーモアがある。そういう親しい自然との調和があって心が晴れやかになるのです。

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そのことは最後のラズモフスキーでも同じ。

進軍するような雄渾さといったような気張ったところがなくて、四人の奏者が繰り出す会話のやりとりや、機転の利いた駆け引きが、いかにも弦楽器のアンサンブルらしくよく溶け合って耳に心地よい。冒頭の強拍の和声の響きのよいこと。ヴァイオリンの単線の伸びやかさ、アクロバティックな跳躍の楽しさ、高域の美しさ。それと対比するチェロの甘やかな歌。ヴィオラやヴァイオリン低音弦の刻みの心地よさ、内声の受けやツッコミの面白さ。

ベートーヴェンが丁々発止と繰り出す音楽が、実に、柔らかく軽快かつ爽快です。音が耳にまろやかなことは、まさに弦の国のクァルテットということなんだと嬉しくなってしまいます。ドヴォルザークとかヤナーチェクといったお国ものの演奏だから…ということとは別のこと。今や懐かしささえ覚えるほどの弦楽アンサンブルの質朴な美しさと魅力そのものです。

最後の公演を、延期を重ねた末の、長途かつ長期の遠征ツアーとして聴かせてくれるのは、メンバーの皆さんが日本びいきだからこそだと思います。こんな演奏が聴けてとても幸せになりました。




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ひまわりの郷コンサート・シリーズ
プラジャーク・クァルテット
2022年5月29日(日)14:00
(2階L列-24)

プラジャーク・クァルテット
ヴァイオリン:ヤナ・ヴォナシュコーヴァ ヴラスティミル・ホレク
ヴィオラ:ヨセフ・クルソニュ
チェロ:ミハル・カニュカ

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲
 第4番ハ短調 作品18-4
 第11番ヘ短調 作品95「セリオーソ」
 
 第8番ホ短調 作品59-2「ラズモフスキー第2番」
 
(アンコール)
 第5番 作品18-5より「メヌエット」
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逆輸入… (富田心 東京デビュー 日経ミューズサロン)

富田心(Coco Tomita)さんは、生後6ヶ月で渡英し、4歳でヴァイオリンを始める。8歳の時にアンドレア・ポスタッキーニ国際ヴァイオリンコンクールで入賞したのを皮切りに数々のコンクールで優勝し、10歳で英才教育で有名なロンドンのユーディ・メニューイン音楽学校に英国政府奨学生として入学、研さんを重ねてきたとのこと。

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すでに英国を拠点に欧州各地でソロや室内楽のコンサート活動を行っているというが、母国日本での公演は今回が初めて。つまりは、19歳の才媛を日本に“逆輸入”というわけです。

ピアニストの沢木さんと一緒にステージに登場しましたが、最初の曲はエネスクの無伴奏ソロ。このルーマニアの民族音楽的な超絶技巧のソロにたちまち会場は静まりかえりました。「これはただものではない」というのが正直な感想で、たちどころに胸をわしづかみにされた気分。

モーツァルトの、冒頭の重音が印象的なソナタも、素晴らしく躍動的。しかも、この曲にはどこか若い期待とか抱負のようなものがみなぎっているとともに、どこか大人びた重量感も備わっていますが、それを確かに感じさせる演奏。

ラヴェルのソナタは、有名な割りには「ツィガーヌ」ほどには取り上げられることの少ない曲のような気がします。いざ聴いてみると、なるほど効果的な曲だからと軽々には取り上げにくい難曲でもあることがよくわかります。それを堂々と弾き進む度量の大きさに感動してしまいます。ブルース冒頭のピッチカートの強さには胸のすく思いがします。

休憩後の1曲目はチャイコフスキー。ピアノの長めの前奏がずいぶんとテンポが遅いのでどうなることかと思いましたが、耽溺的なメロディでチャイコフスキーの魅力を存分に味わいました。

素晴らしかったのが、最後のグリーグ。

激情的とも言えるほどの濃いロマンチックな色合いで、はちきれんばかりの若々しいパッションをぶつけてきて、聴いていても胸がどきどきするほど高揚させられました。最近、グリーグのこのソナタを聴く機会が多かったのですが、これはもう、そのなかでも最高のグリーグでした。

富田さんのヴァイオリンは、とても若い。粗さのようなものをところどころ感じますが、それは決して耳障りということではなくて、むしろその思い切りのよさは小気味よいほどで、この先がますます楽しみというような粗さ。それは、富田さんの技術のせいなのか、楽器のせいなのか…。楽器の音色にも、ところどころに粗くなるところがあって、同じような若さを感じます。こちらも繰り返しになりますが、この先の熟成が楽しみな若さを感じてしまう。おそらくストラディヴァリウスといったオールドではないのでしょう。こんな才能のある若手が手にする楽器だけに興味津々ですが、プログラムにはクレジットがありませんでした。

ヴァイオリンという楽器は、生で聴くと一番ホンモノは違うなあと感じさせる楽器だという気がします。どんな高価なオーディオ装置であっても、ここまでいろいろと感じさせることはないと思います。この多目的ホールは、壁面がまるで森のような木製のポールが林立しているデザインになっていて、音楽会場としてはかなりデッドです。それだけに直接音が多く、楽器や演奏の素性を直截に伝えるところがあるようです。楽器が若いと感じさせたのはそのせいかもしれません。

公演後の友人との感想戦でも、このヴァイオリンの正体をめぐって楽しい論戦がありました。

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すっかり気に入ってしまい、帰りにCDを買い込んでしまっただけではなく、帰宅後にさっそく来週にソリストとして出演する都響のプロムナードコンサートのチケットまで買ってしまいました。それは、グラズノフの協奏曲ということもありますが、果たしてサントリーホールではこの楽器がどのように鳴るのかも確かめてみたい気持ちもあるのです。



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第519回日経ミューズサロン
富田心 東京デビュー・ヴァイオリン・リサイタル

2022年2月4日(金)14:00~
東京・大手町 日経ホール
(D列6番)

富田心(とみた ここ):ヴァイオリン
沢木良子(さわき りょうこ):ピアノ

エネスク/「幼き日の印象」より I.辻音楽師 作品28-1(ヴァイオリン独奏)
モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 K.376
ラヴェル/ヴァイオリン・ソナタ ト長調

チャイコフスキー/懐かしい土地の思い出
グリーグ/ヴァイオリン・ソナタ第3番

(アンコール)
ドビュッシー(ハイフェッツ編)/美しい夕暮れ

タグ:富田 心
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ワグナー 「ニュールンベルクのマイスタージンガー」 (新国立劇場)

歌手陣、オーケストラいずれも充実した「マイスタージンガー」だった。

まずは歌手陣。

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ベックメッサーのアドリアン・エレートは、はまり役。2013年の東京春祭でもこの役を演じて大喝采を受けていた。もし彼の来日が中止になったらどうしようかとハラハラしたが、今回は舞台上でその芸達者な演技も冴えて健在ぶりを遺憾なく発揮。

ザックスのトーマス・ヨハネス・マイヤーは、堂々たる歌唱に加えて、演出が求める多面的なザックスの様相をよく表出していた。この演出がザックスに投射する人物像は、かなり複雑で単なる靴屋のマイスターではない。そのことはちょっと後で触れるけれど、そういう難しいキャラクターを見事に歌いきった。

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ヴァルターのシュテファン・フィンケも、後半にスタミナが切れかけて声が不安定だったが、その美声が醸す華やかさ、一本気さは魅力だった。個人的には、どうしてもクラウス・フロリアン・フォークトの歌唱が、時折、脳内に現れて邪魔をした。これは、前述の東京春祭の記憶のせいで、あくまでも「個人的」なお話し。

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ポーグナーのギド・イェンティンスも光る。重要な脇役にもこういう歌手がきっちりと舞台を引き締めるというのが、近年の新国立劇場の充実ぶりを示している。エーファの林 正子も大健闘。姿も良い。ある意味では、この演出を一番理解していたのは彼女なのかもしれない。

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ピットの都響も素晴らしかった。

冒頭の「前奏曲」こそ音もそろっていなくて演奏もやや荒削りでがっかりだったが、そこは指揮者の大野和士のマネジメントのせいなのだろう。大野は、「前奏曲」のようにオーケストラにとっても何度も演奏したはずのなじみのある曲は、団員に任せて手を抜くところがある。第一幕終段からぐいぐいと熱を帯び、音色もどんどん艶と輝きを増していく。こうやって聴いてみると、この楽劇でのワグナーの対位法的技巧の厚みの凄みのようなものに感嘆させられる。それぞれの幕切れに向かって、歌手たちの重唱もオーケストラの緻密重畳な響きも、まるで様々な色彩の分厚い油絵の具を塗り重ねていき爆発的な音響に達する、その興奮の頂点が凄まじい。それをこうまで見事に作り上げることができるのは、今の日本人指揮者では大野の他には居ない。

イェンス=ダニエル・ヘルツォークの新演出は、なかなかに含蓄があって周到かつ大胆。

この楽劇には、どうしてもナチスのニュルンベルク党大会のイメージがまとわりつく。

娘を競技会の懸賞に差し出すというポーグナーの宣言も、「たとえ神聖ローマ帝国が塵と藻屑の中に埋もれようとも、聖なるドイツの芸術は我々の手の内に残るだろう!」というザックスの大演説も、性的階級的抑圧と政治・軍事・文化に及ぶ排外主義を鼓舞するものにしか聞こえてこない。

そういう現代人の観衆にとって、この楽劇での前半の流れからしてどこか居心地が悪く、スムーズに後半へと流れ込んで行きにくい。明らかに伝統の集団的束縛と圧迫に反抗を貫こうとするヴァルター、懸賞に供されるという隷属から脱しようとするエーファ。その二人が、ザックスの超保守・全体主義の芸術至上主義へと予定的に調和していくことにはどうしても違和感を覚えてしまう。

この楽劇を熟知した手練れのファンであればあるほど、そういう違和感を抱いてしまうというのは、まさにこの演出家の企みなのではないか。なぜ、ザックスは、靴屋でありながら詩人のマイスターであり、さらに(この演出では)劇場の支配人でもあるのか。ザックス役のヨハネス・マイヤーはそういう矛盾に満ちた歌唱と演技をこなしながらよく演じていたのだと思う。それが幕切れで、ようやく氷解する。

パンデミックで世界が分断されているさなか、これだけ充実した公演を東京で観れることは素晴らしい。
 
 
 
 
 
新国立劇場
ワグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
2021年11月28日(日) 14:00
(2階1列33番)

【指 揮】大野和士
【演 出】イェンス=ダニエル・ヘルツォーク
【美 術】マティス・ナイトハルト
【衣 裳】シビル・ゲデケ
【照 明】ファビオ・アントーチ
【振 付】ラムセス・ジグル
【演出補】ハイコ・ヘンチェル
【舞台監督】橋尚史

【ハンス・ザックス】トーマス・ヨハネス・マイヤー
【ファイト・ポーグナー】ギド・イェンティンス
【クンツ・フォーゲルゲザング】村上公太
【コンラート・ナハティガル】与那城 敬
【ジクストゥス・ベックメッサー】アドリアン・エレート
【フリッツ・コートナー】青山 貴
【バルタザール・ツォルン】秋谷直之
【ウルリヒ・アイスリンガー】鈴木 准
【アウグスティン・モーザー】菅野 敦
【ヘルマン・オルテル】大沼 徹
【ハンス・シュヴァルツ】長谷川 顯
【ハンス・フォルツ】妻屋秀和
【ヴァルター・フォン・シュトルツィング】シュテファン・フィンケ
【ダーヴィット】伊藤達人
【エーファ】林 正子
【マグダレーネ】山下牧子
【夜警】志村文彦

【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団、二期会合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団
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篠崎史紀ヴァイオリン・リサイタル (浜離宮ランチタイムコンサート)

篠崎さんは、つい二日前のN響定期でコンサートマスターで出演していてお見かけしたばかり。翌日は、N響が同じプログラムでの大阪公演のはず。今の演奏家というのは、こんなハードスケジュールを苦もなくこなしているのですね。すごいなぁ。

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前半は、北欧の音楽。

シベリウス、グリーグと、おなじみの名曲。

篠崎さんの演奏は、とてもわかりやすくなじみやすい。そういうところは合間のスピーチに現れていて、スピーチも名人。グリーグは小学校時代からのおなじみの作曲家だそうだ。つまり、朝な夕なに学校放送で流れていた音楽がグリーグだったそうだ。

そのグリーグのソナタが飛びきりの力演。

グリーグは、かつては、それこそピアノ協奏曲や「ペール・ギュント」組曲などがとてもポピュラーでしたけど、近年はピアノ曲も人気で多くのピアニストが取り上げています。それに較べて、ヴァイオリン・ソナタは、隠れた名曲といったところでしょうか、コンサートプログラムとしては地味で渋い演目ということかもしれません。私も、デュメイとピレシュの名盤を持っていますが、じっくりと聴いたとは言えないかも知れません。

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それが、とても情熱的で素晴らしい曲なのです。思わず、家に帰ってから何度もそのCDを繰り返し聴いてしまいました。こういうところが、やはり、生演奏の力なんでしょうね。

後半は、ロシアへ。

「白鳥の湖」は、実は、オーケストラのコンサートマスター入団試験用の楽譜なんだそうです。それを聞いて客席は爆笑。確かに、オーケストラ曲には、そこかしこにヴァイオリンのソロがあります。それを担当するのはコンサートマスターの大事な仕事。とはいえ、ピアノとのデュオで披露しようとすると適当な編曲が無い。そこで、はたと気づいたのが入団試験用の楽譜だったのだとか。

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「シーン」は、カラヤン/ウィーン・フィルの歴史的名盤があって、よく聴いています。今から60年前のものとは信じられないようなデッカの名録音で、当時はまだ若手だったヨーゼフ・シヴォーのヴァイオリンが聴けます。こういう若手の抜擢にもカラヤンの才覚が感じられます。

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ピアニストの入江さんは留学経験もあるバリバリのロシア派なんだとか。続くストラヴィンスキーやプロコフィエフでは、そういうロシア仕込みのピアノが炸裂。素晴らしかったのは、ソロで弾いたラフマニノフ。もともとは歌曲で、入江さんの大好きな曲。それをピアノソロで演奏したいと思ったけれど、なかなかこれはというものがなくてとうとう今回、ご自分で編曲したとのこと。「春の流れ」とは、雪解けの水のこと。ロシアには、夏と冬しかない。雪が溶け出すと、辺り一面、流れや泥濘となって水があふれ出す。そういう溢れかえる雪解け水にロシア人の喜びが爆発する。そのピアノはまさにそういう音楽でした。

こういう演奏家がひとつひとつの曲に持つ、思い出とか思いを直に語ってもらえるのも、このランチタイムコンサートの楽しみになっています。





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浜離宮ランチタイムコンサートvol.208
篠崎史紀ヴァイオリン・リサイタル
2021年11月26日(金) 11:30~
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階15列16番)

トリオ・アコード
篠崎史紀 (ヴァイオリン)
入江一雄 (ピアノ)

シベリウス:悲しきワルツ
グリーグ:ソルヴェイグの歌
グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調 Op.45

チャイコフスキー:バレエ「白鳥の湖」より 「パ・ド・ドゥ」「ロシアの踊り」
ストラヴィンスキー:バレエ「火の鳥」より 子守唄
プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」より モンタギュー家とキャピュレット家
ラフマニノフ(入江一雄 編):春の流れ

(アンコール)
ラフマニノフ/クライスラー:祈り
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能・狂言の時空世界 (国立能楽堂 9月普及公演)

ここのところ日本の伝統芸能に足を運ぶことが多くなっています。

今回は「普及公演」ということで、解説付きの公演です。以前、出かけた公演がたまたま解説付きの公演で、その解説がなかなか面白く本番鑑賞のよい助走になったので、今回も「普及公演」を選んで出かけることにしたのです。

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国立能楽堂は、このコロナ禍のなかでも、いつも満席です。今回は最前列の席も入れていましたので文字通り完売満席の状態でした。幸い、早くに申し込んだせいか初めて正面中央の最上席が取れました。能舞台は、脇正面、中正面などどんな角度からでも面白さは尽きないのですが、初めて正面中央から観劇してみるといろいろ発見や気づきもあり、興味は尽きません。

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名取川は、忘れないようにと袖に付けた戒名を、川を渡ろうとして深みに足を取られて流してしまうという出家僧の間抜けなお話し。在所の男の名前が名取(なとり)と聞いて、おまえが名をとったのかと詰め寄るという滑稽話。男のふとした言葉からなくした戒名を思い出し、めでたし、めでたしというわけです。

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名取川というのは、宮城県中部を流れる大河のこと。比叡山からの遠い旅路があるわけですが、ミニマルな能舞台ではそれを何周か周回するだけで表現します。舞台中央前面から、前縁へと進み、そこから向かって右に進み、そこから左手奥へと対角線上へと進み、反転して正面へ進み、左に曲がり正面前縁に戻る。そういう律儀な幾何学的直線移動を繰り返して長大な移動を表現してしまいます。

舞台転換ももちろん何もありません。面白いのは、顔を常に進行方向に向け続けることによって、人物が発する台詞の色合いが立体的な変化を帯びることです。横を向けばそれだけで声色は変わります。斜め後ろを向けばさらに遠くなり、それが奥へと進むことで遠ざかる。前に向き直ればそれが近くなり、前進するにつれてクローズアップされてくる。ミニマル舞台での映像的な移動(=旅路)に加えて、声のそうしたわずかな移動感覚がよりいっそう立体感を演出する。そのことの面白さに気づきました。

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熊坂は、牛若丸の盗賊退治のお話し。当然、主役は若き元服前の少年・牛若丸ですが、舞台にはその姿は一切現れません。旅の僧(ワキ)が美濃の国・赤坂にたどり着くと、主も知らぬ古塚の回向を頼まれる。深夜、旅の僧が弔っていると大盗賊・熊坂長範の亡霊が現れ、三条の吉地(金売り吉次)の一行を襲って牛若丸に討たれた時のことを語るというお話し。

亡霊の昔語りというのは、能の世界によくある仕掛けですが、中世の時空世界の森厳さと、人間の怨念や情愛が霊魂となって現世と来世をさまよう幽玄の世界というわけですが、それがこうした活劇の世界で、なお、二重の時空の飛躍として表現することの面白さに魅了されてしまいます。

舞台中央で帷子に身を固めた熊坂が長刀を振るって、大格闘を立ち回るという華やかな舞台。その大剣劇のリアルなこと。しかし、それはあくまでも亡霊の問わず語りであって、あくまでも幻想幻影。しかも、右へ左へと身も軽く跳躍し、長刀を振るう大男を翻弄する牛若丸は目に見えない。二重の幻影に観客すらも翻弄されるわけですが、ついには具足の隙間を斬られて熊坂がどっと崩れ落ちて体を落とす瞬間には、確かに牛若丸の姿を見たような幻惑すら覚えるほど。


ここではもちろん、見えない牛若の跳躍を見せる後シテの身体をはった至芸があるわけですが、足を踏みならす床の音、息づかい、翻る衣づれの音など様々な自然音(ノイズ)が効果音として舞踏劇を盛り上げることになります。もちろん、龍笛、小鼓、大鼓に太鼓も加わった囃子も音曲のクライマックスにあるのですが、それに埋もれずこうした自然音も極めて大事な要素となって、この幻想の活劇を盛り上がているのです。

踏みならす音のために吟味し尽くした檜が選別され、それを床板として根太に張られ、床下にはその床板を直接支える形でいくつもの束が立てられていて念入りに張力を調整しているそうです。さらには床下の地面には壺がいくつも埋め込まれ吸音チューニングが仕掛けられている。床下の地表は目の細かい土で覆い固めて残響を適度に保つ工夫もされていたそうです。そこまで音響面の仕掛けがしてあるわけで、その音響の立体空間マジックに知らず知らずのうちに取り込まれているのです。

今回は、つくづくそういう視覚だけではない音響、聴覚による能・狂言の時空世界のトリックを堪能できた思いがしました。





国立能楽堂
9月普及公演 名取川・熊坂
2021年9月11日 13:00~
東京・千駄ヶ谷 国立能楽堂
(正面7列10番)

解説・能楽案内
 牛若の盗賊退治 表きよし(国士舘大学教授)

狂言 名取川 山本則重(大蔵流)

能 熊坂 替之型 梅若紀彰(観世流)

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