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ミラノ・スカラ座をしゃぶり尽くす その1 [海外音楽旅行]

ヨーロッパ音楽三昧の旅、今回は、ミラノのスカラ座をしゃぶり尽くす一週間ほどの旅です。

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イタリアというのは、言うまでもなくオペラ文化の国。だからイタリア各都市には歌劇場があっていずれもハイレベル。なかでもここミラノのスカラ座(Teatro alla Scala)は、宮廷劇場の伝統をひくイタリア・オペラ最高峰の歌劇場。

その反面、コンサートホールが見当たらず、これはというオーケストラもありません。いわゆるオーケストラ・ランキングを見ても、例えば英国グラモフォン誌のベスト20にもイタリアのオーケストラは登場しません。そのイタリアのベストオーケストラは、実のところスカラ座の座付オケであるスカラ座管弦楽団ということになります。その根拠地となるのはオーケストラホールではありません。つまり、スカラ座。

リサイタルホールも見当たりません。ミラノでトップレベルの音楽家がリサイタルを開くとしたら、そのヴェニューは、これまた実はスカラ座ということになります。つまり、何から何までスカラ座というのがイタリア最高の音楽都市ミラノの現実だというわけなのです。

今回の私たちの日程は、ミラノだけ。その5夜は日曜日を除いてすべてスカラ座通いというわけです。いかにもイタリア・グランドオペラというべきヴェルディから新演出のグルック「オルフェウス」、シンフォニー、そしてポリーニのリサイタルまで、歌劇場であってオペラだけではないスカラ座の七変化をすべてしゃぶり尽くす…ということなのです。

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さて…

今年のヨーロッパは大寒波に襲われていて大変な寒さ。

出発前の天候チェックで、ミラノは東京よりも寒いということにいささか驚いてコートのインナーを着けたりと準備はそれなりにしていきましたが、現地はその予想をも上回る寒さでした。

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到着当日は、さっそく冷たい小雨模様の寒夜。暗い夜道をスーツケースと傘で両手をふさがれてのホテル探しはいささかうんざり。ロンドンからのトランジットで着いた空港は、国際空港のマルペンサ空港ではなくて、ローカル空港に毛も生えていないようなリナーテ空港。都心には近いとはいえバスぐらいしか公共交通しかないので、市バスに乗ってドゥオーモまで1.5ユーロながら30分以上のバスライド。そこからの徒歩はスマホのグーグルマップしか頼るものがなくてさんざんでした。

それでも何とかホテルにたどり着き、さっそく、スカラ座周辺を探索。

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宿は、ちょっと裏道に入った小体なホテル。都心にあって値段もそこそこなのでビジネス客も多く、折からミラノはファッションウィークでどこのホテルも満室。スカラ座までは意外にも徒歩で10分もかからないほどの近さ。ラッキーでした。

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近くのガレリアで食事。

ガレリア・ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世は、1867年イタリア統一を記念して建設されたというアーケード街。十字形をした豪壮なショッピングアーケードで、高級ブランドのブティックやレストラン、カフェ、バールが軒を並べています。

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イタリアの楽しみは、何と言っても食事です。けれども音楽優先の私たちの旅は、夜が音楽会なのであまり食事はゆっくり楽しめません。到着の日はコンサートがないので、ガレリアの店なら間違いないだろうと目にとまったレストランにさっそく飛び込んでしまいました。観光客であふれる店内は、8時前なのにけっこう混雑していましたが、「コンバンワ」と愛想良く迎えられ、食事も最高でした。

翌朝は、市内観光。

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午前中の早い時間から向かったのは、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。レオナルド・ダ・ビンチの傑作『最後の晩餐』がある教会です。こんな時間に出かけたのは事前の予約があったからです。教会の食堂の壁に描かれた巨大なテンペラ画で、剥離などの経年劣化が激しく何度も修復が行われてきました。

30年前に私たちが訪れたときは、1977年から始まった大修復の真っ最中で、壁画のほとんどが足場で覆われその合間からようやく一部分を覗き込むという状態。反面、出入りは驚くほど簡単で管理はずさんでした。今は、宇宙船か地下の秘密工場よろしく複数の扉が外気と謝絶し、観光も厳格な人数制限のもとに完全予約制となっています。事前にネットで予約し見学料も払い込んでいますから、予約時間の遅くとも10分前には現地での登録を済ませる必要があります。まだ土地勘のない街角で、地下鉄の駅員にたずねたりして早足でやっと時間までにたどり着きました。

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時間は30分と限られていますが、人数制限されているので、かえって、ゆっくりと心ゆくまで鑑賞できるのはありがたい。写真もOKということです。30年前の記憶からすれば、よくもここまで修復できたものだと感無量の思いで鑑賞しました。

続いて向かったのが、アンブロジアーナ館。

音楽旅行は、夜は音楽、昼は市内や近郷の観光ということで、とても効率的です。国中がローマ遺跡やルネッサンス文化の博物館とも言えるイタリアでも、ミラノはイタリア最大の都市であり商工業・金融の中心ですが、それだけに観光コースとしてはいささか格下に見られがちですが、なかなかどうして見どころがけっこうあります。

アンブロジアーナ館には、17世紀初頭に創設された図書館と併設された絵画館があって、ミラノにもこんな絵があったかとちょっと驚くほどの豊かな所蔵品を見ることができました。まずここに向かったのは、『最後の晩餐』とセットになっていて、ここも予約で時間指定がされていたからです。

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ここにもカラヴァッジョが…ということかもしれませんが、ここの所蔵は『果物籠』という静物画で、その精細でリアルな描写と大胆な構図と意匠にちょっとした衝撃を受けました。

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同じように強い印象を受けたのが、マンテーニャの『死せるキリスト』。足下から亡骸を見上げる大胆な構図に、キリストへの畏怖と深い悲しみとともに作者自身の死への懼れと救済への希求を感じさせて胸を打つのです。

ここにもダ・ビンチの作品があります。『楽師の肖像』の展示はちょっと地味。図書館所蔵の、いわゆる『手稿』の一編があって展示されていましたが、これもやや地味でした。それがかえって、欧米各国に散逸したこの一連の遺品を、生きているあいだに一望にできる機会が訪れないかという思いがそそられるような気持ちがしました。

ミラノ中心のスフォルツァ城も見学。ここには『ロンダニーニのピエタ』があります。

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ミケランジェロが生前最後に手がけた第4のピエタ。視力を失いながらも手探りでノミで削り、最後の床に伏す前日まで制作を続けたと伝えられますが、キリストの顔面はもうこれ以上浮かび上がる表情があるのだろうかと思われるほどに削り取られていて、ほとんどもう遺棄されたような未完成の彫像ですが、それだけにピエタの深い悲しみを感じさせ感動を覚えてしまう不思議な彫像です。

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遅めの昼食は、街角のカフェの2階で軽めのサンドイッチ。ビールを2杯空けながらフォカッチャをかじって、サンドイッチもボリュームはそこそこにあって満腹。

ということで、いよいよスカラ座です。

最初の夜は、ヴェルディ中期の傑作『シモン・ボッカネグラ』。タイトル役は、スカラ座出身の老優レオ・ヌッチ。チョン・ミュンフンがどのような指揮振りなのかが楽しみです。

(続く)
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ウィーン国立歌劇場「ローエングリン」 (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その9) [海外音楽旅行]

私たちの音楽三昧の旅もいよいよ最終日を迎えました。

長丁場のワグナーだけに、開演時間は17:30となります。最後のウィーン観光は、定番の市内観光をゆっくり楽しむことにしました。

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先ずはシュテファン寺院。30年前に来たときは屋根まで登った記憶が生々しく、かえって内部の記憶がはっきりしませんでした。あらためて伽藍の壮大な内部を見て感銘を受けました。パイプオルガンも聴いてみたかった。

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もうひとつの定番の美術史博物館。ここも30年前に訪ねたのですが、改めて来てみるとそのネオ・ルネサンス様式建築の壮大さと豊富なコレクションに感服してしまいます。正面階段の上部壁面にクリムトの壁画があったなんて30年前は少しも知りませんでした。あの時はブリューゲルに夢中でしたから。

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ステアケースをめぐる回廊には望遠鏡がありました。ふたりで夢中になっていると、ふと傍らの長椅子には老人がぼんやり座っています。慌ててどうぞと譲ったらにっこり笑って「ダンケ」。やっぱり順番を待っていたのでした。ちょっとばかりきまりの悪い思いをしました。

ここでもフェルメール。

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これでヨーロッパにあるフェルメールはあらかた踏破しました。

もうひとつは、前日の郵便貯金局の近くにある応用美術館。ウィーン万国博(1873年)の際に建てられた、やはりネオ・ルネサンス様式の建物ですが、正面の吹き抜けのホールなど建物自体がとても面白い。中を見て回るとウィーンの世紀末に至る工芸品の数々があってこれも実に興味深い。中国や柿右衛門、九谷などの東洋陶器との出会いから始まったヨーロッパの東洋趣味が世紀末に至って独自の美意識を生む。そういう流れのなかで日本の開国が実に絶妙なタイミングであったことを実感させられます。

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多少の時間のゆとりがあったので、市の中心部を散策。お茶してウィーン菓子をいただいたり土産物をあさったり、老舗の楽譜屋さんに立ち寄って何冊かスコアも手に入れました。

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開場時間になって会場に入ると、何と今日もまたまたピット内にはキュッヒルさんが座っていてヴァイオリンの調整に余念がない。ほんとうにその精励ぶりには驚きました。

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開幕直前に支配人がステージに登場。サプライズのアナウンスがありました。

何と思いがけず、突如、フローリアン=フォークトが降臨。

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予定されていたブルクハルト・フリッツが急病、つい前々日までベルリン・ドイツオペラでローエングリンを歌っていたフォークトが、急遽、代役として駆けつけたとのこと。ドイツ語がわからない私たちでしたが彼の名前と聴衆の反応でおよその推測はつきましたが、つい隣のおじさんに確かめました。おじさんもとにかく思いがけないサプライズに大喜びの様子。ネットではまさにこの日、初台の新国立劇場では総稽古が始まったとのニュースを見たばかりだったので私たちにとってはほんとうにビックサプライズです。

フォークトのタイトルロールにはもう何も言うことはありません。

その優しい美貌と柔らかで慈愛に満ちた美声。白鳥とともに登場するシーンの第一声「ありがとう、かわいい白鳥よ!(Nun sei bedankt, mein lieber Schwan! )」にはほんとうに心がとろけるような陶酔を感じさせ、それはもうほとんど衝撃的と言ってもよいほど。

前シーズンまで、ウィーンでこのプロダクションで演じてきただけに何のよどみもなく完璧な歌唱と演技です。

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よかったのは、オルトルートのミカエラ・シュスターとフリードリヒのトーマス・ヨハネス・マイヤーのふたり。オルトルートの邪悪な奸婦ぶりと、権力に目がくらんで気迷いながら振りまわされて堕ちてゆく子悪党のフリードリヒ。第二幕はこのふたりの独壇場。もしこの第二幕の暗がりが充実していなければこの歌劇は成り立たない。単なる思い込みの激しいお嬢様の成田離婚みたいな話しになってしまう。音楽の充実ぶりとともにワーグナーの楽劇は長くなくてはワーグナーではないのだと思います。

シュスターはベテランの域にあるメッゾですが、その妖気に満ちた色気と圧倒的な声量で「タンホイザー」のヴェルヌスなどワーグナーやシュトラウス歌劇の敵役の奸婦にはぴったりなのではないでしょうか。トーマス・ヨハネス・マイヤーは、初台の新国立劇場でも「ヴォツェック」とか「アラベッラ」のマンドリカなど、そのたびに強い印象を残してくれたひと。その役どころを掘り下げた歌唱と演技によって、善人であれ悪人であれ決して通り一遍ではない人間の深層を見せてくれる。

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エルザのカミラ・ニュルンドはなかなかの美貌で華もあって人気スターの片鱗を見る思いがしますし、後半の悲劇的な破綻へと続く女の浅はかさをよく演じていました。ただし、第一幕での端から見れば狂女すれすれの純粋さ、夢を見ているかのようなはかなさが出にくくただただボンヤリしているだけ。バイロイトのアネッテ・ダッシュの天然っぽい危なさの魅力にはほど遠いものでした。

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演出には不満が残りました。

中世世界の英雄奇譚が、どこやらのオーストリアの田舎の寄り合いでの騒動みたいにひどく矮小化されてしまったような気にさせられてしまいます。ローエングリンの登場も、そういう田舎の群衆の後から白鳥のデコイのようなものを掲げて現れるという仕立てで、ちょっと情けない。

この演出で割を食ったのがハインリヒ王のヨン・グァンチョル。せいぜい村長さんぐらいの威厳しか出てこないのはちょっと気の毒な気がしました。バイロイトの悪名高きハンス・ノイエルフェルスによる演出の政治的なメッセージのアクの強さとは対極的だが、これほど存在意味のないドイツ王は他にいないだろう。

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ピットのオーケストラには文句のつけようがない。「トゥーランドット」も、前夜の「ボリス・ゴドノフ」もそうだったけれど、大編成のオーケストラはコンサートでのウィーン・フィルとはまた違った素晴らしさがあるし、とにかくよく鳴る。よく鳴るということではこの歌劇場もそう。ウィーンの歌劇場は意外にもスペクタクルがよく似合う。そう思いました。「トゥーランドット」と同じセンターの5列目という特上席でその響きを堪能できました。

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終演の大喝采は大変な盛り上がり。それもこれもサプライズのおかげなのだと思いました。昨夏のバイロイトでのフォークトが再びウィーンにも降臨して、大興奮に酔いしれた私たち夫婦は、この後、日本に帰ったらもう一度…と、たちまち新たな妄想に取り憑かれてしまったのでした。




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ウィーン国立歌劇場 ワーグナー「ローエングリン」
2016年5月10日(火) 17:30
ウィーン 国立歌劇場

Graeme Jenkins | Dirigent
Andreas Homoki | Regie
Wolfgang Gussmann | Ausstattung
Franck Evin | Licht
Werner Hintze | Dramaturgie

Kwangchul Youn | Heinrich der Vogler, deutscher Konig
Klaus Florian Vogt | Lohengrin
Camilla Nylund | Elsa von Brabant
Thomas Johannes Mayer | Friedrich von Telramund, brabantischer Graf
Michaela Schuster | Ortrud, seine Gemahlin
Adam Plachetka | Der Heerrufer des Konigs

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ウィーン国立歌劇場「ボリス・ゴドノフ」 (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その8) [海外音楽旅行]

早くも滞在二日目にして最高潮に達した私たちのウィーン音楽三昧ですが、まだまだ続きます。

夜のオペラまでにたっぷり時間があるのでウィーン見物ですが、この日は月曜日。おおかたの美術館等は休館ですので、オープンしている場所に集中しながら私たちのウィーン世紀末探訪は続きます。

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まず、トラムでベルヴェデーレ宮に向かいます。

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上宮からの眺望はまさに絶景。ゆるやかな斜面に拡がる幾何学模様の庭園と下宮の背景にはウィーンの市街が遠望されます。この日も雲ひとつ無い爽やかな青空が拡がっています。

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もちろんお目当てはクリムトやシーレ、ココシュカなどのウィーン世紀末の画家たちの作品。特にここにはクリムトの「接吻」があります。

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次に向かったのは、郵便貯金局。

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やはりトラムで公演沿いのリングを北上します。ここはオットー・ワーグナーの後期の傑作。大きなアルミ支柱のリズミカルな反復とガラス天井からの陽光がとてもモダン。

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こんな調度も何気なく置いてあるのが素敵です。

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ここからドナウ川まで散策。ウィーン市内のドナウ川はブダペストのそれと較べるとちょっとがっかり。

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橋のたもとにはちょっと可愛らしいウラニア天文台があります。

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さらに地下鉄に乗って、ベートーヴェンゆかりの地へ。

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駅の前には集合住宅がありました。市建築局のカール・エーンが設計した有名なカール・マルクス・ホーフ。

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ここは田園地帯というよりは緑豊かな超高級住宅街でした。ベートーヴェンが歩いたという小川沿いの散歩道もありましたが、もはや往時をしのぶよすがはほとんどありません。

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この一帯はいわゆる「ウィーンの森」で、丘沿いの斜面にぶどう畑が拡がっています。酒蔵はレストランになっていて、季節になるとその年の新酒(=ホイリゲ)を楽しむ人々で大にぎわいだとか。ホイリゲはそのままそうした居酒屋を指す言葉になっています。そんなお店で昼食に旬のホワイトアスパラをいただきました。

さて、5月の爽やかな晴天に恵まれた私たちはウィーンの文化と自然をたっぷり楽しみ、午後には市街に戻りホテルでひと休み。いよいよ今夜は「ボリス・ゴドノフ」です。

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いちど実際に聴いてみたかったロシア・オペラ。

ロシア・オペラは上演が難しいのかなかなか聴く機会がありません。それをウィーンで最高のキャストで聴けるなんて。特に「ボリス・ゴドノフ」はムソルグスキーの代表作。傑作と言われながらも、既往のオペラの規格から外れた作風は、上演拒否や改訂、改作が繰り返されてきて、なお、上演を難しくしてしまったからでしょう。

ボロディンを愛し、この作品を繰り返し取り上げ、その原典版の復活に心血を注いだのはアバドです。イタリア人であり正統派のアバドとボロディンというと意外に思われるかもしれませんが、アバドはチャイコフスキーも早くから交響曲全曲録音もあって、「ボリス・ゴドノフ」原典版にはベルリン・フィルとセッション録音した決定版ともいえる盤があります。ベルリン・フィルとの来日時にも「はげ山の一夜」の原典版を演奏していましたね。このプログラムは、「火の鳥」、チャイコフスキー5番とオール・ロシアでした。

この日の白眉は何と言ってもタイトル役のルネ・パーペ。独壇場と言ってもよいほど。

このひとは何をやっても立派で、しかも何でもこなしてしまう。当代随一のバス。私たちはこれで、ミュンヘンの「ドン・カルロ」、ベルリンの「ファウスト」と矢継ぎ早にこのひとを聴いてきたことになります。

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ボリス・ゴドノフというの歴史上に実在した人物。動乱の時代に民衆に押されて帝位につき、その民衆による懐疑と暴乱のなかで帝位継承を僭称する若者が率いる反乱軍の攻勢のなかで世継ぎの息子の将来を慮りながら失意に沈んでいく。…そういう、絶えずある種の罪悪感とロシアを深く憂う心の奥底の葛藤をルネ・パーペは見事に表出していました。

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実は、この日の私たちの席は少しだけ節約して三列目の右端(PARKETT RECHTS Reihe3 Platz1&2)でした。ところがこれがとても幸いしたのです。

この日のコンマスは、ウィーン・フィルのコンマスのなかで筆頭かつ最若手のフォルクハルト・シュトイデ。ちなみに連夜のウィーン・フィル(歌劇場管弦楽団)でしたが、この日だけがキュッヒルさんではなかったというわけです。

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…それはさておき、私たちの席はかなりピットに近くて、その目前はトロンボーンとチューバ、ティンパニやグランカッサなど低音楽器がずらりと並びます。特に第一幕の戴冠式の場面では、バスチューバ、銅鑼などが大活躍。重厚かつ壮大な音響で全身が包まれ恍惚となるほど。バスチューバや銅鑼は第一幕だけで退場しますが、その後もとても印象深だったのは、要所要所でヴィオラの深々とした音色がロシアの漆黒の夜や民衆の嘆きを導き出し、ぶ厚い合唱や皇帝の懊悩に苦しむ歌唱を深く彩るのです。

ロシアは低音の魅力。つくづくそう思いました。



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ウィーン国立歌劇場 ムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」
2016年5月9日(月) 19:30(休憩無し)
ウィーン 国立歌劇場



Marko Letonja | Dirigent
Yannis Kokkos | Regie und Ausstattung
Stephan Grogler | Regiemitarbeit
Anne Blancard | Dramaturgie

Rene Pape | Boris Godunow
Ilseyar Khayrullova| Fjodor
Aida Garifullina| Xenia
Zoryana Kushpler| Amme
Norbert Ernst | Schuiskij
David Pershall| Andreej Schtschelkalow
Kurt Rydl | Pimen
Marian Talaba | Grigori
Ryan Speedo Green| Warlaam
Benedikt Kobel| Missail
Aura Twarowska| Schenkenwirtin
Igor Onishchenko| Hauptmann
Pavel Kolgatin| Gottesnarr
Alexandru Moisiuc| Nikititsch
Gerhard Reiterer| Leibbojar
Marcus Pelz| Mitjuch
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ウィーン国立歌劇場「トゥーランドット」 (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その7) [海外音楽旅行]

さて、怒濤の三連チャンの日曜日。

メータ/ウィーン・フィルの大宇宙のようなマーラー「復活」の興奮醒めやらぬまま、私たち夫婦はリングを埋め尽くす市民マラソンの喧噪のなかに放り出されてしまったというお話しの続きです。

その興奮を鎮めるためというのか、あるいはウィーンの世紀末をそのまま堪能するというべきか、いずれにせよ私たちは楽友協会の建物から徒歩圏にある世紀末様式の建物や美術館をしばらく逍遙していました。夜のオペラまではまだまだ時間があったからです。

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楽友協会の建物から、市民マラソンの喧噪を避けるように、地下鉄駅の地下街を通って反対側の通りに出ると、そこには瀟洒なカールスプラッツ旧駅舎が建っています。ここは、オットー・ワーグナー・パヴィリオンと称してその功績を示す展示がされていて内部のアールヌーヴォー様式の美しい意匠を見ることができます。

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そのすぐそばにはウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ(旧・ウィーン市歴史博物館)があって、やはり、クリムトやシーレらの絵画を観ることができました。そのなかにシェーンベルクの肖像画を見つけて「ああ、ここにあったのか」と懐かしいものに思いがけなく出会ったような思いがしました。というのも、このリヒャルト・ゲルストルによる肖像画は、ポリーニのピアノ作品集のジャケットになっていたものだったからです。

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もうひとつは、セセッシオン(分離派会館)。

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ここにはクリムトがベートーヴェンの第九をテーマに描いた「ベートーヴェン・フリース」があります。これは壁画なので、ここに来て見る以外には実物に触れる手だてはないのです。

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さて、ホテルに戻ってひと休み。クライマックスは、ウィーン・フィルを聴いてもまだまだ完結していません。夜は、グスターボ・ドゥダメルが指揮する「トゥーランドット」。

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…歌劇場に入ると、早くも何人かの楽員がピット内で調整を始めています。それをのぞいてみてびっくり。そこにはまたまたライナー・キュッヒルさんがコンマス席に座ってヴァイオリンを弾きながらフレーズの確認に余念がない。キュッヒルさんのコンマスは、前夜の「フィデリオ」、午前中の「復活」に続いて三連続。つくづくその精励ぶりに感服してしまいました。

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「トゥーランドット」は、一昨年のプラハ国立劇場以来。あの時は、1階左側ボックス席ということで響きだけでなく視角的にも少し不完全燃焼のところがあったのですが、今回は1階席6列目中央(Parkett Links Reihe6 Platz14&15)と最上の席を確保。演出、舞台意匠、歌手、オーケストラと世界最上の豪華なグランドオペラ鑑賞に恵まれました。

演出と美術のマルコ・アルトゥーロ・マレッリは、スイス・チューリッヒ生まれ。主にドイツ圏で活躍していきたひとで、その演出は決して安易な大スペクタルに陥ることもなく、内面的な彫琢と外面的な絢爛豪華なスケールとが両立したもの。場面の立体的な配置や転換も理に適った雄弁さを備えていました。新体操風のアクロバチックなバレエを多用してスペクタルな場面を盛り上げ、演劇的な動きと音楽のシンクロナイズもリズミカルで見事。音楽をよく知った演出であり、イタリアオペラの歌唱的要素も存分に聴かせてくれます。

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歌手陣は、私にはなじみの薄いひとばかりだったのですが、いずれ劣らぬ名歌唱で聴衆を熱狂させました。まずは、カラフ役のユシフ・エイヴァゾフ。人気絶大のディーヴァ、ネトレプコの旦那さんとしてこの3月に来日しネトレプコ・スペシャル・コンサートで共演し、最後のアンコールで「だれも寝てはならぬ」を熱唱して場内を沸かせたそうですが、本場ウィーンではそれ以上の熱狂的喝采。このアリアは喝采を受けるいとまもなくその次に続くのですが、そんなこともかまわぬ大喝采でした。

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タイトル役のリーズ・リンドストロームはとてもシャープなソプラノで、まさに氷の美女を好演。プッチーニは女の二面性を描くのに巧みですが、リューの自刃を目の当たりにしたあたりから心が氷解していき、最後の最後になって世界の中心で「愛」を叫ぶ劇的な幕切れも見事。

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リュー役は、ヒロインほど派手ではなく楚々とした可愛らしさのある脇役的な美女、純でありながら気丈さを兼ね備えるといった役どころで、こういう役によくはまる名歌手というのがいるものですが、アニタ・ハーティグはまさにそういうソプラノ。

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第二幕で大活躍のピン、ポン、パンの三人は、ミュージカルなみの激しい振付をこなしながらリズミカルで躍動的。トゥーランドット姫による生死をかけた難題の謎解きへと進む劇的な展開を大いに盛り上げていました。オペラ歌手というのは大変なものだと思いました。

けれども、このプッチーニ畢竟の大傑作を大いに盛り上げたのは何よりもピット内のオーケストラだったのでしょう。私たちの席からはピット内のたぎるような熱気がよく伝わってきます。第一幕の終末、カラフが謎解きへの挑戦を高らかに宣するために銅鑼を大きく三回打ち鳴らすまでの強烈なクレッシェンド、第二幕の劇の展開を支える躍動的な強弱やカーニヴァル的な熱狂、第三幕の情熱的な喜怒哀楽など、同じ日に聴いたマーラーの世界とは全く違う燃え上がるようなラテンの世界。気位の高いオーケストラをこれほどまでに奮い立たせたドゥダメルは、その人気ぶりも大いにうなずける久々のカリスマの登場だと痛感させられました。予習にと事前に聴き込んだカラヤン盤に思わず入れ込んでしまった私たち夫婦でしたが、その壮大華麗なグランドオペラがそのまま実物となって眼前に現れた感動は言葉に尽くせないほど。

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カーテンコールで、その若きカリスマが実に控えめに小さく目立たなく振る舞っていたことがとても印象的でした。



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ウィーン国立歌劇場 プッチーニ「トゥーランドット」
2016年5月8日(日) 19:00
ウィーン ウィーン国立歌劇場


Gustavo Dudamel | Dirigent
Marco Arturo Marelli | Regie und Licht
Marco Arturo Marelli | Ausstattung
Dagmar Niefind | Kostume
Aron Kitzig | Video
Mario Ferrara | Buhnenbildassistenz
Katrin Vogg | Kostumassistenz

Lise Lindstrom | Turandot
Heinz Zednik | Altoum
Yusif Eyvazov | Calaf
Anita Hartig | Liu
Dan Paul Dumitrescu | Timur
Paolo Rumetz | Mandarin
Gabriel Bermudez | Ping
Carlos Osuna | Pang
Norbert Ernst | Pong
Won Cheol Song | Prinz von Persien (Gesang)
Werner Eske | Prinz von Persien (Pantomime)
Younghee Ko, Martina Reder | Magde
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王宮礼拝堂日曜ミサ  (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その5) [海外音楽旅行]

ウィーン第二日目にして、早くもそのクライマックスを迎えました。

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この日曜日は、朝・昼・晩と、何と一日のうちに三回ウィーン・フィルを堪能するというとんでもない一日となったのです。

そのひとつめは、王宮礼拝堂でのミサ。

ウィーン少年合唱団の美しい歌声が聴けるミサということででかけてみましたが、日曜日ということで本格的な日曜礼拝が行われます。まだ人通りもまばらな街を、ホーフブルク王宮内の礼拝堂(ブルクカペレ)へと急ぎます。入口は長蛇の列ですが、私たちは事前に予約済みなのでEチケットで早々に入場。全席指定になっています。

このミサには国立歌劇場合唱団と管弦楽団すなわちウィーン・フィルが参列します。曲目も、モーツァルトの「戴冠ミサ曲」という本格的なもの。観光客相手で少年合唱団が主役だとばかり考えていた私は不勉強そのもの。王室のための小さな礼拝とはいえかなり大がかりな正式なミサでびっくりしました。

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司祭が厳かに隊列をなして入場し、ミサが始まります。礼拝の開始が宣せられると、まず最初にグレゴリア聖歌が唱されます。それに続いて、司祭による祈りがあって、また、英語で平和祈願の誓願奉納の長い説諭があります。起立して聖歌を歌う。

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そして「戴冠ミサ曲」。

1階の私たちからは見えませんが、屋根に近い最上層のバルコニーに音楽隊がいて、突然、上方から音が降り注ぐように礼拝堂全体を柔らかく音で満たすのです。不思議なのですが、目をつぶると音の反射で目の前にオーケストラのソロの一音一音が浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消え、というような錯覚にもとらわれます。

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かつてリガの大聖堂でバッハの「ロ短調ミサ」を聴いたことがありますが、そういう大聖堂での高さと左右前後の大空間でのコンサートとも違いますし、大きな教会でのオルガンコンサートのような天上から音が降り注ぎ大きな空間を震わせる音響に包まれるような音場とも違います。ここの礼拝堂の音響体験はとても独特です。私たちはあくまで地上にあって、音楽は天空で鳴っている。とても慎ましい気持ちにさせてくれる立体音響です。

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やがて、 アニュス・デイの美しいボーイ・ソプラノの歌声が清らかに流れます。

ここで、司祭たちによってポスチアが列席者に与えられます。ポスチアは聖体を象徴するパンのことですが、ちょうど本願寺系でお供えなどに使われる小さな薄焼きのせんべいのようなもの。私たちは、そこは遠慮することにして、美しい調べに後ろ髪ひかれる思いをしながら途中で退出することにします。

もともと、通路に面した列の出入り口すぐそばの席を予約していました。それは、このすぐ後のコンサートに遅刻しないように、途中退出をあらかじめ想定していたからでした。

王宮の門を足早にくぐると、私たちが向かったのはウィーン楽友協会大ホール。

(続く)
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ウィーン国立歌劇場『フィデリオ』 (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その4) [海外音楽旅行]

ブダペストからウィーンへ。今日はその移動の日。

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鉄道にして約2時間半。ブダペスト西駅を出発。年初来のヨーロッパ難民危機の騒動をTVで毎日のように見ていた私たちは、ちょっと怖じ気ついて事前にネットで高めのコーチ席を予約していました。あんな騒動は嘘のようで、実に快適な旅でした。

昼前にウィーン中央駅に到着。

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さっそくホテルを目指します。が…その前に、先ずはウィーン楽友協会のチケット窓口に立ち寄ります。ネットで予約していたチケットを受け取ります。IT時代となり海外からも気楽にチケット予約ができるようになりましたが、プリンターで印刷したバーコード付きのコピーでそのまま入場できるEチケットから、チケット引換まで様々。ブダペストではEチケットですが、ウィーンでは現地で事前にチケットに引換が必要です。ロンドンのウィグモアホールは国内郵送が前提で、先進国ほど観光に関心が薄いほど遅れています。代金決済に制約の多い日本など、海外の音楽ファンにとってはとても遅れた国との印象があるでしょう。東京など、アジアからのインバウンドの音楽ファンから見ればまだまだ不便なのです。

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ウィーン国立歌劇場を一回り。ようやくここに来たぞという感激もひとしお。

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そのオペラ観劇までは、まだまだ時間があるので、オペラから徒歩5分ほどのホテルにチェックインして市内観光に出かけます。

観光のテーマは、《ウィーン分離派》。

地下鉄でシェーンブルン宮殿を目指しますが、私たちの目的は宮殿ではありません。ウィーンの近代建築や20世紀初めの都市計画を主導したオットー・ワーグナーによる《ホーフパビリオン》。駅出口で掃除していたおばちゃんに聞いてみましたが、英語が話せないこともあって、皆目、話しが通じません。

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仕方なく駅上の跨線橋から周囲を見渡すと「あったー!」。小さな駅舎ですが宮殿を訪れる皇族のための専用駅舎。宮殿方向の喧噪をよそに、その小さな宝石箱のような駅舎の屋内は私たちのほかは誰もいませんが、アールヌーヴォーの内装が鮮やか。

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受付の女性と話すと、あまり人は来ないとのこと。土日しか公開していないということもあってポピュラーではないのでしょうがもったいないことです。

観光はほどほど。あくまでも音楽優先なのでホテルに戻って一休み。いよいよウィーン国立歌劇場見参です。

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内装はさすがに立派で豪華。とても伝統と歴史を感じさせるものですが、すでにブダペストの歌劇場を体験しその興奮醒めやらぬ私たちにとっては少々質実にさえ見えます。正面のステアケースやホワイエなどはともかく、こと歌劇場内は意外に質素。

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私にとって初のウィーンオペラ体験となった席は2階ボックス席の最前列。

中央寄りの上席でとても眺めが良い。ボックス席は何となく偉くなったようで気分がよい。でも、これが必ずしも最上席というわけではないのです。このオペラハウスの座席料金はけっこう細かく分かれており、よく見ると実によく出来ていて、つまりは料金通りなのです。このボックス席は上から二番目の料金です。

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いよいよ開幕。その序曲が開始されたとたんに、ちょっとした既視感にとらわれました。

響きがデッド。以前、プラハの国立劇場で味わった軽い失望感。ボックス席というせいもあるのでしょうが、つい直前のブダペスト歌劇場にも較べてしまいますが、世界最高峰にしてはいささか寂しいアコースティック。初体験と盛り上がっていた気持ちがちょっと裏切られたような気分がしました。

ステージもとても地味。

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演出はオットー・シェンク。手は加えられてきたのかもしれませんが、1970年代の演出です。あまり前衛的、現代的な演出は好みではない私でも、いまさらシェンクでもないだろうとつい思ってしまいます。

指揮者のペーター・シュナイダーは手堅い老練な職人指揮者。初台の新国立劇場でも何度か聴いている。奇しくもこの後で観劇する「ローエングリン」は、2012年に話題のフォークト主演のプロダクションではこの人がタクトを握っていて、その時は東フィルの秀演を引き出して興奮した。けれども、東フィルならいささかドタバタしても目をつぶったが、天下のウィーン歌劇場管弦楽団が相手となると、いささか紋切り型の楽想とぶつ切り気味の響きに不満を感じてしまう。

第2幕の牢獄の場から次に場面転換するところで、例によって「レオノーレ序曲第3番」が奏される。この慣習は、マーラーが始めたと言われる。場面転換に時間がかかった時代ならともかく、今の技術なら転換はいとも簡単だろう。これがウィーンの伝統といえば伝統だろうがあまりに保守的すぎる。序曲が終わったところで聴衆はやんやの大喝采。隣の家人も「うわーぁ!」と興奮のため息を上げているけれど、私は少々鼻白む思いがしました。

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ピツァロ役のエギルス・シリンスは、つい先日の東京春祭「ジークフリート」でもその単調なヴォータンに残念賞を贈呈したばかりだが、ここでもその単調ぶりを確認した。オペラに限らないことだが、悪役が悪役らしくないと全体がちっとも面白くない。ヒーローというものは悪の闇が大きく深く暗いほど白く輝くものなのだ。

フロレスタン役のロバート・ディーン・スミスも、昨年の東京春祭のリングに出演していました。あの時は、ワルトラウト・マイヤーがサプライズの代役を務めたジークリンデの影に隠れて印象の薄いジークムントだったのですが、こちらでも印象が薄い。フロレスタンは牢獄の場面がすべてで目立ちにくい立場ですが、やはりもともと地味なひとなのだと思うのです。

タイトルロールのアレクサンドラ・ロビアンコがよかった。若くて凜とした一途な女性を歌い上げて好演。ズボン役といような色気は、ベートーヴェンではちょっと違うのでしょう。そういうソプラノではなく貞淑で正義感に富んだレオノーレにはうってつけのひとだと思いました。

「さすがウィーン!」という気持ちと「なんだこんなものか」といういささかウィーンの保守性に食傷する気持ちが交錯する、微妙な後味の残った初体験だったのですが…

その後味は翌日には吹っ飛んでしまいます!

(続く)


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ウィーン国立歌劇場 ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」
2016年5月7日(土) 19:00
ウィーン ウィーン国立歌劇場

2016/5/7
Fidelio
Ludwig van Beethoven

Peter Schneider | Dirigent
Otto Schenk | Regie
Gunther Schneider Siemssen | Buhne nach Entwurfen von
Leo Bei | Kostume

Egils Silins | Don Pizarro
Robert Dean Smith | Florestan
Alexandra LoBianco | Leonore
Lars Woldt | Rocco
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ハンガリー国立オペラ『影のない女』 (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その3) [海外音楽旅行]

ブダペスト三夜の音楽体験の中日は、ハンガリー国立歌劇場でのR.シュトラウスの大作『影のない女』でした。

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このオペラは、シュトラウスの最大傑作との評もあるほどですが、なかなか実際に観る機会がありません。6年ほど前、初台・新国立劇場で18年振りの日本公演ということで勇んで観に行ったおぼえがあります。

スタミナと歌唱力を兼ね備えた主役級の歌手を5人もそろえる必要があるうえに、その内容は一見メルヘン風でありながら難解であり重苦しい。18年振りの日本公演に執念を燃やしながらも自ら指揮することがかなわなかった故・若杉弘氏が、このオペラが一番好きだと公言していて、その理由を聞かれて「話しがわからないから」と答えたそうだ。

内容がいささか複雑で難解となったのは、博覧強記のホフマンシュタールが、古典文学や、ドイツだけでなくインドや中国の民俗伝承、神話まで様々な文学的意匠をてんこ盛りにしたため。劇として破綻するほどに多弁で饒舌な台本に対して復讐するかのようにシュトラウスの音楽は重厚華麗だ。特に大編成のオーケストレーションは、室内楽のような精緻さの一方でそのフォルテッシモの音響の豪壮さはワーグナー楽劇をも上回るほど。これほど豪華なオペラはなかなか他にない。

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この日の午前中はブダペストの市内見学。第一日目ということで19世紀末に繁栄を極めたペスト地区を主に見学しました。国会議事堂の壮麗さに驚嘆し、リスト音楽院大ホールの素晴らしさに息を呑み、あらためてブダペストの世紀末都市文化の厚みに認識を改めました。

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リスト音楽院大ホールでのハンガリー国立フィルのコンサートを聴き逃したことをつくづく後悔しました。何しろホテルのはす向かいで徒歩5分もかからないのですから、到着当日であっても遅刻することはなかったのです。

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世界遺産の街並観光。その総仕上げといってもよいのがネオルネサンス様式の絢爛豪華なこの歌劇場でした。

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皇帝フランツ・ヨーゼフの意向もあってモダンで簡素となったウィーンの国立歌劇場よりも建築美ということでははるかに上回るもの。皇后エリーザベトは、むしろ、ここでのオペラ観劇のほうを好んだそうで、いまも「シシィ・ボックス」と称するボックス席が残されています。

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なお、皇后エリーザベト(愛称シシィ)は、自由で進取の気風に富むハンガリーを愛し、一方でハンガリー国民もエリーザベトを敬愛し、いまなおこの皇后の人気は絶大とのこと。

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私たちの席は、1階席7列目中央という絶好の席。ドイツ圏の座席番号は、ストール(オーケストラ)だの右だの左だのとややこしい。番号だけ見ると同じ番号があるので間違いやすい。特に左右の境界となるど真ん中は同じ番号が並んでて奇妙。観光客が多いここもウィーンも席を間違ったり迷ったりする人が続出。不合理で非効率と思うけれどもこれも伝統なのでしょうか。最良の席を得たせいもあったのかもしれませんが、その音響も素晴らしくこの点でもウィーンの歌劇場に優るものを感じました。

歌唱陣は、ハンガリー地元出身者が中心でしたが、その声量、声質、スタミナともに第一級でとても充実していて驚きました。

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『影のない女』とは子供を持てずにいる女のこと。『影』とは「生まれ出ずる子供」という暗喩が劇中でも示される。母性愛、生きがい、あるいは女としてのアイデンティティと夫婦や家という束縛との矛盾、葛藤そのものだ。21世紀にも通ずる重いテーマであり、歌手にとってもずっしりと重い負担となる歌唱がえんえんと続く。

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衣装こそリムスキー・コルサコフ好みのエキゾチックなものでしたが、舞台は簡素。大きな重機用のタイヤを転がしたりステージ上面に大きなモニター画面を映すなど演出もモダンですがいたずらに難解な表徴に走らずシンプルなもので好感が持てました。

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何よりも感服したのは、ピット内のオーケストラ。美しい歌劇場の瀟洒な空間に横溢する精緻なアンサンブルから壮絶で分厚い金管群の咆哮。ハンガリー国立オペラおそるべし!

この音は、前日に聴いたブダペスト祝祭管弦楽団にも通ずるものがあります。明らかにウィーンのものとは違うのです。ミュンヘンやベルリン、ドレスデンとも違う。

クリアーにテクスチュアが彫り起こされていて、各パートの複雑な絡みが整然と描き分けられ、響きもスリムで余分な贅肉がついていません。それでいてブリリアントで厚みのあるフォルテッシモが壮麗に伸びていく。そこではたと思い当たったのが、アメリカのオーケストラ。

そこから思い浮かぶのは、ライナー、セル、オーマンディ、ドラティ、ショルティといったハンガリー出身指揮者の系譜です。まさに彼らの芸風を特徴づけているものが、いま、目の前で鳴っているのです。このことは翌日再びイヴァン・フィッシャー/ブダペスト祝祭管を聴いてさらに確信することとなったのです。

ウィーンに行くならついでに…という程度に考えていたブダペスト観光とそこでの音楽三昧は、望外に充実して幸せな四日間でした。


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ハンガリー国立歌劇場 R.シュトラウス:歌劇『影のない女』
2016年5月5日(木) 18:00
ブダペスト ハンガリー国立歌劇場

指揮:Peter Halasz
皇帝:Istvan Kovacshazi
皇后:Eszter Sumegi
乳母:Ildiko Komlosi
霊界の使者:Zsolt Haja
神殿の門衛:Ingrid Kertesi
青年の幻影:Peter Balczo
鷹の声:Erika Markovics
天上の声:Atala Schock
染物師バラク:Heiko Trinsinger
バラクの妻:Szilvia Ralik
片目(バラクの兄弟):Lajos Geiger
片腕(バラクの兄弟):Ferenc Cserhalmi
せむし(バラクの兄弟):Istvan Horvath

演出:Janos Szikora
舞台装置:Balazs Horesnyi
衣装:Kati Zoob
脚色:Janos Matuz
児童合唱チーフ:Gyongyver Gupcso
合唱指揮:Kalman Strausz
ハンガリー国立歌劇場管弦楽団(ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団)
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魔笛 (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その2) [海外音楽旅行]

ブダペスト祝祭管弦楽団(BFO)を聴いてみたが、まだまだその評価には半信半疑だったというお話しの続きです。

一日おいて再びBFOを聴きました。

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《演奏会形式》の『魔笛』でしたが、こんなに楽しい『魔笛』は今までに聴いたことがないとさえ思うほどに興奮しました。ほんとうに素晴らしい『魔笛』。随所にウィットとセンスが溢れていて、歌手のアリアと俳優の演技とを交錯させジングシュピールのエッセンスが鮮明に浮かび上がり、聴いていてわくわくするほどに童心に満ちた楽しさがあふれ、観ていて様々な謎解きのような挑発や稚気があって知的興奮を覚えずにはいられなかったのです。

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会場は前々日と同じ、文化宮(Juveszetek Paltotaja)のベラ・バルトーク・ホール。

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今回はホテルのコンシェルジェに聞いて路面電車で行きました。ドナウ川河畔にかかる橋の立体交差で乗り換えますが20分ほどで着いてしまいます。あのタクシーは何だったんだろうと思うほどあっけない。

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演奏会形式とはいえ、あたかも本格的なオペラのようにしつらえてあります。ステージは黒いカーテンでプロセニウムがしつらえてあってパイプオルガンやP席はすっかり覆われてしまっています。全体に大きなスクリーンがセットされ、ここに字幕だけでなく背景のイラストが映し出され、演技や歌唱はステージ前縁で演じられ、オーケストラはピットに落とされています。かなり横長のピットです。

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さて、いよいよ開演。のっけから次々とフィッシャー・マジックが繰り出され、どんどんと『ジングシュピール(歌芝居)』の世界に引き込まれていきます。

最大の仕掛けは、歌手と俳優が別々であること。『魔笛』は、旅の一座を率いるシカネーダーが自分の一座のためにモーツァルトと共同で制作したもの。形式ばらずに大衆を楽しませる様々な見せ場が用意されていて、歌も会話もドイツ語で会話は歌の一種であるレチタティーヴォ(朗唱)ではなく台詞(セリフ)で語られます。フィッシャーは、音楽と演劇を分離して、しかも、巧妙に重ね合わせて進行させていくのです。

うれしいサプライズは、このセリフが英語だったこと。俳優たちもシェークスピア劇などで鍛えたイギリス人の俳優が主に起用されています。本来は現地のハンガリー語ということもあったけれど、このプロダクションを国際的に拡げていきたいと考えて英語を選んだとフィッシャーは語っています。もちろん歌唱は音楽と密接に結びついているのですからオリジナルのドイツ語。そして、もうひとつのうれしいサプライズは、スクリーンに映し出される字幕がこれも英語だったこと。

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劈頭、フィッシャーはこうした公演の形を客席に理解させて、歌芝居の世界に引き込ませるために、これまた一芝居打ちます。

ピットから乗り出して挨拶がてら、突然、俳優の公募をするのです。「この芝居は、英語で行います。簡単なセリフですから誰でもできますよ。ボランティアを募ります。6人必要です。どなたか…?!」という具合。もちろん英語での演説。客席から名乗りを上げる人が続出。もちろんヤラセです。始めから俳優たちが客席にいたのです。

俳優たちが選出されて、衣装をつけるために客席から退出すると、颯爽とあの「序曲」が始まります。その途端にピットのフロアがするするとせり上がり、序曲の演奏のあいだはほぼステージ近くの高さで指揮者やオーケストラがアップテンポのピリオド奏法で活き活きと演奏する。あのフリーメーソンの三和音も自然倍音の金管ならではのもの。こんどの私たちの席は、1階席中央6列目という最良の席でしたから、ステージやピットからの息づかい、沸き立つようなハーモニー、楽器の手触りが活き活きと伝わってきて、たちまちモーツァルトのとりことなってしまいました。

芝居はステージばかりではなく、2階左右のバルコニー上から呼びかけたり、客席後方から登場したり、縦横無尽に立体的に展開します。それでもステージ上の歌手には負担はかかりません。俳優と歌手は暗転などを利用して瞬時に交替したり、あるいは進行のタイミング次第では歌手と俳優が並んで立つこともいといません。それがとてもテンポよく進むので気にならないのです。そして歌手たちは演技の負担がほとんどないので、自然な身振りで伸び伸びと歌います。

その歌手陣が素晴らしい。

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私には馴染みの薄い若い伸び盛りの歌手ばかり。知っているのは「夜の女王」役のマンディ・フレドリヒぐらい。彼女は、アーノンクールの下で同役を演じてザルツブルク音楽祭デビュー、2013年の新国立劇場で『フィガロの結婚』では「伯爵夫人」を演じています。その他の歌手は前々日の『レクイエム』のソロ陣に重なりますが、その若さにもかかわらずキャリアは錚々たるもの。パミーナのハンナ=エリザベス・ミューラー、タミーノのカップルも若くて純朴そのもので、信じやすく傷つきやすい青春を好演。

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ハンノ・ミュラー=ブラッハマンとノルマ・ナウンは親近感あふれる明るい歌唱に嫌みがなにのも若さゆえなのでしょう。

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スクリーンに映し出されるイラストもメルヘンチックでシックな大人の感覚と屈託のない童心が両立するお洒落なもの。歌詞に合わせて登場する字幕も、画面が広く大きいので読みやすいばかりでなく、重唱にも同時多重に対応していて小気味よく理解しやすい。

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劇中で使われる魔法の鈴は、鍵盤型のグロッケンシュピールを模したもの。イヴァン・フィッシャーが写真で抱えているのがそれ。

こちらはオーケストラピット内の本物の鍵盤型グロッケンシュピール。ちょっと目にはチェレスタと見分けがつきにくい。

第二幕の始まりにもちょっとしたいたずらが。

開幕して音楽が始まってもピット内にはオーケストラがいません。いったいどこから音が出ているのか。注意深く耳を澄ますと、どうもこれはナマではなくSR(Sound Reinforcement)によるものらしいと思われます。よほど注意して聴かないと分別しがたいほど。やがて、三々五々にオーケストラがピットに入ってきてほんとうのナマ音にすり替わっていく。かつてステレオ全盛時代に、ナマとのすり替わりというデモが行われましたが、まさか、ここでこういうものを実見するとは。ほんとうにナマと再生音とのすり替わりかは半信半疑だったのですが、最後にまたまたトリックが仕掛けられます。

最後の最後の大団円。ザラストロスへの称賛と崇拝の音楽となるところ。

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ステージを覆っていたスクリーンと黒い幕がするすると上がっていく。…と、なんとそこにはフィッシャーが指揮するオーケストラがステージ後方に登場。「あっ!?」と思わずピットを見るともぬけの殻。いつの間にかすり替わって移動していたのです。いったいどのようにこれをやってのけたのか??

このモーツァルト歌劇につきものの大団円は、いつもとってつけたような感じがしてならなかったのですが、この場面を歌手や俳優陣のアプローズにしてしまったのもフィッシャーの新しい感覚。ステージに上がったオーケストラとともに、まるでミュージカル感覚での挨拶場面になって、この楽しい音楽芝居の終演となりました。

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『魔笛』は、ヨーロッパ人が生涯に最も多く観るオペラなのだそうです。それこそ子供の頃から、人形劇や影絵劇など旅の一座、観光や祭りなどで親しんで育ってきた出し物。フィッシャー自身も兄のアダムズとともに少年の頃にハンガリー歌劇場で三人の童子を演じたことがあるそうで、肌にまで染みこんだような歌芝居。そういう思い込めて用意周到に準備されたプロダクションだったのだと思います。なかなかそういう伝統は日本人には身に染みてわかるものではないのですが、今回、その伝統が肌に直接触れるような感覚がありました。

演奏の質だけでなく、様々なチャレンジとその新しい想像力に満ちた活動はなかなか他のエスタブリッシュメント・オーケストラにはないもので、そこがトップテンの一角を占めた所以でもあり、ユニークな立ち位置なのだと確信しました。


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ブダペスト祝祭管弦楽団 演奏会
歌劇『魔笛』K.620(演奏会形式)

2016年5月6日(金) 19:00
ブダペスト 文化宮 ベラ・バルトーク・ホール


Music by Wolfgang Amadeus Mozart
Libretto by Emanuel Schikaneder
English dialogues by Jeremy Sams

Sarastro: Krisztian Cser
Queen of the Night: Mandy Fredrich
Pamina, her daughter: Hanna-Elisabeth Muller
Tamino, a Japanese prince: Bernard Richter
Papageno, a bird-cather: Hanno Muller-Brachmann
Papagena: Norma Nahoun
Three Ladies: Eleonore Marguerre, Olivia Vermeulen, Barbara Kozelj
Three Boys: members of the Hungarian State Opera Children’s Choir
Monostatos, a Moor: Rodolphe Briand
Speaker: Peter Harvey
Two Priests / Two Guards: Gustavo Quaresma Ramos, Peter Harvey

Actors: Joanna Croll, Felicity Davidson, Laura Rees, Scott Brooksbank, Jonathan Oliver, Bart van der Schaaf
Chorus: A la cARTe Choir & musicians of the Budapest Festival Orchestra

Set Designer and Illustrator: Margit Balla
Costume Designer: Gyorgyi Szakacs
Silhouette Designer: Agnes Kuthy
Lighting Designer: Tamas Banyai
Dramaturg: Anna Veress
Stage Manager / Assistant Director: Andrea Valkai
Assistant Conductor: Vladimir Fanshil
Repetiteur: Dora Bizjak

Budapest Festival Orchestra
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ブダペスト祝祭管弦楽団 (ウィーン&ブダペスト音楽三昧 その1) [海外音楽旅行]

ウィーン&ブダペスト音楽三昧の初日は、ブダペスト祝祭管弦楽団(Budapest Festival Orchestra)の初見参でした。

BFOは、1983年創設の新しい楽団です。創設者は、ピアニストのゾルターン・コチシュと現在も音楽監督を務めるイヴァン・フィッシャー。当初は年に3、4回ほど、音楽祭などのイベントで演奏する《祝祭》オーケストラでしたが、92年に常設オーケストラとなり、現在では定期公演や室内オーケストラや子供向けコンサート、サマー・コンサートなど様々な公演を行っています。日本で言えばサイトウ・キネンのようなものでしょうか。

2008年に英国の音楽雑誌「グラモフォン」が世界のオーケストラ・ランキングを発表し、ベルリンやウィーンなど並み居るトップ・オーケストラに互して堂々とトップテンに入っていて驚いたことがあります。今回は、その実力をこの目で確かめたいという思いがあったのです。

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最初にこのオーケストラを知ったのは、諏訪内晶子さんのこのアルバム。

17年前の録音で諏訪内さんもまだまだ若くアイドル的な扱いで、96年にレコーディング・デビューを飾り、これが4枚目のアルバムでした。当時の印象は、田舎の無名の、しかも臨時編成の楽団を伴奏に選んだのだろうとというのが正直なところ。解説には「フィッシャー率いるブダペスト祝祭管弦楽団というハンガリー楽壇をリードする若き実力者たち」という触れ込みでした。

その後、BFOはフィリップスからチャネルクラシックスに移籍し、ピュアDSDの優秀録音という触れ込みでオーディオファイルにも知られるようになりました。私自身も、試聴会などでよく耳にするようになったのが「ハルサイ」。

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確かにハイファイ好みの好録音ですが、果たしてこれが世界ランキングのトップテンに入る真の実力オケかどうか半信半疑だったというわけです。

もうひとつの着目は演奏会場です。

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その名も“芸術の宮殿”と称するコンサートホールですが、実際に行ってみると最新のオーケストラホールで2005年にオープンしたばかりとのこと。市の中心からやや外れたドナウ川河畔の再開発地区の一画に建設された芸術センターで、ベーラ・バルトーク国立コンサートホールのほか、フェスティバル劇場、ルードヴィッヒ美術館とコンプレックスを構成しています。

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旅程では、メインは現地3日目のコンサートでしたが、ブダペスト到着当日のコンサートにも時間的に間に合うかも知れないと急遽チケットを買い足しました。これがちょっと甘くて、案の定、遅刻してしまいました。

フライトは極めて順調で予定より早めに空港に到着。手はず通りにタクシー乗り場に直行しホテルにチェックイン。余裕十分と思ったのが油断でした。着替えてみると結構時間が押しています。タクシー頼みだったのがいけなかった。ホテル前でタクシーを待ってもなかなか来ず、やっと乗り込んだタクシーの運転手は新米で“芸術宮”と言っても生返事のまま出発。しばらく走って方向違いの街角に止めて無線で問い合わせ、カーナビにセットする始末です。料金をぼられたわけではないのですが、もたもたしているうちに大遅刻となりました。

会場に着くと、案内されたのは最上階の桟敷席。ここが遅刻者のテンポラリーな席というわけです。1曲目が終わると、その合間にドアを開けて会場に入ります。席は自由とのことで、左サイドの椅子席、あるいは立ち見でバーからステージをのぞき込むという按配でした。

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1曲目のモーツァルトのアリアアリア「この麗しい御手と瞳のために」(K612)を聴き逃したのは残念です。ソロ・コントラバスのオブリガート付きのバスアリアの実演は滅多に聴けるものではありません。

それでも2曲目の「クラリネット協奏曲」は、大好きな曲でなかなかの演奏でした。

印象的だったのは、その清々しいほどに清明でクリアなホールのアコースティックです。1800席ほどのシューボックスのホールですが、最上階の桟敷には馥郁たる香り高いホールトーンとやや遠目ですがクリアな直接音が湧き上がってきます。こういう形のステージ真上のバルコニーは意外によい音で、その音は初台オペラシティのタケミツメモリアルの3階L1で聴いたときのことを思い出させるもの。

使用楽器が通常のクラリネットではなくバセットクラリネットであることは聴いていても、遠目に見ても明らか。プログラムの解説を探してみると「ヤマハ製バセットクラリネット」と明記してありました。ヤマハのカタログにはないので特注でしょうか。

軽やかで優美でありながらどこか哀愁を帯びた弦セクションの響きが心地よく、清澄な音色のクラリネットがとても純真に歌います。流れはスムーズで完璧でしたので、ほんの少しだけ微かなキズがあったのが意外だったほど。第一楽章でリードミスが2回ほどあったのと、第三楽章の出だし。無理にアタッカ風に続けたのが仇となって、客席のざわめきに乱されて呼吸が合わず慌ただしい開始となって再びリードミスを犯してしまったのです。

休憩が入って本来の席に着きました。

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到着当日のリスクを考えて、もともとあまりよい席を選びませんでした。日本円で2500円の席ですが、それでも2階左のバルコニー最前列でなかなか良い席です。

3曲目のモーツァルトの「レクイエム」も、やはりクラリネット協奏曲の演奏に通ずるような美しい響き。10-8-8-6-3の両翼対向左低弦の編成。といってもちょっと変わった配置で、かなり横長に配列され、中央にバセットホルンがありトランペットとティンパニのリズムセクションが右端に置かれます。面白いのはコントラバスで、弦五部を構成する左手の2台とは別に、そのリズムセクションに1台配置されていました。

そればかりではなく、そこかしこにフィッシャーのこだわりがあって、例の「トゥーバ・ミルム(ラッパは不思議な音を)」でソロを吹く本来のトロンボーンとは別に、合唱のアルト、テナー、バリトンと重ねるトロンボーン3人がオーケストラ最奥の左、中央、右に配置されています。最も特徴的だったのはソロの歌手陣。ソプラノ、アルト、テノール、バリトンの四人がオーケストラ内の弦と木管の中間にお立ち台の上に立って左から右へと孤立するように離されて歌うこと。このことでステレオ的な立体感が浮かび上がるとともに声もよく通るのです。

奏法は、ノンビブラートのピリオド奏法。弦楽器などすべてモダンなのですが、トランペットもホルンもピストンのない自然倍音の楽器を使用。BFOは、本来、現代楽器のオーケストラですが、弦パートは現代奏法もピリオド奏法も切り換え自由、金管パートは難なくこうした自然倍音楽器に持ち替えるようです。そういう教養があたりまえのようです。先日の紀尾井シンフォニエッタ東京のコンミスの玉井さんのお話しを思い出しました。

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「レクイエム」は、一時代前のようにいたずらに劇的になることもなく、オリジナル楽器にこだわって原色むき出しになることもなく、平明でとても美しく古典的な均整美に満ちた演奏でした。

素晴らしい「レクイエム」でしたが、これが果たしてトップテンなのかどうかということについては、まだまだ半信半疑のままだったのです。

しかし…

(続く)



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ブダペスト祝祭管弦楽団 演奏会
2016年5月4日(水) 19:45
ブダペスト 文化宮殿 ベラ・バルトーク・ホール

モーツァルト:
(「この麗しい御手と瞳のために」K.612)
クラリネット協奏曲イ長調 K.622

レクイエム K.626

Akos Acs, clarinet

Norma Nahoun, soprano
Barbara Kozelj, contralto
Bernard Richter, tenor
Hanno Muller-Brachmann, bass
Collegium Vocale Gent

conductor:Ivan Fischer

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行って参りました [海外音楽旅行]

ブダペストとウィーン旅行に行って参りました。例によっての“音楽三昧”ですが、これまでの日程に輪をかけての過密スケジュール。いささか「やり過ぎ」感がないではないですが、ブダペストとウィーンだけで移動がほとんどない滞在型の旅程ということでしたので意外に疲労もなく、快適で充実した旅となりました。

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本場欧州の名オペラハウス、名ホールの音を聴きたいし、聴いたことがなかった名オーケストラにも心を残していました。2年前のロンドンを皮切りに、プラハ、ミュンヘン、バイロイト、ドレスデン、ライプツィヒ、そしてベルリンと旅行を重ねてきました。しかし、なかでもヒジヤンさんに痛いところをつかれた思いがしていたのは、何よりもウィーンです。それが今回ついに実現しました。

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その音楽会日程はこんな感じです。

(ブダペスト)
5月 4日:   ブダペスト祝祭管弦楽団  モーツァルト「レクイエム」ほか
   5日:   ハンガリー国立歌劇場   R.シュトラウス「影のない女」
   6日:   ブダペスト祝祭管弦楽団  モーツァルト「魔笛」(演奏会形式)

(ウィーン)   
5月 7日    ウィーン国立歌劇場    ベートーヴェン「フィデリオ」
   8日    王宮礼拝堂日曜礼拝    モーツァルト「戴冠ミサ曲」
         ウィーン・フィル     マーラー交響曲第2番「復活」
         ウィーン国立歌劇場    プッチーニ「トゥーランドット」
   9日    ウィーン国立歌劇場    ムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」
  10日    ウィーン国立歌劇場    ワグナー「ローエングリン」


費用は、航空運賃とブダペスト~ウィーン間の鉄道運賃とで約11万円、宿泊がブダペスト3泊、ウィーン4泊であわせて9万円、チケット代がすべて合わせて13万円、ここまで合わせて33万円。その他食事代や観光などで現金の持ち合わせを加えると約40万円という予算でした。音楽会の旅というのは、夜に食事する暇がないので食事代はけっこう安くつくものです。

これほどの日程となるとツアー旅行ではどのくらいの費用になるでしょうか。同じ連休期間中で同じように8日間のツアーでベルリン・フィルとウィーン・フィルをはしごするというある旅行会社のツアーを見ると46万円です。ただし、全8日間の日程で音楽鑑賞はそのたったの2回だけです。

ウィーン国立歌劇場の来日公演は、S席で63,000~67,000円です。ウィーン・フィルも37,000円。これで換算すると私たちの旅行はチケットの価値だけでも30万円を軽く超えてしまいます。東京で聴くのとトントンというわけですが、これに観光もおまけでついてきます。何よりも彼らの本拠地、世界に名だたるウィーンのオペラハウスやムジークフェラインで聴けることは何ごとにも代えがたい。たいへんお得というわけです。

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今回はさしたるトラブルもなく順調で、本当に楽しく充実した音楽三昧旅行となりました。

その演奏はいずれも素晴らしく、次から次へと感動と興奮の連続で、その感激がどんどん上書きされてしまいます。音楽鑑賞日記もどこからどう手をつけて良いやら戸惑うほど。記憶が薄れないうちに書き留めておきたいと思っているのですが…
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