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「パンツが見える。」(井上 章一 著)読了 [読書]

飽くなき文献渉猟を積み重ね《桂離宮神話》の虚構を暴いた井上先生が、ここでは《白木屋伝説》の虚構を暴いて見せた。まさに驚愕の真実である…

ネタバレかもしれないが、以下に本著の日本女性のパンツに関する見解を要点のみ列挙する。

1.日本女性は、昭和初めごろまでノーパン(ノーズロ)のほうが一般的だった。
2.白木屋火事の伝説は事実に反する。
3.ズロースの着用は、洋装の普及にともない陰部を覆い隠すものと認識された。
4.だから、ズロースが見えることは性的羞恥心の対象とはならなかった。
5.1950年代にパンチラ革命が起き、以降、性的関心や興奮の対象となった。

団塊の世代の私にとっては、なるほどねぇということであって衝撃の事実とは言いがたい。

ミニスカートの爆発的流行の時代にニキビ顔の青春を過ごした世代にとっては、井上先生の考察は、誤解の始まりにせよ、誤解が解けていく過程にせよ、まったく実体験に沿ったものだからだ。

母親によると、私自身は幼少のみぎり「女の子っておかしいね。でんぐり返しするとパンツが丸見えなんだよね。」と言っていたそうだ。母はそれを聞いて笑って喜んでいた。その母から、私は白木屋火事のことを確かに聞いた。それは、「和装の下は腰巻きで下から陰部が丸見えになるので、女性は飛び降りるのを嫌がって焼死した」というもの。まさに一言一句違わぬ《白木屋伝説》であった。

小学校高学年の頃、学校では《スカートめくり》が全盛を極めた。女子児童が、みんな短めのスカートで簡単にめくれた。めくると大騒ぎで嫌がるので面白くて男児は驚喜し熱中した。担任の女性教諭はこれを目撃するとニヤニヤしながらも、もちろん厳しい指導があって、現行犯はそのまま一時間ほど現場の廊下に立たされた。なお、本著に「スカートめくり」が論考されていないのは、文献には残されていないせいか。あるいは学術的「日本風俗史」のスコープ外ということか。

このパンツの歴史的経緯に薄々気づきだしたのは、高校を卒業して太宰治に夢中になったころ。「斜陽」に主人公の母である元華族夫人が庭で用を足す場面(この小説も井上先生は見過ごしている)。それが社会人になって、田舎町の年増芸者に、「和服だから下には何もはいてないのよ。ホラ!」とからかわれて、初めて最終的な歴史認識に至った。私が、ついに歴史修正主義の偽善から目覚めた記念すべき刹那であった。

井上先生もおそらく同じような精神年齢的成長を遂げたのだろう。私よりもいくつか年下なので微妙な違いはあるかもしれない。

いずれにせよ、要約すれば前述の5点ほどに尽きる。確かに、白木屋伝説の虚構の指摘は、偉業かもしれないが、桂離宮神話には較べるべくもない。それをまあよくここまで、くどくどと書くものだと呆れた。

テーマがテーマだけに、後半はかなり食傷した。


パンツが見える_1_1.jpg

パンツが見える。
 ―羞恥心の現代史
井上 章一 (著)
朝日選書

タグ:井上章一
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